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人間の意識は脳細胞の物理的活動の結果生じるものである。
脳が死ねば意識は無くなり、人間は無になる。
死んだら終わり、あの世も永遠の魂も存在しない。
どなたか論破できますか?

A 回答 (19件中1~10件)

ない


と言い切れるなら 根拠を論理的に説明してください

ある
と言い切れる根拠を 論理的にご説明します

論破??  論がなければ 論破できない

古いアナログ的なお考えのようなので
貴方のお考えを勝手に 整理させていただきます
引き続き 今回は科学的にご説明いたします

最初におことわりしておきます
想定 仮定 の領域を出ませんので

意識は頭の脳から と言う考えは疑問があります

生命科学の最新の分野で 意識や精神は
深層心理学(ユングやフロイト)や
アナログ的なニューロンなどの伝達や 
広がりでは説明できなくなりました

DNAの突然変異は ランダムに発生するが
実は 量子の揺らぎに起因している可能性と指摘されています

意識が現実を作るのです
ニューロンのなかの極小のチューブの振動
である 量子重力効果が 意識となり現実の貴方を作るのですが
量子もつれ 等で知られている通り
それは 宇宙の情報と一体なのではないか?

宇宙の現意識 の存在が生命たらしめている 
意識たらしめている可能性があります
意識は量子レベルにおける
物質の振る舞いを定義していると
ロジャー・ペンローズ
スチワート・ハメロフ が述べています
意識は 観測で極小の粒子が変わる事が 分かっています
意識は乱数表に変化をもたらすことも知られています
人間の意識は 計り知れない 未知の世界です 
量子レベルの情報や意識は 宇宙からでは?

宇宙の原意識を 神と捕らえるか
仏教の究極の法則と捕らえるか
いずれも 哲学 宗教の領域に入ります

詳しくはカット

心の仕組みは驚くほど判明していないのが
現在の生命科学です

脳は860憶の神経細胞でできていて
その電機的な基礎は 理解されているが
心 思考 記憶 感情
人間の脳をマップ化するのは 不可能です
量子コンピューターがあれば 可能かも?

人ゲノムが完成したが
DNAがコードしているタンパク質については
ほとんどわかっていないのが現状です

ちょっと長くなるのでこの先はカット
すなわち 人間の知恵は あまりにも小さいと言う事です

意識の存在  魂とは  を述べるには
科学的検知には限界があり
哲学 宗教の側からの解明が 必要となります
それは この次
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この回答へのお礼

>ないと言い切れるなら 根拠を論理的に説明してください。

論理的には説明できませんが、どこにも見当たらないので「無い」と言ってるんです。
それに、脳が寝てるときは意識が有りません。なので脳が消滅したら意識も消滅するだろうと推測します。意識が消滅してしまったら人間としては「無」ということではないでしょうか。

ニューロンのなかのチューブリンについては聞いたことがあります。
たしか、その中に電子がひとつ入っており、波動の状態では意識があり、粒子になると意識が無くなるのだそうです。
粒子の波動は「確率という概念の振動」です。
なのでそのへんから推測するとチューブリンとは概念と物質をつなげる受信機みたいなものなのかな?とも思います。

お礼日時:2017/10/18 22:44

論破のつもりはありません。



ただ、Marshmelloさんの結論も凄い

どうしてそんなことがお分かりなのか?

興味しんしんです。

世の中にはわからないはありますので

結論を出せることはびっくりです。

Marshmelloさんにそう考えさせた脳の

仕組みも医学的にはまだまだわからない

ことだらけですよね?
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この回答へのお礼

たしかに脳は不思議です。

お礼日時:2017/10/21 14:23

禅宗ではそう思います。

例えば、死ねば人間が無になる
んだ、という考えは、肉体はただの物質だと言われたいの
でしょうか?
究極的に高度な知性だけを求め、それに愛というものがない場合、
孤立して精神が崩壊します。
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>ソースはとくにありません。



ソースがないなら、そもそも破るべき論が存在しないと思います。
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死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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この回答へのお礼

正しいかどうかは判断できかねますが、
何か考えさせられるところがあると感じました
ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/21 14:22

あの世がない、魂も存在しない、証明できますか?

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おしい!「物理活動の結果生じる」のではありません。


物体=有限な存在性そのものが観察される事で派生している
(by 量子論)だからです。
それでは「心が先」でしょうか?「物が先」でしょうか?
自我仮説(記憶=過去=時間)と環境仮説(予測=未来=時間)
は相補分化しています。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限
の闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の
運動(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=
宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間
仮説(予測=空間の広がり=未来=光速下)の相補分化。
「死んだら終わり、あの世も永遠の魂も存在し」の回答画像14
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この回答へのお礼

論破されたのか?
話がむずかしすぎます。

お礼日時:2017/10/21 14:19

論破してやるから論文出して

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死んだことが無いのでわからないですが、そのように考えても、問題無いと思いますよ。


どちらにしろ、死なないとわからないですよね。
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主張に過ぎないのだから論破する必要さえなし。

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