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こんにちは。創作をしている者なんですが、ほとほと疲れてしまいました。長文です。
私は学生で、文学や創作について学んでいるんですが、どれだけ心血注いで、何年もかけて考え、伝えたいことを詰め込んでもあっさり駄作としてめちゃくちゃに言われることもあり、何の気なしにサラサラっと書いたものが深読みされ、深い!だの言われたり…
論文なんか読んでると、「この作家はこの時こう考えていて〜」とか、「これを書けたなら作家として本望だろう」とか、勝手に人の内面まで邪推されるのが気持ち悪くてなりません。
書きたくないものを無理矢理書いていたかもしれないのに。
徹底した結果主義の世界…でありながら、肩入れして勝手に色眼鏡で見ることもあるし…頭おかしくなりそうです。
「これを作るために生まれてきた」とかいうセリフも鳥肌が立つほど大嫌いです。勝手に存在意義を決められてたまるか。また、殆どの人間には存在意義がないけど、名作を作る人間だけにはあるという考えの人も大勢いて、気持ち悪くなりました。

ものすごく狂った世界だなあと思うと同時に、何を信じていいか分からなくなりました。
でも創作はすきです。よいものを作っている人たちに憧れてしまう。
創作している方は、何を支えに創作していますか?

A 回答 (1件)

子供のころから漫画家が夢でした。


若い頃はプロを夢見て投稿などもしておりましたが、現在40後半、技術とセンスが追い付かず結局自分だけの趣味として独りで楽しんでいます。

今、あなたは混乱の中におられるようですが、まず『創作は何のためにするのか?』で、見解が異なると思うのです。

物を創り出す。 
それが単に自分の感情のはけ口だったり、自分だけが満足できるものであれば人の目も評価も必要ない。(例えば日記や落書きのように)
けれど 何かを伝えたい・わかってほしいと他者に対して感情の共有を求めるなら 解り易く伝える。
多くの人に受け入れられたいと願うなら、多くの人に伝わる手法をとる。そういう差や必要性が出てくると思うのです。
また、職業として収入を得ることを目的にするか否かでも見解が違います。
仕事として収入を得なくてはならないなら 意志を曲げてでも他者に受け入れられるように迎合し、金銭を得る必要がある。
その必要が無ければ 金銭の伴わない自由な世界を創りあげて構わない。
そういう点が大きく違うのではないかと思うのです。

思いを込めて作り上げたものが評価が悪かったり 手を抜いたものが高評価だったりするのは結局他者と自分の見解の差なのだと思います。
多くの人に受け入れられるものを作り上げることが評価されるのは、そこに商業価値や共感があり、それを達成するには、相当の才覚が必要だということでしょう。

自己満足で終わる世界ならマイナーな同人誌やネットなどの閉ざされた世界で、自分を評価してくれる人だけを抱きしめて、異論を唱える人は排除すればいいだけですから。

物を創り出し それを世に開くことは そこから先は自分の手を離れ 他者のものになるということです。
ダイナマイトを作ったノーベルのように 人々の労力の負担と危険作業から身を守るための発明が 自分の手を離れたとたん 思いもかけぬ戦争の道具として使われる。
彼としては本当に悲しく不本意な事でしょう。
ですが、彼の願いの通り使ってくれる人が居たなら彼は満足でしょう。

物を創り、それを世に出すということは、ちょっとそれと似ているように思います。

ズレた回答でしたらごめんなさい。
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