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寛容な人ってなんですか?
私は心の狭い人間ではないと思いますが、どうしても寛容になれません。友達にすごく心が広いと言われてる子がいて、確かにそう思うのですが真似しようとしてもできません。
彼女を観察すると、人の話でよく笑うとか、人を勇気づけたりするのが上手いと思います。でも私だって泣いてる子は慰めるし、人の話もちゃんと聞くし、たまには親切だってします。でも母は私を自己中だと言い、先生には視野が狭いとかよく言われます。
でも自己中って多分世界中の人間そうだと思うんですけど。むしろ自己中じゃない人間なんて会ったことありません。それを踏まえて寛容ってなんだと思いますか?

A 回答 (7件)

人間について 大事な事を考えてみましょう



まず寛容とは
1:寛容とは、個人が進んで他者の尊厳を擁護しようとする心である。
2:寛容は、人間の尊厳に対して義務をもつ価値観としてあらわれる。
3:寛容は、他者を理解し、他者の異なるあり方を尊重する能力を必要とする。
4:寛容は、安定した立脚点を前提とする。
5:寛容は、どのような文化的環境の人にとっても保護・尊厳・自由に役立つものである。
6:寛容を保障し、さらに発展させることは、教育の核心的要素であり一般的義務である



参考
君子 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage14.htm

友情 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage30.htm

信頼 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage13.htm

勇気 http://rokusann.sakura.ne.jp/index11.htm
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№3で回答した者ですがお礼を受けて再回答します。



>別に不器用な人を見下してるわけじゃなくて、頑張ればできるじゃんって思っちゃうんです。私は考査も頑張って学年二位までいったし、嫌いな持久走も1ヶ月前から練習していい順位だったし、頑張れば報われると思ってるから「できない」は甘えだと思ってしまうんです。できないならできるまでやればいいのにと。

それが独善なんですよ。
それは「頑張ればできる」人の言い訳でしかないんです。世の中には頑張っても出来ない人が居るんです。そして頑張っても出来ない経験や他人の数倍頑張らなきゃ他人に追いつけない経験を重ねることで、諦める癖がついてしまっている人間がいるわけです。そういう人に「頑張れ」というのは、ただの拷問でしかありません。出来ない事をやれと言われるのは、理不尽な嫌がらせ以外の何物でもないのです。
「何で頑張らないの?」と思ってしまうのはわかります。才能なんて大袈裟なもんじゃなくて努力が足らないだけ。努力すれば出来るようになるはず。努力しようとすらせず、努力の足らないまま出来ないとか出来なかったというのは甘えでしかない・・・でもそれは出来ない人からすると「出来ない」「出来なかった」という体験が足らない人の無知から来る身勝手な暴言でしかありません。


>寛容さは一種の才能だと思います。

この発言が丸々、私の言っていることの裏返しです。
「何で寛容になれないの?」と言われてどう思いますか?

才能なんて大袈裟なものではなくて寛容になる努力が足らないだけです。努力すればできるようになるはず。寛容になる努力すらせず、寛容になるための努力も足らないまま出来ないからと言って諦めている。努力が足らないまま「寛容なのは才能だ。自分には才能が無い」とあきらめている。そんなのは甘えだ。

いかがですか?あなたにとって上の文章はとても理不尽にしか思えないはずです。諦めてしまったことについて「出来るのは才能があるからだ」と思っている人にとって「才能じゃなくて努力が足らないんだ」と頭ごなしに否定されるのは非常な苦痛です。
同じ思いをあなたの周囲の人はあなたによって抱かされています。
あなたはそのことに気づいていない。そして、自分が無自覚に無理難題を押し付けていることに気づいていない。


>ただ、大人になれば寛容になるなんて嘘だと思いますよ。むしろ世の中は他人のダメな部分をイチイチ怒る、嫌な大人ばっかりです。

残念ながら、「成長できない大人」っていう人がいるんですよ。そして、そういう人ほど目立つんです。何故なら成長できた大人はうるさい事言わないから目立たないんです。そしてあなたはそういう目立ってしまうほど「成長できなかった大人」が印象に残ってしまっているだけです。

最後に、自覚してください。自分自身があなたの言う「嫌な大人」の予備軍なんだと。
成長して寛容さを身に着けることが出来なければ、あなたは確実に「嫌な大人」の仲間入りです。
今の時点であなたは「嫌な大人」と同じような人間だと周囲に思われてしまっています。
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自己中じゃない人間なんていませんが、度を超えた自己中は周りの人間にとって害悪なので嫌われますよ。



質問者様は幸せじゃないので、心の余裕が無いから他人に優しく出来ないなかなぁと思います。

どんなに出来た人間でも、幸せじゃなかったり病気の時とかは3割くらいは性格悪くなるし不寛容になりますよ。
イライラしてる時って、普段は気にもしない事に腹が立ったりするもんです。
まず、自分の事を好きになって大切にして、楽しい気持ちで過ごせばいいと思います。
自分の機嫌を自分でとってあげてくださいね。幸せにならないと、他人を思いやったり出来ないですよ。
優しくて寛容な人間になりたかったら、その優しい友達の行動や考え方を真似するといいですよ。
素敵な人になれて、ついでに幸せになれると思います。頑張ってください✰
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「でも自己中って多分世界中の人間そうだと思うんですけど。

むしろ自己中じゃない人間なんて会ったことありません」
⇒あまり極端な言い方をするのではなく、程度問題という捉え方がいいと思いますよ。
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理解できることです。



人はたまに普通なら当たり前にできることなのに失敗したり出来なかったりすることがありますよね?
当たり前に出来ることが出来なければ、たいていの人は「何でできないの!?」と怒ったりします。それは当たり前のことです。
ですが、世の中には当たり前のことができない人っていうのが居るんです。「ダメ人間」です。
本人がきちんと自覚してなんとかしたいと思っていても出来ない。どうしようもない。

普通なら「その人がダメだから」という結論に行きついたりします。結果、その人を切り捨てるようになる。だって仕方ないじゃないですか、普通の事が出来ないダメ人間なんだから・・・

でも、色々と経験を重ねていくと、「普通の事が出来ない人」「当たり前のことが出来ない人」という人が、実はそれこそ普通にどこにでもいることがわかってきます。そして、自分自身もそうしたダメ人間の一人なんだと気づきます。
何でもできる人ってのはいないんです。誰にでも「ほかのヒトがやるように普通に出来ない事」があります。そういう不得手な部分が「ほかのヒトもやっぱりできない」と普通の人として受け入れられ、「ほかのヒトは普通にできること」だとダメ人間のレッテルを張られてしまうわけです。

得意分野/不得意分野が違うだけ、程度が違うだけで、誰でもダメな部分を持っているのは共通なわけで、決して誰かが劣っていて誰かが優れているというわけではない。自分にも必ず出来ない事がある。そしてそのことによって他人に迷惑をかけたり世話になったりしている。ダメなのにはダメな理由がそれなりにある。

そのことを理解できると、他人のダメな部分を見せつけられても「まあ、しょうがない」と思えるようになります。だって、今はこの人のダメな部分が目立っているだけで、他の部分では自分だって同じようにダメな部分を抱えてるんだから、その人を叩けるほど自分は偉くはない。だったら、その人のことを怒ったってしょうがない・・・と、自然と諦めがつくようになります。

人が大人になるにつれて丸くなるのは、こういうことです。30年40年と生きていくと、どうしても自分のダメな部分を自覚させられるようになりますから、他人のダメな部分についてイチイチ怒る気にもならなくなるんですよ。もう、許容するしかなくなるわけです。

寛容な人というのは、そういう許容できる範囲が広いのです。

ダメな人、失敗してしまう人、そういう人にはそういう理由があるんだと、仕方ない部分があるんだと、説明されるまでもなく察することができる人はとても寛容です。
あなたが「視野が狭い」と指摘されたという事は、おそらくそういう意味での寛容さがないのでしょう。ダメな人がどうしてダメなのか考えようとしない。他人に厳しく、自分に甘い部分がある。少なくとも周囲の目からあなたはそのように見られているのだと思います。
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この回答へのお礼

私は多分、人にも自分にも厳しい人です。自分で言うのもなんですが努力家だと思います。だからなんらかの病気とかでうまくできないならまだしも、努力もしようとしない人がどうしても受け入れられない部分があるんです。別に不器用な人を見下してるわけじゃなくて、頑張ればできるじゃんって思っちゃうんです。私は考査も頑張って学年二位までいったし、嫌いな持久走も1ヶ月前から練習していい順位だったし、頑張れば報われると思ってるから「できない」は甘えだと思ってしまうんです。できないならできるまでやればいいのにと。
別に自分が器用だって自慢したいんじゃなくて、悔しいんです。なぜ努力してもしても自己中だとか視野が狭いとか心が狭いとか言われなきゃいけないのか。反対にその友達は人からいとも簡単に愛されるのか。今日世界史で習った項羽と劉邦みたいだなって思いました。項羽はエリートだけど人が離れていく、劉邦はダメ人間だけどその寛容さで人を惹きつける。
でも客観的に見れば確かに、自分のこと受け入れてくれる人の方が良い奴にきまってますよね。そりゃついていきたくなるのもわかります。
ただ、大人になれば寛容になるなんて嘘だと思いますよ。むしろ世の中は他人のダメな部分をイチイチ怒る、嫌な大人ばっかりです。寛容さは一種の才能だと思います。回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/18 23:15

思いやりの心

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寛容な人は利他的で、自己中であることを見せない傾向があるのかもしれません。


人の痛みや長所などをよく分かっていて、その人の立場で物事を考えられて、いつも丁寧で、
例え許し難い事が起きても、決して感情的にはならずに真摯に対応できる人のことだと思います。
ご質問者様のお友達もそのような方なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

いや、彼女も自己中っちゃ自己中なんです。
でも結果的に「めっちゃ良い奴やん」ってなる不思議な魅力があるんです。確かに、人が失敗しても怒るとか全くないし、むしろ手助けしてくれる優しさがあります。私も見習いたいですが、彼女のように自然にできる気がしません。きっと天性の天使的な部分があるんだと思います。ほんと、素敵で羨ましい限りです。回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/18 22:51

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