準・究極の選択

昨年入社の新卒です。就活の際、好きなこと(サブカル、創作系)を仕事にしたいという気持ちにこだわりすぎた為か長い間内定が出ず、ちょうど去年の今頃ぐらいに内定を頂いた別業界の会社になんとか入社しました。しかしやっている事業に全く興味が持てなかったことと体育会系の根性論を是とする社風、度重なるプライベートな時間をなくす一部の賃金が払われない残業や強制参加の勉強会等が原因で過度のストレスで睡眠障害を起こし、このままではいけないと昨年冬、退職に至りました。既に1ヶ月が経過しましたが、眠る時間が増え、情緒不安定になっています。

周囲の同期はもっと大変なところで頑張っている子もいるのに自分のように心が折れてしまった人は自分以外にはおらず、情けなくて友人に会うことも完全になくなったわけではないにしろ恐怖心があります。退職して既に1か月以上経過しており、もうそろそろ次の仕事を見つけなければいけないと焦る気持ちもありつつ、求人や企業研究をしていると頭痛がしたりだるくなったりしてしまいます。
また、家族との約束で、数年以内には家業に携わらないといけないということが決まっているのもプレッシャーになっています(すぐに家業に携わることはできず、どこかで数年務める必要があります。やっている業種は自分の好きなことにシフトしていっても良いとは言われています)。

上記の家業のことから、いずれ自分が事業主をやるために、好きなことを仕事にして経験を積みたいという気持ちもありましたが、その好きなことすら続けていく自信がありません。どこに行っても絶対残業やパワハラ、プライベートな時間への干渉があるのではないかという疑いで気持ちがつぶされてしまいます。趣味としての創作活動も学生の頃は湯水の如く出てきたアイデアが枯れてしまったかのように出てこなくなってしまいました。娯楽としてゲームに興じたりすることもありますが心から楽しめていない気がします。


長くなりましたが、まとめると
・ストレスで職を辞めてしまい、次の仕事を見つけなければいけないのに仕事を探すことをすると体調を崩してしまう。
・どんな仕事を自分がしたいと思っているのか、どんな仕事なら長続きするのかわからない。
・趣味であった創作が思うようにできなくなり、ゲームも全くではないもののあまり楽しくなくなってしまい、自分が何をするために生きているのか、何がしたいのかわからなくなってしまった。
・かなり情緒不安定で、気持ちの起伏が異常に激しい(仕事のことになると急激に落ち込むが、娯楽をしているときはある程度は楽しい)。

こういうことだと思います。自分でもまだ気持ちの整理がついておらず、活字に起こしながら考えているため支離滅裂な部分があるかもしれません。色々調べてみてこのページにたどり着きました。私はこれらの問題を解決する為にどうすれば良いのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    少し冷静になりました。回答ありがとうございます。
    抜けがありましたので問題を追加させていただきます。

    自分が今まで生きる軸にして、目標にしてきた「好きなこと」が喪失しかけていて、何のために何を成し遂げる為に何をするのか、目標を見失っている状態でもあります。適職診断を受けてみるとやはりそういった好きなことだった創作関係のクリエイティブな仕事をすることが向いている、という結果をよく見ます。自己分析ですが自分の軸はやはりそういう部分なんだと考えています。であるにも関わらず、その軸に対しての情熱を失いつつある自分を感じていて、これからどうすればいいのか道標を見失った状態で呆然としています。
    家業がある、と甘えていた部分があるのかもしれません。家業にも興味を持てないから継ぎたくないという気持ちも同時に持っていましたが、これもあやふやになりつつあります。
    自分が自分でなくなる感覚を感じています。

      補足日時:2017/01/06 20:00

A 回答 (2件)

大丈夫ですよ。

まずは元気を出してください。

悩みすぎますと、頭が働かなくなりますから、

気になることは分けて考えましょう。

まずは、再就職活動はすると決めましょう。

「しなければいけない」ではなく、すると決める。

次に、「次は楽に乗り切ろう」とすることです。

自分はどこで適応障害と成ったのか?

考え方などから検証し、防御をしていくことです。

これに成功すれば、初回よりも強いはずです。

他の新人よりも有利に動けるでしょう。


ですので、過去の失敗に対しては、

すべてが間違っていたわけでもなく、すべてが正しかったわけではないとし、

そこからヒントを得ないといけません。


もし、常に自分を正しいとしてしまいますと、改善する余地がないとなります。

これで結果が良ければ問題ありませんが、そうでないと成れば、

努力のシドコロがわからなくなり、絶望しますよね。


自分が仕方なかったといっている部分のどこかに、

自分が悪かったというところを見つけることです。

そこに意地をはったり、美化をしますと、絶望を招きます。


私の若い頃を思い出して幾つか想定しますね。


まずは大きな部分。

自分が社会の底辺、

ちっぽけな存在として扱われる事に怒りを感じてはいけません。

これを惨めだと感じたり、

意地をはって否定をしようとしますと、余計に苦しくなります。

目上の人もいずれは引退しますので、

近い将来、自分が成り代っているはずです。

今の自分の感覚で馴染めずとも、

「俺がいずれこんな風に変化するのか。信じられない。

 どこでなるんだ。不思議だ。それを見るまでは辞めれないな。」

と面白がることですよ。

「どうしてそうなってるの? 何で自分で考えないかな?

 そういう押し付けを甘んじて受けているとか、愚鈍すぎる。

 私は絶対そうならない。」

とかやり過ぎますと、適応障害に成りやすいです。

半々ぐらいが丁度良く、いずれ自分が背負うものだと自覚しておくこと。

改善を目上に求める気持ちを抑える事でしょう。

あまり厳しい要求をしますと、同じ年齢になったとき、自分がそれを履行しないと

いけなくなります。

目上には甘くしておくほうが、賢いんですよ。



とはいえ最初のショックな部分は残ります。

これまでの身分では当然とされていたものに、配慮がされなくなります。


例えば、

自分の気持ち、自分のプライベート、自分のやりたいこと。

ですね。


それまでは、そうしたものを誰もが認めてくれていたはずです。

しかし実際は、もっとも軽視される類のものであるという事です。

これに驚いてしまったんでしょう。


全ての大人は、業務の責任を問われるばかりでして、気持ちなど聞かれません。

プライベートは業務を優先した上で、自分から主張して確保します。

自分のやりたいことは、予め業務として定められているものの中から選びます。

これもそれなりに戦いませんと仕事に出来ません。

マシに思えるものを探すか、自分で工夫をしてマシにするか・・・。

誰もがそうしています。


1年くらい我慢していますと、段々と慣れてきて驚くものです。

ちょうどその頃に新人が入ってきます。

その新人のキョゼツっぷりが面白く、

親切にしたり、諭したり、自分は強くなったと悦に行ったりして、

気がつくとそれなりの人物に成長しているという寸法です。


ですので、私が新人のときなどは、

「まあ色々あると思うが、1年は我慢しろ。1年だ。」

と教えてくれました。

当時は意味が分りませんでしたが、1年たつと後輩が入ってきます。

自分が先輩になるからですね。

冒頭で、社会の底辺と言いましたが、それはたったの1年で卒業だったんです。


体育会系とはいいますが、

それに耐え切った人に対しては、先輩方も一目置きます。

「ああ、xxは大丈夫だな。悪いが、○○に教えてあげてくれ。」

と急に自分を目上の方が尊重し始めます。

正に可愛がられる様になります。


その頃は、お金はあるし、休みもそれなりに貯まっているし、

どう言うときに休暇が取れるかコツがわかっていますし、

割と豪華な遊びを同僚と出来たりします。

このとき思ったのは、

「社会が厳しいとか、ありえん。大アマだ。学生の頃なんかには戻りたくない。」

でしたね。

恐らく多くの社会人の方が同じ感想であると思います。


ところが誰もがそうなっているわけではなく、毎年一定数の新人が辞めます。

自分に対する扱いに悲観をして、これが何時までも続くと勘違いをしてしまうからです。

これが錯覚であるという事、飲み込まれないようにすることが大事なんです。

またこの錯覚、やめたいという衝動は周期的にやってきます。

これに耐える部分が辛いですね。

これを厳しさと言うのであれば、そうだと思います。


ですので、質問者さんが落ち込んでいるのは、

本当は違ったんではないか?

実は損をしたのではないか?

と言う直感から来る後悔でしょう。

次にやれば、また、就職活動、最初の厳しい1-2年を繰り返すことを知っています。

私はこの時期が人生でもっとも苦しいものだと思っています。

それを最初からやり直すと成れば、やる気が起きないのも当然でしょう。


私は、大学入試で落ちまして浪人をした事があります。

このとき思っていたのは、

「次に失敗したら、また同じ一年を繰り返すのか。何て非情なんだ。」

です。

やりきって乗り切る以外に方法が無く、逃げればやり直しになる。

そういうものが、大人に成るための通過儀礼としてあるんです。

この通過儀礼の厳しさには、何を言っても通じませんし、誰も助けてくれません。

頑張るしかないんですね。


「懇々と(絶望しつつ)今を凌ぎ続けて、耐え切るしかない。」


そういうものがある事を知り、これに打ち勝たないといけないんです。

私は(嫌ですけど)出来ますし、他の大人の方は皆出来るでしょう。

子供の頃に出来たわけではありません。

なので、後天的に獲得したものです。

大変大きな自信がつきます。


質問者さんが自信を喪失したのは、そういうものであると直感したからです。

逃げてしまってはいけないと知っていたんでしょう。


労基法違反であるとか、パワハラだとか沢山ありますので、一概には言えませんが、

視点を変えてみれば、ある種の通過儀礼であったのは確かなんです。

「あいつが耐えているのに、俺は理屈をこねていいんだろうか?

 後で、成長の差になったりしたら、いやだなあ。」

こういうものだったんじゃないでしょうか。


たった1年2年です。

歯を食いしばってでも、耐え抜いたほうが良かったんでしょう。

「もう二度とやりたくは無いが、

 一生に一度もそういう経験が無く、

 それに耐え切れるという自信を得られず、

 不安がって生きて行くほうが、後々不幸だと思ったんだ。

 だから、今回はそういう自分試しの経験だとして、

 自分のためにやっておく。

 相手がどうこう言って、理屈をこねてしまったら、二度と同じ経験が出来ない。

 下手をすると、一生最初の一年を繰り返して、挫折を続ける。

 そうなれば、一生苦しいのと同じだ。」

こんな風に考えていたら、違ってきたと思いますよ。


あと、私は良く知りませんが、

自分のやりたいことをやりたいと主張するのが格好いい、とか風潮があるんですか?

これがもっとも間違っていませんか?


その格好良さは、

どちらかと言うと「毎日歯を磨きます。」位のものだと思いますよ。


本来は、

・私は自分の責任を放棄せずに留まります。

と言うのが、もっとも格好良いと思います。

その逆に、

・やりたいことをやれなので責任を放棄してもいいですよね?

は、格好悪いでしょう。

なにせ、この二種類しか大人はいないんですから。

自分がどちらを友人にしたいか自明ですし、自分がどちらに成りたいかも自明です。


けっして、後者にならないように。

それを選んだとき、生きているのが辛いと常に感じるのは当然でしょう。

他の人が全て眩しく見えるはずです。


「私は、自分の責任を放棄せず、留まり、やり遂げます。」


これを唱え続けて、懇々と取り組むことです。

必ず、道が開けると思います。




以上、ご参考になれば。
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鬱ですね。

一昔前なら、単に贅沢病。
家業という逃げ道があるから、甘えてるだけと言われたでしょう。

そもそもサラリーマンをやるのに、「自分のやりたい事」をやって、
「残業やパワハラ、プライベートな時間への干渉がイヤ」なんて
甘っちょろい事を言ってられません。
事業主なら良いです。
でも、サラリーマンなら自身と家族位を幸せにすればよいですが、
事業主には、社員と家族の幸せや地域、社会への貢献も必要です。
自分ひとり幸せにできなくてはとても無理ですね。

で、どうすればよいか?
1日もはやく次の仕事を見つけましょう。
早くしないと(ブランクが長くなると)、雇ってもらえなくなります。
何でも良いです。修行なのですから楽しいわけがありません。
恐らくご両親もそういう勉強をさせようとしているのでしょう。

せめて3-5年嫌な仕事に耐えられてこそ、
他人の上に立てるというものです。
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