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ブラタモリというNHKの番組で、日本各地の都市の地質や河川などが取り上げられ、全国的に戦後(直後?)に城下町の堀が埋められたことが分かりました。理由は色々あったにせよ、何故、水景を残しておかなかったのかと、私自身は悲しい気持ちになりました。そこで、私は皆さんの意見を聞かせて下さい。


■0■ご存知の、全国各地の事例を教えてほしいです。

■1■堀を埋める動機は本当に妥当なものだったのでしょうか?
水害をなくす。空襲ガレキの処分地。用地取得など

■2■都市計画的に埋め立ての恩恵があったのか?
高速道路、鉄道に転用、交通に資する。橋がなくなり地域交通が活性化。乗用車急増に対応?

■3■地上げ屋、土地利権者が求めた?埋め立てブームがあった?
つまり土地が欲しかっただけ?

■4■堀がなくなったことで、弊害はあったのか?
水産水運業壊滅?排水や地下水などへの影響?景観は?自然環境は?

■5■今からでも、堀を掘り返して、元の景観を再生すべきか?すべきとしたらドコ?
地方の観光都市は景観を取り戻したほうが経済効果があるのでは?



なお、ブラタモリを見ていると、何故埋め立てたのか不明な場所がたくさんあります。東京の飯田濠埋立には、他の場所でも実現可能なビルが立つだけです。(首都高都心環状線は都市交通に資するのでまだ評価できる。)新潟の掘は、埋め立てた堀にバラックを建てて、現在までそのまま。不必要な二本の道路が並行に走っています。(大阪西区のように道路拡幅に活用されてもいない。)日本全国で探せば、埋め立てによる恩恵が皆無であるにも関わらず埋め立てた場所すらありそうな気がします。


■最後に■こういった埋め立て決定を下した権力者はだいたい大正生まれの世代だと思いますが、彼らは日本史上稀に見る愚者ではないのかと頭を抱えたくなります。日本各地の都市の多くは16-17世紀の城下町を起源とする街ですが、彼ら以外に、彼らの前にも後にも、彼らのような判断をした日本人はいないように思えます。というか、世界的にもいない気がします。彼らはどんな動機で歴史を消す判断をしたのですか?彼ら受けた教育や、生きた時代の空気などについて触れて、色々と論じていただけたらうれしいです。



長くなりましたが、回答をお待ちしています。



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A 回答 (6件)

大正期の人は全員、関東大震災と東京大空襲で、20年間で二度、首都が崩壊し日本が機能停止するのを経験しているのです。


そのための防災都市計画や防災道路拡張が日本再生に絶対要求される都市機能だったことは想像に難しくありません。
なにより、迅速な戦後復興計画が必要だったわけで、行動的な篤志家は幕藩旧体制からの発展主義者なわけで、保全より改革推進のタカ派の政治力で邁進しました。
城下町に手を付けたのは、戊辰戦争の怨み辛みも大きいです。戊辰戦争の強制徴用は労働力世代の離散を招き、昭和に至るまで東北の発展を妨げ、政治的な対立をうみました。
大東亜戦争の徴兵で再度の労働力の離散が発生し、それを帳消しにする労働力集めの治水事業でもあったのです。

私の曽祖父は、小笠原諸島の父島開拓民の子に生まれ、八丈島を経て、清水一家のヤクザものとして、神奈川宿の博徒から女衒になり、横浜港の干拓事業やら用心棒やら、新橋横浜の鉄道から続く東海道線用地の地上げなどに関わった後、夜泣きラーメン屋台の元締めから中華街の調理人をスカウトして大正期に日本橋で中華屋を開き、関東大震災で店が崩壊するも立て直すが、日中戦争で中国人コックを捕虜に取られ店を潰し、再度ヤクザ稼業に転向し、祖母の代に女腕一本で戦後のヤミ米流通で田園調布に家を建て、さらに兄弟がブラジル移民も行い、日本とブラジルをつなぐクリスチャン篤志家として緑綬褒章をもらうまでの立身出世が伝わっていますので、この時代のダークサイドの空気感が面白可怪しく伝えられています。
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この回答へのお礼

助かりました

スゴイ回答ありがとうございます!

私の質問にあった、時代の空気についても回答してくださったこと、感謝します!!!!!

貴方の曽祖父のような方こそが、私が質問した大正生まれの世代ですよね(この際厳密に大正でなくとも構いません!)。あの有名な大正成金のお札を燃やす成金の風刺画を思い出してしまいました。また、空襲の焼夷弾が降る中、不動産買い占めの電話を一日中していた西武の堤康二郎氏を思い出してしまいました。大震災、大空襲、世界恐慌といった度重なる天変地異。曽祖父様の世代がPracticalな利益を求めた理由がわかる気がします。

戊辰戦争の話もありますよね。江戸が色濃く残っているものは消したい明治政府の意向にも納得します。尊王、攘夷、佐幕、倒幕などの乱れのなか、江戸のものは少しずつ消されていったのでしょう。

しかしながら、戊辰戦争があっても、大震災があっても、戦前には江戸城の積極的破壊活動はなく、随所の関が撤去され交通用地(道路、路面電停、地下鉄駅)になり、各所の木造橋が石橋に交換されるなど、必要最小限にとどめている感じがするんですよね。意外にも江戸に敬意を払ってる感じがします。

過去400年、江戸時代だってそういう鷹派な発展主義者人がいたはずなのに、お堀が埋められることはなかったのですから、第二次大戦は「応仁の乱」以来の大混乱ということなんでしょうかね。。。。




もし可能なら、貴方に再度お答え頂きたいのですが、

「今現在、掘り返したり再建することで景観を取り戻すべき場所」があると思いますか?あるとすれば何処ですか?

(日本橋や常盤橋の高速道路地下化、江戸城再建、佐幕派各県への援助などなどいろいろあります。現在の貴方の思想や立ち位置をなるべくニュートラルにして、お答えいただけたら幸いです。)

お礼日時:2016/12/24 12:50

戦後の経済復活に必要だった のでは。


国土が小さく、それに平地が少ない為、止むを得なかった
のでしょう。
土木 建設事業の増加・生活域の拡充・所得額の増大 と、
一石三鳥を狙ったのでしょう。
それにより、国民が明るい未来を抱いたのも確かです。

自然保護も勿論大切ですが、失望に近かった国民に希望と
夢を与える政策を最優先した ものと、思われます。
反対に失ったものも大きいですが、それは今だからこそ
言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

はい、本当に共感します。

「今だからこそ言える」のでしょうね。そして、失ってしまったものが大きいということを知っている人がいること、そしてコメントを書き込んでくれたことに感謝します。

戦争からの復興は、日本の諸都市の起源ともいえる400年超の財産を消すことも止む終えないほどに逼迫していた、ということですよね。これは悲しいことです。

今の東京駅周辺の再開発が、鉄道空地の隙間を埋めるような卑しい開発ばかりで悲しくなります。(個別の事例になりますが、資金があるならば、せめて常盤橋門の復活と高速道路の地下化、周辺ランドスケープの復活を願うばかりです。これはノスタルジーでもなく、都市の活用できる面積を制約するものでもなく、より大きな価値を生み出せるものだと私は思っています。)

よりよい過去と未来の共存を目指したいと願うばかりです。

お礼日時:2016/12/24 11:52

追記として、


明治から戦後にかけて、水辺はボートピープルの住所不定者の貧民窟として汚水衛生的にも忌み嫌われる時代であったのも大きいです。
江戸の昔から河川敷は治外法権であり、河川敷には吉原や飛田新地など遊郭が建てられ、水路である東向島の玉ノ井や須崎、横浜黄金町などに代表されるちょんの間街が立ち並び、赤線青線が施行されていました。
戦後史として難民ボートピープルの定住化は社会保障の大きな課題であり、まさに臭いものには蓋をする理論で、水路に人が住めないよう暗渠化する必要があったのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

水路の人々は盲点でした、、、。

しかし、埋め立てたところで、住所不定無職は道路の上にホームレスとなって出現するのみで、対処療法なのかもしれませんね。いま現在ホームレスが出現する高架下や都市公園も、未来には撤去されるのでしょうか。風俗は人類史上最古の職業と言われるほどですから、潰したところで何の意味もないでしょう。

香港なんかは、広州という都市の水辺に出来た都市で、ボートピープルの街ですよね。蓋をするより、江東区あたりに澳門のような治外法権的娯楽都市を作って管理したほうが、案外うまくいったりして、、、なんて考えてしまいました。

(*間街という言葉、初めて知りました。なんて読むのでしょうか?赤線、青線、紅灯区、ピンク、色街、花街、遊郭、岡場所、、、、、、まだまだ知らない別称がありそうで覚えきれません^^;)

お礼日時:2016/12/24 13:24

河川、運河、堀の区別がついていないようだが。



運河であれば運送の主流が水運から陸運(鉄道、自動車)に遷移してきたのだから転用するのが必然。
堀であれば守るべき城がなくなり市街地が拡大して居るのだから不要物になる。
河川も都市河川では実質的に下水であるから暗渠化して下水にするべき。

君の趣味やノスタルジーで残すようなものではない、残したいのなら君が買収して私有地にすべき。
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この回答へのお礼

Thank you

たしかに。

しかしノスタルジーではなく、「必要もなく埋め立てられたであろう場所」がありますよね。という話です。書きましたが、掘を首都高に転用したりすることは私も認めるところです。

陸運などの為に、過去の遺構を消すことをためらわない貴方の態度はすこし極端ではないかと思ってしまいます。京都の町並みもヴェニスも貴方には価値の無いものなのですね。

モータリゼーションで水運がなくなって、兵器の進化で要塞都市が必要なくなっても、ストックホルムやイタリア諸都市はかつての遺構を残します。なぜなら、埋め立てなくても、現代の流通や戦争に対応できるからです。

よりよい過去と革新の共存を模索したいと思いませんか?

お礼日時:2016/12/24 11:25

東京の「君の名は」の舞台になった数寄屋橋がかかる外堀も埋め立てられましたが都市計画上仕方がなっかたのですかね

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この回答へのお礼

ありがとう

あのへんは都市計画上仕方なかったようにも思います。現在は首都高速などの交通に資する場所ですね。

お礼日時:2016/12/24 13:38

今のように歴史的遺産でもなく生活圏の一部として埋めて再開発です。

地方も中央も生きる事が最大値ですから。
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この回答へのお礼

ありがとう

わかります。目の前の利益こそが最も重要ですよね。(でも、日本には過去400年間そんな馬鹿な為政者はいなかったし、現在もそんな為政者はいません。あの時期だけです。)

例に上げた新潟のバラックは、戦後直後には必要だったかもしれませんが、現在は恐らく貧民街で、水辺以上に治安が悪化し、不快で、観光資源にもならないという、負の財産ですよね。

生きる事が最も重要なら、貧民街を潰して、観光資源にしたほうが、その都市にとって良いかもしれません。より良い繁栄を模索するなら、再び水景を復活させることもあり得るのではないか?と思ったのですが、なかなか厳しい意見ですね、、、。

いずれにせよ、御意見ありがとうございます

お礼日時:2016/12/24 11:33

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