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何年か前にこの曲がヒットしました。
メロディーが好きでしたし、この歌詞なので何回か聴いて思索をしたものでした。

「正義」って、改めて考えてみて、何でしょう?

正義と正義がぶつかった場合、大抵争いになるでしょう。
争いになり負けたほうは犠牲になると言えるでしょう。
犠牲が出ることが正義と言えるのでしょうか?

過去の権力者が使ってきた正義という概念の呪縛から、我々一般大衆は解き放たれて
いないのではないか?

だから、「神様、人類を滅ぼしてください」と「神様、私たちの世界に平和を」という
二つの願いを同時に持つことになるのではないだろうか?

A 回答 (17件中1~10件)

>現代においては、「知識人」は一般大衆側ではなくて体制側であるという前提で構えざるをえないという点が特徴と言えると思います。

つまり、信用できないということですね。

お説、ごもっとも。私はまだ自分の結論が出ていませんが、明快なご指摘に納得しています。

場を作るですか。ここで知識人がどういう役割を果たすか、というよりむしろ逆に、知識人とみなされた人物=私がどのように混ざっていけるかということが、課題になりそうです。学術の場とは異なり、煙たがられることもあるわけです。学問をしたい人がいればセンセイみたいな役に収まりますが、そういう雰囲気が嫌だという人ももちろんいるわけです。今のところ、私は遠慮しているのと、そういうところでは自分が生かせないだろうと思い、自分で離れて行っていますね。
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この回答へのお礼

「場を作る」なんていうことは、気が遠くなるほど難しいこと、なんて、つい
思ってしまうのですが、そう思ったらそのようになってしまうのが人間の世界
と言えるでしょうね。

その実現のためには、いくつもの才能の結束が必要でしょう。

企画する才能、推進する才能、人を集める才能、人をまとめる才能、知識・知
恵を披露できる才能、こまごましたことに気を配れる才能、等々…

こまごましたことに配慮し動く人は日本人にはたくさんいて、余ってしまって
いる(笑)。
しかし、全体観でもって動く人が極めて少ないと思う。日本では「男文化」が
衰退しているためだと思う。

まずは、「郷土愛」と「才能」も持った人間の結束から始めるべきではないかと
思います。

お礼日時:2017/07/23 10:27

正義と言う曖昧模糊とした人格の無いもの味方?これに、生死は、かけられません。


いくら、私が、アホでも、無理です。(悪党が、正義に人格付けする事も、ありますよ。ヒーローて名前ですが!)
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この回答へのお礼

「正義」は単純で明快なものですよ。

お礼日時:2017/07/22 22:45

応答が遅れてすみません。

「確認」と書きましたが、白井氏の寄稿はDRさんとなんとなく似ている主張かなと思って、叩き台として話を振ってみた程度だったのでした。まず私の立場を先に正直にいうと、白井氏のことは大して私も知りはしなくて、SNSで「いいね」が回ってきたという程度のことではあったのです(知り合いの、知り合いの、そのまた、と辿っていくと知っている程度。でもこれを言ったら、日本中、皆知り合いでしょう。つまり私は何も知らないということもできます)。

簡単なようでいて、難しい話で、話を振ったはいいが、私がうーむと考え込んでしまいました。他のDRさんの問いとも関連しますが、基本、私は動かない人間です。自分が動いて意味がある範囲を見極めていて、私の専門性が発揮されない範囲は動かないわけです。政治などに関連が深い研究者に、委ねていると言えば聞こえはいいが、大体において、「ふーん、そういうことでいいのかな」なんて斜に構えながら、距離を取っているわけです。DRさんにバシッと賛成と言われると、怯んでしまうわけです。

研究者が知識人=リーダーとして、様々な「声なき民」の代弁者となること。あるいは彼らの運動をまとめていくこと。こういうことが白井氏の論点にあったわけですが、2つ、考えています。

まず、かつての運動で知識人の役割は一旦終わったとされていました(1960年代のフランスの学生運動あたり)。運動に参加する人たちは、教養も学歴もまちまちです。論理的に整理されていないことを言っている人もいるかもしれない。これを含めて「声なき民」と呼ぶことで、「本当は声がある民」を抑圧してしまうのが、かつての知識人の問題でした。もう知識人はいらない、運動の参加者一人一人が、自分で考えられる程度の頭を持っている、という話になって、知識人は一旦役割を終えたわけでした。

しかし今の時代、別の意味で「声なき民」というのが登場したわけです。白井氏のエッセイだと、2パターンいます。まず北朝鮮のミサイルの訓練に備え、農業用水路の陰に隠れるお百姓さんです。これはそのお百姓さんには失礼だが、ある意味、分かりやすい。しかし一方で識字率が上がり、ネットもあり、こういう人が「責任世代」になってきています。そういう中で本当の意味で、知識人が守ってやらないとならないような「声なき民」がいるのか。

白井氏の言葉の行間から読み取れる話だと、政治家とメディアの結託によって、正常な判断を妨げられた人たちもまた「声なき民」ということになりそうです。そういう人たちの隷属させられた虚偽意識を破砕していくことが、大切ということになるんでしょう。このためには知識人が率いていく組織化された運動のようなものではなくて、「No」を突きつけ続けるゲリラ的な活動が大切ということになるんでしょう。

うーむ。現実はこういうことなのか。私には判断がつかないところが大きくあります。「No」を突きつけ続けて、左派が場を破壊し尽くした時代もあったと思いますが、現代は場を作っていく時代ではないか、という気もするのです。とは言え、安倍政権とメディアに対しては、いろいろと思うこともあるわけで、ストップをかける必要性はあると思うのです。
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この回答へのお礼

これまでの「民衆運動」と言うものが、どのように行われてきたかという
知識がほとんどないもので、これも勉強しないといけないのですが、現代
においては、「知識人」は一般大衆側ではなくて体制側であるという前提
で構えざるをえないという点が特徴と言えると思います。つまり、信用で
きないということですね。

今までのように、一人の人間が絶大な影響力を持つということはもはやな
いと思われますし、危険なことでもあると多くの人が考えているでしょう。
しかし、それでも一般大衆というものは「リーダー」を欲するものだと思
います。

ですから、できうる限り知識と経験があり、責任感と正義感と情熱を持つ
「カリスマ性」を持つ人物がリーダーとして立つべきだと考えます。

こういう「長老」的存在の話は以前どこかでしましたね。

小さな行政単位で、権力を持たないリーダーにリードされ自律的に運営さ
れてゆくという形に、国がなればいいと思います。

女性でもいいのですが、基本男子だと思います。男子をそのように教育し
たらよいのですが、現状は残念ながら「真逆」になっていますね。

「場を作る」ということでは、各地域に自律的な「まとまり」を作ること
は重要であると思います。

お礼日時:2017/07/22 22:43

沈黙の正義、独裁政権下なにも言えない。

しかし犠牲者がいない、偽りの正義と平和
私は、アンタイヒーローのほうが、的を射ていると思います。ヒーロー「英雄」が、出てくるとき、いつも戦争、テロ、独裁者が、出て来ます。イラク戦争では、ブッシュが、正義のヒーロー北朝鮮では、金が、ヒーローであり、憧れであり、ヒーローです。
どうせ、世界平和が、来ないのなら、人類がどのような、末路か見てみたい。
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この回答へのお礼

どうせなら、正義の味方になって死のうと思う。

お礼日時:2017/07/20 23:27

この質問に回答する資格が、あるのか疑問ですが、義務教育だけしか受けていまい者としては、正義とは、聖戦とは、加わる者(戦闘員、被害者)全てに責任があるのか、又はないのか?最近では、独裁者を倒す正義、異端宗教を排除する聖戦。

この言葉に、脅されている戦闘員、その実、無辜の民を巻き込んだ大量殺戮。そこに正義、聖戦は、あるのでしょうか?
しかし北朝鮮のように核ミサイルのボタンに指をのせ他国を脅す独裁政権が、あるのも事実「国民全体の幸福無視」独裁者は、正義の呪縛に取り付かれ保身に走る。
文明文化(麦、米)耕作地の取り合いからの戦争いつ終わる事やら?
正義とは、概念そのもの定義するのが、まことに難しいですね。
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この回答へのお礼

犠牲がないのが正義と言っていいかもしれません。

お礼日時:2017/07/20 02:57

回答では無いですが、この歌の、「神様、人類を滅ぼしてください」と「神様、私たちの世界に平和を」は、同じ願いであって、二つの願いじゃ無いんじゃないですかね?


何故なら、「人類」≠「私たち」では無いからです。
「世界」には、人は入っていないんですよね?(「世界」に入っているのは、人と僕以外です)
つまり、「私たち」は人類以外です。
歌詞の中で、人がいるのは、「セカイ」であって、「世界」では無いようですね。
この歌では、「正義」って歌詞は無いですが、「正解」、「間違い」、「自由」は、それ自体が化け物で存在しないと言っています。
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/18 15:26

>「ファシズム」を生み出す土壌は整っていると考えます。



確認ですが、次のサンデー毎日の記事みたいなことでしょうか。
「『永続敗戦論』の白井聡が退陣勧告「安倍首相よ、即刻辞任しなさい」 国民は政権への隷属を拒否しよう」
https://mainichi.jp/sunday/articles/20170710/org …

まあもうひとつコメントを。正直にいうと、私はヴァーチャルな次元で生きている人の軽薄さもよくわかっていて、かなり嫌な気持ちもするのです。独断的で、短絡的。論破するのは容易だが、想定外のことがあると、ハラスメントだと訴え始める。
腫れ物に触るように扱わないとならない。可能ならば、関わりたくない人種なんです。
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この回答へのお礼

白井氏が言うことと同様のことを憂えています。

先進国には多かれ少なかれ、この独裁的傾向があると指摘する人はいます。
一人の人間として、生まれて死ぬまで文明の歯車の一つとして消費されるなんて
真っ平ごめんです。

>ヴァーチャルな次元で生きている人

はっきり言って同感です。
義理と人情に厚い、人間らしい人とだけ付き合いたいなんて思います、できることなら。

お礼日時:2017/07/18 08:46

余剰があるから戦争ができるですか。

なるほど。わたその点を、精神的な飢渇が存在すると考えていました。しかしまだ他の観点が存在し、考える価値があると思いました。
また、私は、欠乏を人々に与えることで争いに駆り立てるのだと考えていました。
興味深いお礼でした。
ご指摘のところ考えて見ます。
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この回答へのお礼

>精神的な飢渇

これは現代的な重大な問題で、場合によっては巨大な力に収束されるのではないか
と思えます。
イジメなどのハラスメントは分散した形で各地で起きていますが、これが一つの感
情にまとまってしまうとしたら、恐ろしいですね。

>欠乏を人々に与えることで争いに駆り立てる

なるほど、為政者のテクニックとしては随分昔からあったとしてもおかしくないで
すね。

お礼日時:2017/07/17 12:49

正義なんて自己陶酔的な高尚なお遊び、言語のキャバクラみたいなもんでしょーーーーーー。



だから嫌いなんだよーーー。

妥当な社会のあり方なんて頭でどうにかなるもんじゃないと思います。

な(^3^)/らる、自然体な構えから必然的に生じるでしょ。

ありがとうございました、、、
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この回答へのお礼

高尚なお遊びって、世の中に溢れていると思う。

大した才能を発揮しているよ、遊びについては。

お礼日時:2017/07/17 12:32

未熟な時代の混沌の中の正義というのは


どの正義も若干の矛盾を含んだものにしかなりえない。
その矛盾のせいで犠牲が出る争いにしかなりえない。
矛盾のない正義というものが見つかれば
それを根気強く分かり合えばいいだけ。
そんな気がします。
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この回答へのお礼

矛盾のない正義というものを探究することも
それを、根気よく分かりあおうという作業も、
現体制の中にはないので、場合によっては、
体制に背くことになるでしょうし、また、悪
のレッテルを貼られることになるでしょう。

そんな風に思います。

お礼日時:2017/07/17 12:28

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