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橋を落とせば車両、電車が動けなくなり、大きな打撃を与えることができます。
米軍は空襲で積極的に橋を爆破しましたか?
無差別空襲だけが有名で、橋の話はあまり聞きません。

A 回答 (5件)

 第二次大戦時の米空軍では、鉄橋の破壊はかなり困難だったかと。


 工場を数十機のB29が空襲して、命中弾は一発もなし何て事が有った位なのですが…。

 なお、時代は下がりますが、航空機による橋梁攻撃だとベトナム戦争時のタンホア橋への攻撃が有名かと。
 (スマート爆弾[誘導弾]の歴史を語る時に必ずと言って良いほど上げられます。)

 この橋は米空・海軍による3年間、800ソーティー以上の攻撃機による攻撃に対して、何度か通行不能には成りつつも素早い修復で攻撃を耐え切った橋です。
 (北爆停止まで耐え切った…。)

 北爆再開後は、米軍の威信に掛けた最新鋭のF-4ファントムII(今でも自衛隊では改良型が現役)とAGM-62 ウォールアイ(テレビジョン誘導滑空爆弾)によってやっと橋桁を落とす事に成功しました。
 (ただし完全使用不可能[ベトナムが復興を諦める程の被害を与えるまで]にするには、上記兵器をもってしても更に10数回の空爆を必要とした。)

 つまり、頑強な鉄橋を破壊するには、ベトナム戦争時の最新鋭機の照準性能と誘導爆弾が無ければ困難な訳です…。

 また、少々な被害だと簡単に復旧されてしまいますし、橋ですから当然内陸で、敵による激しい迎撃を受けつつ攻撃する事を強いられます。
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この前は艦載機は本土を爆撃したか?


後で調べれば相当な記録が出てきました。

次はこれ。
終戦前15日の記録ですので
日本軍は積極的な防空を放棄して本土決戦準備中で航空機を内陸に温存していた頃です。

http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/aug45.html

上記では、鉄道(設備全般)は、飛行場並みの戦略価値を見出していた恐れがあります。

駅でP-51の機銃掃射で死んだ。
などと言う小説はほぼ事実を元にした可能性が高いです。(これは艦載機ではありません。)
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 積極的にはやってませんね。



 他の皆さんからの回答にあるように、橋梁の破壊はかなりの精度の爆撃能力を要します。また戦略的に重要なポイントですので、対空砲なども集中的に配備される傾向がありました。ヨーロッパ戦線では連合国側もドイツ側も結構橋梁に対する航空攻撃を実施していますが、どちらもしばしば全滅に近い被害を被ってます。

 さて太平洋戦線末期の日本においては、B29では当然できませんので、やるとすれば精密爆撃が得意で2000ポンドクラスの爆弾が詰める空母艦載機ヘルダイバーか、なんでもできるF4Uなどになりますが、この時期には空母に搭載する機種は戦闘機の割合が増やされていたようで、相対的にヘルダイバー等の機数は減っていたようです。F4Uは何でも屋ですが精密爆撃が得意という話は聞きません。

 ヨーロッパ戦線の戦訓もあり、いくらタマの当たらない日本軍であっても、相対的に高い被害の予想される作戦に(戦闘機より)高価な機体を使う必要はない。だからといって戦闘機じゃ当たるかどうかわからない。どうせ連日の都市・工場爆撃で日本の工業力はすでにヨタヨタになってるし、無理して攻撃する必要も無い、と考えたのかもしれません。

 そのかわりといっては何ですが、機関車・列車に対する戦闘機による機銃掃射やロケット攻撃は盛んに行なわれていたようですよ。記録フィルムも結構残っています。
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家屋は木造だが、橋梁は鉄骨。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%94%9F% …
広島の原爆の直下でも、橋梁は残ってしまっています。

橋梁を壊すには、質問文で「爆破」とあるように、構造上のポイントとなる部分に爆薬を詰め込むとか、かなり難しい。
戦争映画を見ていると、橋梁を爆破するために苦労しました、というのが結構出てきます。

そのくらい難しいことなのです。
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爆破っていうより、爆撃でいいですよね?



空襲で橋を落とすって、なかなか難しいんです。爆弾に目はついていないですからね。特に日本本土への空襲はB29が主でした。終戦間際になりますと空母艦載機からの空襲もありましたけどね。
B29から高度3000m(B29は高高度爆撃が可能でしたが、命中率が悪くなるのと、日本軍に有効な迎撃戦闘機がなかったせいで高度3000m程度の低高度爆撃に変えて大成功しました)で爆弾バラまいてもなかなか当たるもんじゃないし、たかが橋ひとつ落とすためだけにそんなに金もかけられません。
もちろん攻撃目標にしたこともあったでしょうが、優先度はそれほど高いほうではなかったと思われます。

で、対日爆撃の場合、実は日本を最後に締め上げたのは機雷でした。
意外に思うかもしれないですが、日本の物流特に戦前の物流の中心は船でした。船というのはコストが安く(トラック輸送の1%程度です)しかも一度に大量に運べます。戦前日本の大動脈が釜山から関門海峡を経て大阪に至る瀬戸内海のルートです。
米軍は瀬戸内海と関門海峡にB29を使って機雷をばんばん投下しました。これがそれでなくても滞っていた日本の物資不足に最後のパンチを与えました。これはただ単に物が運べなくなっただけじゃなくてですね、日本人は魚を食べますでしょ。機雷もあるし空襲もあるので漁に出られなくなっちゃったのですよ。
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