牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

情報を集めたり知識が必要な際、普通に興味があることだとスムーズに行えるのですが、コンプレックスが関わる
こととなるとなかなか気が進みません。なんとか気が向いたときに検索したりするのですが、説明ページを読んで
もなかなか理解できず、解決するのに非常に時間がかかります。手際が悪い、情報収集が下手なのです。
はっきり言ってイライラします。こんなことを言ってもほとんど意味がないでしょう。無難な回答しか返ってこないでしょうし。
一応、質問の内容を要約するとコンプレックスを軽減しつつ情報収集能力を高く維持する方法を教えて下さいと
いったところでしょうか。でも解決しないでしょうね。この問題も。

A 回答 (4件)

文章から思うに、排他的な考えのせいでしょうね。


前向きでない考え方が最大の要因でしょう。

能力よりも性格や人間性の問題でしょう。
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暗中模索というか、苦肉の質問文という感じですね。


何と向き合うべきなのか、的を絞れていないような印象を受けました。


中々進まない時に、作業を中断させているのはエゴ(我)でしょう。

興味があることや、尊敬する人の話等、謙虚な姿勢で伺えることの場合には、
「無心」になっていますから、「我」が出ませんから流水のごとくスムーズに流れます。

ところが「我」が出ると、好き嫌い、選り好み、分別を始めるんです。
損得、優劣、正邪、合否、生死・・・・山ほどありますが、
計算、損得勘定、二元的対立、葛藤のようなことを始めるんです。


「我」というのは「こだわり」です。

ですから、劣等感がある場合なんかも必ず出てきます。センサー付きなんです。
そして、自分の置かれている境涯から損得、好き嫌い、選り好み等の分別を始めます。
ようするに自分に都合の悪いモノを排除したり、あれこれと選別するわけです。

  >>でも解決しないでしょうね。この問題も。
  この発想もエゴの成せる業だと思います。


河に例えれば、デンとして動かない大岩のようなものです。
こいつがスムーズな流れを遮ってしまうんです。
こいつが顔を出すと上手く行く物も、上手く行かなくなってしまうんです。
これは対人関係でも、何にでも言えることです。

よく「我欲を捨てろ」とか言われますが、まさにその通りだと思います。
「こだわりを捨てろ」「我を張るな」というのは「無心になれ」「無我になれ」ということです。
そのほうが流れが良いからなんです。


で、理屈だけで言いますと、私達は本当は「無心」「無我」なんです。

私達を苦しめる「劣等感」だって、他との関わり合いがあって、初めて生まれたものなんです。
誕生以来、世間と隔絶していれば「劣等感」も生まれません。
「俺って劣等感の塊だからさ・・」とは、ならないんです。

つまり、私達が「自分」と思っているのは、全て周囲との関わり合いの中から生まれている産物なんです。
全てのものとの「縁」によって、「自分」が「自分」として成立しているんです。
「あれ」があって「これ」が成立するように、周囲との「縁」で成り立っているんです。
つまり逆説的に、全ての「縁」を無くしてしまったら、私達の本性は「無」ということになるんです。
・・と、こんな下手な解説で伝わるでしょうか? これはお釈迦さまの「縁起説」です。


で、本来「無」の私達が、何でこんなにエゴイストになってしまうのか? と言えば、まずは生育歴があります。
子供の「我」を捨てさせるのには、多少、厳しくしたほうが良いんですが、行き過ぎた場合や、理不尽な場合は「虐待」になりますから、子供は狂ってしまいます。
我を張って、突っ張ってしまうんです。
この癖が身につくと、周囲にとっても困ったちゃんになりますし、本人も生き辛いはずなんです。

この場合、必要なのは、反省よりも、「癒し」です。
傷ついた幼い心を今からでも癒してあげることで、気持ちが楽になってきます。
「インナーチャイルド」で調べてみてください。
図書館にも生育歴問題を扱った本(アダルトチルドレン)等、癒し関連の本が多数あります。


あとは、上記のような「縁起」の理を頭に入れ、本性が「無」であると知識面から叩き込み、
さらに、それを身体で感じ取るための坐禅等の「道」を、身体で実践することです。
私のHNをクリックしてもらえれば、呼吸法をご紹介してますので、気長に続けてください。
ちなみに「脳は信用に値しない」と書いているのは、「我」「こだわり」のこともあります。
坐禅は無の体験が出来るんです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>暗中模索というか、苦肉の質問文という感じですね。
何と向き合うべきなのか、的を絞れていないような印象を受けました。

全くその通りです。自分が何を聞きたいのかもわかりません。ただのうわ言ですね。

syo-yaさんのおっしゃることは、要するにエゴを捨てろということですよね。それに必要なのは「癒し」という
ことだそうですが、何か具体的な方法として教えて頂けることは無いですか?
アダルトチルドレンなどという言葉を聞くとどうも精神病患者のように扱われてるような気がするのですが。
もっと発想の転換だとか、よければ身近な方法をおねがいします。

補足日時:2004/08/02 21:11
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remindさんこんにちは


コンプレックスが関わる事を調べたり、勉強するのが
苦手ということですね、

私も自分の苦手、嫌いな分野の勉強は、なかなかはかどらないのですが、私の方法を書いて置きます。

具体的にどういうコンプレックスかにもよりますが、

自己否定してしまう人が、直し方を勉強する
時は誰か自己否定してしまう人を探して、
その人はどうして自己否定してしまうのか?と疑問興味を持って調べはじめます。あとで自分に置き換えます。

自分に直接関係すると、イライラしますが、
第3者に置き換えて考えると、コンプレックスが
軽減されます。

また、英語が苦手とか、そのことが苦手な場合
自分より、レベルの低い人を想定して
その人に教えるには、どのようにして・・・と
調べて行きます。すると・・あらふしぎ、
自分が良く理解しています。
初歩からやるので、時間はかかりますが、イライラしたり、ペースが落ちたりしにくく、より記憶にも残ります。

別に実在する人物でなくてもいいです、
たとえば、~がこうだとして!の前提で
第3者に置き換えると、コンプレックスが軽減されるかも知れません。

嫌なことをする事は、誰でも効率が下がり、
集中力も続かないものです。

嫌なこと、苦手なことを、コンプレックスを
棚に上げて置く事が出来れば効率もいいですよ^^;

この回答への補足

回答ありがとうございます。

確かに他人に目を向けてみると、何でこの人はこんなことで悩んでるんだろう、というのはありますね。
それはわかります・・わかるんですが・・う~ん・・・・・。
例えば他人がどうであるかという実状は、ほとんどの場合それは各個人の「想像」だと思うんですね。よく「普通
なになにだよね」などと言いますが、この普通というのは実際データを取ったわけではなく単なるその人の憶測な
わけで。
で、それが良いか悪いかという問題ではなく、良くも悪くもその憶測というものに一応の信頼が無ければ思考とい
うのは不可能だと思うんです。つまり、自分が思うことをプラス思考だとかマイナス思考だとか都合のいいように
曲げてしまうのは自分の憶測を信頼していないということです。だからとりあえず私はプラス思考には出来ません。

話が少し逸れましたが、プラス思考が出来ないとつまり「何でこんなことすらすぐわからないんだろ」という
自責を和らげることは出来ません。「こんなことすら」というのはイコール「他人は簡単にクリアできることなの
に」という認識です。そして先ほどから言っているように、自分が落ち込みたくないというだけでその認識を
プラスに曲げることは出来ないので、とても落ち込み苛立ちます。

説明が下手ですいません。自分が何を言いたいのか良くわかりません。
とにかく他人が出来ていることを自分が出来ないということがすごく嫌で嫌で仕方ありません。
「おいしい肉じゃがの作り方」とかなら余裕で調べられるのに・・・。

補足日時:2004/08/02 21:23
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再度の2です。



【エゴイスト】になってしまう原因に、厳しい親を挙げましたが、真逆で、甘やかす親下に育っても、やはりエゴが強くなってしまうんです。もちろん、それ以外にもありますが、ようするにブレーキとアクセルのバランスが悪い家庭ならば、機能不全な家庭となりうるんです。甘やかす親の場合は、我が子のエゴを育てているようなものなんです。


例えば、親が一人っ子の場合、寂しがりやで、我が子を友達か兄弟のように扱います。
我が子に叱られて、我が子に慰められて、我が子を頼ってしまうんです(あくまでも例です)

で、子供は「叱られる」というブレーキの経験が無く育ってしまいますし、自分がリーダーのように勘違いしてしまうし、日常の些細なことの発想、情動も我侭になってしまいますから、口の利き方を知らなかったり、生意気が当たり前になってしまいますし、不遜な言動等々も、心底、身に付いてしまいます。
本人は無意識で、無自覚ですが、周囲からは怪訝に思われます。



でも、親の寂しがりやな、甘えた部分も引き継いでますから、人間関係は絶妙なバランスで切り抜けてもいけるんです。
一方で寂しがりやの顔を持ち、一方でエゴの塊の感情を持った人間の出来上がりになってしまうんです。

こういう人は態度を嘘のようにコロッコロッと変えますし、自分でもどれが本当の自分なのか判らないんです。
でも、本人は無意識で、無自覚ですから、理由もわからず、ただ、ただ生き辛いだけなんです。

「どうにも、生き辛い」
「何処へ行っても嫌われる」等がある場合、上記のような家庭因が考えられます。

「エゴ」というのは「こだわり」ですから、生育歴から来る【扱われ方】によって生まれる場合が多いんです。

これもアダルトチルドレンといえますが、本人が生き辛くなければ、問題はありません。
アダルトチルドレンというのは、本人が認めた場合の概念なんです。


性格には明確な「正解」がありませんから、「精神病」と言えば、みんな精神病なんです。
で、みんな「縁」によって、「自分」というモノが形成されています。



あと 
  >>具体的な方法として教えて頂けることは無いですか?
  >>もっと発想の転換だとか、よければ身近な方法をおねがいします。

ということですが、教えたつもりなんですが、お気に召さなかったようですし、年齢も性別も、何のコンプレックスかも具体的なことが一切判りませんし、#1さんへの補足欄を拝見しても、これは自分の力で、自分で求めて動いてこそ、癒しに繋がると思いますので、自分で探してみてください。
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