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1955年ごろ、日本でDK(ダイニングキッチン)が造られましたが、その台所の流しの下が空間になっていたそうなのですが、それはなぜですか。

A 回答 (5件)

昔は、修理しやすさのために、シンクの下がオープンスペースになっていました。


少し前までは(今でも)デザイン的な物で、シンクの下は、扉が付いたいます。

最近は、バリアフリーと言うことで、車いすでも利用できるように、と言うことで、またキッチンセットの下が開くような、デザインもはやってきています。(それでも、パイプ類は目隠しされています。)

この回答への補足

今まで私の質問の仕方が悪かったようです。すいません。シンクの下の棚、ではなくシンクの下に戸棚がない住宅のことです。シンクの下には戸棚もない空間がある住宅、最近のバリアフリー設計のシンクのような形をしたものの事を聞きたかったんです。そのような住宅が公団住宅時代にありましたか。あったのならそれはなぜですか。何度もすいませんがわかれば早急にお願いします。

補足日時:2001/07/02 14:16
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補足質問にあるように、下水管の詰まったときなど外し易いように空いていると思います・・・しかしこの部分は下水本管に


接続するための細い部分ですから、最近の製品では柔らかいビニールパイプ状のもので出来ています。

その下水管が邪魔なので、出荷当初からその部分に棚が付属品として付いている製品はないと思います。
それと棚と言う意味は板でなく間の空いた金属製のはずですが、どのような事がお知りになりたいのですか?

つまりその部分には55年頃から今に至るまで、出荷当初から棚のついた製品はないのですが、棚にこだわる理由は何でしょう?

ディスポーザーとは流しの裏側に直接取り付けるのですが、流しの上から見ればゴムの蓋の下のゴミ取りの部分に直接、
野菜クズや魚の骨などを捨ててフタをし、スイッチを入れると食材のクズが粉砕されて、後は水とともに流すという装置です。
・・・ドロドロの状態で流れるので下水本管が詰まりやすくなるので集合住居(マンション)などでは敬遠されがちですす。

この回答への補足

棚にこだわる理由は、棚(戸棚)があるものが一般的なのかと思ったからです。現在もシンクの下が空間になっているほうが一般的なのですか?最近ではその空間を利用して椅子を置いて家事をすることもあるようですが、そのために空いているというのもありますか?

補足日時:2001/06/29 16:51
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補足の説明ですが、シンク(水槽)の部分の下は、もともと空間が狭いことが大きな原因の一つでしょう...かと言って



四合ビンがやっとギリギリで、一升瓶は入らないという高さですから、今の製品でも棚がないのが一般的です。

外国製にシンクの下が空いているのは別の理由からで、シンクの下にディスポーザーを設置し始めたのは昭和35年頃から

ですが、国産は性能が悪く一次すたれました。。。集合住宅では下水管の本館が詰まる恐れもあり、普及率は低いようです。

この回答への補足

シンクの下は高さがあまりなく、また、下水管の本管が詰まったときに修理をしやすくするために空いているということですか?でも、棚があるものもありますよね?あと、ディスポーザーとは何ですか。

補足日時:2001/06/28 17:09
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#1で理由を書き忘れていますが、戦前も一部上流家庭の厨房は現在のように扉のある戸棚がついていました。



しかし一般庶民の台所の流しの下は明け透けなのが普通でせいぜい一段棚があってすり鉢とか大きい鍋などが置かれていました。
当時は醤油ビンなどは台所の床下に収納していたのです。

戦後住宅では公団も安く住宅を作って供給する使命があったので理想は追わず、戦前の一般庶民住宅程度の厨房セットでガマン
したものだと思っています。

最近下を開けるようなデザインもあるかとは思いますが、それとは考え方の出発点が違うはずです。

この回答への補足

公団住宅の話です。調理台(流し台)の下には普通、棚がありますよね。でもその中で、流し部分の下だけが空間になっていて、他のガス台の下には棚があるんです。それはなぜですか。

補足日時:2001/06/28 16:33
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住宅公団の仕様に沿った流し台の事を指しているのかと思いますが、私の記憶では巾が182cm(実寸181?)で、当時珍しい


成型したステンレスのシンクがありました。

ところがもう一つ記憶にあるのは、特別に設計されたもので成型したステンレスのシンク、水切り兼調理台+ガスコンロが同寸法に
前板としてH=20cm位の板が付いただけのがあって、下部の方は何もなく下の扉や中の棚を自分で設計した事があります。

信じられないでしょうが、そのころ既製品には粗悪なものが多く、シャンデリアを含む照明器具、椅子、テーブル、作り付け家具
果ては壁に作りつける時計の文字盤・針、メインのドアノブに到るまでなんでも建築の設計事務所で設計していたのです。

私の記憶では昭和38、9年オリンピックの頃まで、厨房器具のセットまで設計していて、サンウェーブが出てきて後にやっと
雑用から開放されたのです。

今のように独立して仕事をこなすインテリアデザイナーも10人いなかった時代のお話です。
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