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太平洋戦争中の日本軍の水際撃滅作戦は水際に充分な対爆撃、対艦砲防御トーチカや沿岸砲を多数準備出来れば、米軍を撃退出来たでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

質問者さんが戦略的観点からこの質問をされているならば


答えはNOです。米軍撃退はできません。

人間が作ったものを、人間が破壊できないものはありません。

確か、ノルマンディの一部ではかなりの水際防御陣地が構築されていて
相当頑固に抵抗したようだけど、結局連合軍に押し切られた。
海岸線に不十分なところがあったので、そこを狙ってのノルマンディだけど
大規模部隊の揚陸なので防御不十分な海岸線だけでは上陸しきれず
防御側の戦力分散という狙いもあっての
重防御地域への正面突撃だったようですけどね。

制空権も制海権もない史実の太平洋戦争後半において
また、
物資輸送船団の護衛に積極的でなかった日本海軍の低レベルな戦略や
そもそもとして島嶼に質問者さんが言うような頑強な防御施設を作るだけの
土木技術も機械化機材も材料物資もない当時の日本において
1トンもある米戦艦主砲の徹甲弾に対抗できるトーチカなど作れるわけがなく
さらには、
戦後70年以上経過してもいまだにこんな「現場のレベル」な質問が飛ぶようでは
勝てる戦争も勝てませんよ。

どこを攻撃するかは、攻めてくる側に選択権があります。
膨大な物資と時間と労力を投入すれば当時の日本でも
米戦艦主砲や重爆撃機の爆弾に耐えられるトーチカなどは作れたでしょうが
なんで、
そんなところをわざわざ攻撃する必要があるんですか?

そんなところは「放置」しとけばいい。

でも「放置」できないところもある。
効果的な飛行場を持った島は、どんなに出血してでも確保してくるでしょうね。

陸続きの欧州戦線とは違い、島嶼での戦いになった太平洋では
飛行機と潜水艦による「補給路の遮断」から攻撃が始まる。
対象の島には効果が無くても連日爆撃を行う。
防衛側の兵士が心理的に疲弊するように攻撃するんです。
身心ともにある程度「干上がったところ」で戦艦部隊で殴り掛かる。
ここで、質問者さんが設定したような「砲撃に耐えられる防衛陣地」が応戦する。
地面に固定された要塞砲のほうが命中率は高く十分な応戦ができたでしょう。
ですが、やがて弾薬が尽きる。
補給ができなくなったら駆逐艦などの小型艦艇が接近し
「目つぶし」のために銃眼めがけて精密射撃をしてくる。
そして、海兵隊による上陸です。

どんなに強力な防衛陣地を作っても
地続きではない島嶼においては補給路を失った時点でアウトなんです。
10年くらい籠城できる物資を貯め込んだとしても、
砲撃で摩耗する要塞砲とかのメンテナンスもできないんだから意味ない。

絶対に防衛できる超強力な要塞島を作っても
その島の中に補給物資を作る工場や発電所や製鉄所や鉱山まで持たないとならない。
もちろん、そこに居る人間の為の田んぼや畑も必要でしょうね。
そんなものできると思いますか?

補給路を遮断されたうえで攻撃され弾が尽きたところで
火炎放射器で生きたままバーベキューにされるだけです。

当時の米軍の戦略思想と、ご質問のような「現場の対策」とでは
小学生と大学院生くらいの「考えの違い」があるんです。
こんなことでは、絶対に勝てませんし
勝てないのであれば「作っても無意味」です。

でもって、
当時でもここまで考えていたんでしょうけど
別な打開策がないからヤケクソになって「玉砕」してた。
これが史実でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます、映画プライベートライアンのような大西洋の壁よりももっと強力な要塞で戦術での勝利により戦略次元での時間軸を稼ぐことを目指しての質問でした。敗戦が1年延びていれば、歴史は変わったのではないかと自作仮想小説のネタで考えてます。今回想定している太平洋の島々はマリアナ諸島、トラック、パラオ、西部ニューギニアなど絶対国防圏とし、米国も攻略回避出来ないチョークポイントです。トリポリの戦いなどで証明されてるように艦砲よりも充分に防御された重沿岸砲の方が有利ですよね。米国艦隊の数以上の砲弾を備蓄する事も時間を掛ければ難しい事ではないと思いましたので。史実でも上陸第一波を撃退した事例もあるので、永久に撃退は不可能としても、回答頂いたように10年と言わず2年時間稼ぎするだけで歴史は大きく変わったのではないでしょうか? ただ装備の破損の累積はどうにもならなさそうですね。

お礼日時:2017/06/25 11:19

水際に防御陣地をいくら築いても、航空機で、その後方を叩けば終わりですよ

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水際撃滅作戦は、太平洋戦争末期には日本軍の防御方針の転換により採用されなくなりました。



水際で連合軍に一時的な損害を与えても、すぐに艦砲射撃と航空機による爆撃でせっかく構築した陣地・トーチカが集中攻撃されてしまい機能を喪失してしまいました。
そのため、硫黄島や沖縄では内陸に米軍を上陸させておいて持久戦を取るという戦術に変更されています。
硫黄島では命令が徹底せずに、一部砲兵が米上陸舟艇を砲撃したため、艦砲の反撃を受けてしまいましたが…。

硫黄島や沖縄では、米軍を撃退することを作戦目的にするには、守備軍も実現が難しいことを認識していたために、
内陸側に誘い込んで塹壕戦洞穴戦の時間稼ぎで出血を強いる戦術になってしまいました。

昭和17年辺りならそのような水際戦術も可能かも知れませんが、昭和18年頃になると米軍の海上戦力の充実してきており、
中部ソロモンの戦いでは米艦の艦砲や隣の島からの砲撃の支援で、日本軍の守備隊が弱体化されています。
更に昭和19年頃には護衛空母の量産化等が行われ、海上から上陸部隊に対して支援することが可能となっています。
レイテ海戦で栗田艦隊が米護衛空母群と遭遇しましたが、それらの護衛空母群の任務の一つに陸上支援がありました。

硫黄島や沖縄では、そのような戦訓を研究した結果、内陸に誘い込むという作戦になり、結果は敗北していますが作戦としては十分な効果が有ったと私は考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます、当時の日本軍は結局、満足な建設資材が無く不十分な防御施設だったと思います。艦砲射撃をものともしないほど強固な沿岸要塞を構築してたらと仮定すればどうでしょう?

お礼日時:2017/06/24 23:33

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