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企業とかが不祥事を起こした時に、
責任者が「責任を取って辞任」なんてことがあります。

これってほんとに「責任」とっているのでしょうか?

そのまま責任者がのほほんとしていてはまずいとは思います。
ただ、いきなり辞められては、
後任の人は事後処理を押し付けられるわけで、
投げ出して逃げてるようにしか僕には感じられないんですけど。
僕としては、給料なんかなしで、
事後処理をスッキリしてから辞めるべきだと思いますが。
それが責任を取るってことだと思うんですけど。

皆さんはどう思いますか?

子供の頃、
「自分が始めた事は、責任持って最後までやりましょう」
って言うのをよく言われました。
これのまったく正反対だと思うんだけど。

A 回答 (9件)

私も常々そう思っていた人間のひとりです。



tomikou0000さんのおっしゃるように「責任をとって辞任」というのは「逃げ」にしか思えません。

ただ、日本というお国柄なんでしょうね。
「切腹」、つまり「死んでお詫びします」というのがあったわけですから。

と言っても、最近は「辞めれば話は済む」みたいな風潮があってどうも納得できません。
今の地位を捨てることがそれほど重要なんでしょうか?

他の人の意見も聞いてみたいです。
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この回答へのお礼

お国柄ですか。
じゃあ、日本独特ってことなんですかね。
他の国ではどうなんだろう?すぐには辞めないのかな?

回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/07/10 16:47

すっごく思います!!



しかも「辞任」ってのが気に入りません。(特に過去の首相など?)
ちゃんとやることやってから
「辞職」しなさいよ。もちろん退職金は大幅減額です。
って思います。

って、その不祥事の内容にもよりますがね....
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この回答へのお礼

えっ!退職金出るんですか?
当然0円だと思っていたんですけど。
そんなの、責任も何もないじゃないですか!

回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/10 16:58

ひとつの社会的制裁だと思います。


途中でやめることは、無責任と取られるし、自分でも気持ちがよくない、できたらちゃんと整理してしまいたい、という気持ちがあるところを、敢えて投げ出す、投げ出させられる、わけですから、不名誉なことですが敢えて甘受するのはつらいと思います。
それと、純粋に自分が全部やったことならまだわかるんですが、部下とか部下の部下とか、自分が率いる組織全体とかがやったことであっても、監督責任、統率力の欠如といった観点から、退職したり、辞任することになるわけです。
これは、日本独特の、けじめの付け方だと思います。以後、そのことでは汚名を背負うわけですから。
単純に自分一人で失敗して、やめてしまうのは、責任をとってやめたことにはなりません。投げ出して逃げただけです。これは少し意味が違って、卑怯という言葉を使ってもいいと思いますよ。

例えば、ある会社で、課長が個人的に会社の金を1億円ほど横領して、ばれた。しかし、使ってしまって回収は出来そうにない。こうした場合に、その課長が責任をとって辞める、というのはありません。それは免職処分で、刑事告発なり、損害賠償訴訟の対象です。それが責任があるから会社に残って最後まで整理するなんてことは現実問題として出来ません。
そういった場合に、会社の部長なり役員が自分は直接関与したわけではないけど、辞任して、ひとつのけじめとする。社員は気持ちを切り替えてまたがんばることになるし、株主に対しても姿勢が示せるわけです。まあ、それならよかろう、仕方ない、と。
辞める役員が個人的に責任をかぶるわけです。収入がなくなる、肩書きがなくなること等による制裁、損失を前提として。
うまく表現できませんが・・・・。
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「責任を取って辞める」は無責任な人の事です.日本に多いパタ-ンですよ.


「責任を取って辞める」はあとはわしゃ知らんという辞め方ですね.
「事後処理をスッキリしてから辞める事が責任を取るってことだと思うんですけど」 同感です.日本は失敗を許さない環境です,敗者復活がないのです.この考えは間違っています。そのために事業失敗したらが取締役会ではかばいやい、うやむやになるのです. 日本の議員がそれです.アメリカのように再度挑戦させる勇気もないのです.日本の経営者の方で,責任をとるといって最後まで処理をした人がいました.この人は辞めてからも再度立派に事業に成功されました.このような方もいます.どんなに苦労されたでしょうか.しかしそれをやり遂げた事で逆にスゴイ信用ができるのです. みんな保身に走るのでしょうか. 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日本の議員がそれです.アメリカのように再度挑戦させる勇気もないのです。

「勇気」というか、
現実問題、有権者がそういう人に票を入れないんじゃないですか。
僕は入れませんね。
まず当選は不可能だから、立候補しないだけなんじゃないのかなぁ。
逆にアメリカは、そういう人でも当選させてあげる国民性があるって事ですよね。

お礼日時:2001/07/16 09:54

やめる事自体はいい事だと思います。


ただ、問題なのは、無能や悪事でやめた奴が退職金をいっぱいもらったり、ほとぼりがさめると、またもとどおりのポジションに収まってたりする事です。
残りの人生はずーっと山にこもって修行生活でもしてほしいもんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>問題なのは、無能や悪事でやめた奴が退職金をいっぱいもらったり、
>ほとぼりがさめると、またもとどおりのポジションに収まってたりする事です。

そんな事はもちろん問題ですが、
その前に「責任」はとっているのですか?
責任取らない上にこれでは2重に悪いと思いますが。

「やめる=責任とる」ではなく「辞める=責任逃れ」だと思うので、
辞める事自体が良くないと思いますが。
(そう思ってこの質問したんですが…)

お礼日時:2001/07/16 10:01

確かに「逃げ」ですね。


辞めさせられる「解任」であれば、まだ話はわかりますが、
自分から辞める「辞任」というのは、責任放棄です。
「解任」と違って制裁にはならないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「解任」にしろ「辞任」にしろ、
責任に関してはどちらも「放棄」だと思いますが?
「解任」だと何で制裁になるのですか?
「退職金もらえない」とかですか?
もしそうなら、「辞職」だってあげちゃダメですよ!!!

お礼日時:2001/07/16 10:16

本当のところ、私も今までの回答者と同意見です。


でも、無理やり肯定してみます。
ここで言っている「責任を取る」というのは、本人が取ろうとしている責任とは違うのではないでしょうか。明らかに、自分の果たすべき責任は放棄しています。

これは、個人ではなく、その属する企業(団体)として、果たせなかった責任を、果たせるようにしていく、という意味で「責任を取る」という言葉を使っているのではないかと考えます。

すなわち、企業を維持させ、よい方向に進めていくことを、「責任を取る」と解釈します。それは、自分がトップにいるのでは、不可能なことである。トップを次の人に譲り、新しいイメージを世間に与えることにより、企業は再びよい状態になっていく…そう考えて、老兵が去っていくわけです。

それは、早ければ早いほどいい。

自分の名前が企業に残る限り、世間の悪評は増すばかりである。
だから、即刻退く

というところでしょうか。
しかしわたしは、そうだとしても釈然としないものを感じる一人です。
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まず事件の対象について、公私を判断しなければならないでしょう(判断しにくい場合もあると思いますが)。

次に、引き起こされた事柄の大きさが判定されます。
この事柄の大きさは、与えた損害の大きさ、社会的影響の度合い、費やされる補償の大きさなどによって判定できると思います。
これらが明らかになった上で、責任のとり方が云々されると思います。このとき、引き起こされた事柄について、法的な対象と法的には問えないものがあります。
さらに厄介なことに、共同責任なるものがあります。一人だけに問えないというものです。

居眠り運転をして停車しなかった運転手を処罰するとき、ルールを破った運転手は罰せられのは当然ですが、そのような運転手を採用しない、教育訓練することができる、或いは居眠りを防止する装置の設置ができる、直接管理責任者も罰せられ、さらに引き起こされた事件の大きさによっては、JRの社長にも何らかの処罰が必要となります。

現代社会は、このような形の責任のとり方をシステム化しているわけですが、問題点は、上記した事柄について、判断基準が一致しているかとということです。 よく永田町常識と国民常識のずれが指摘されますが。

儒教では、法だけでなく、法に加えて理に及び情に適っているかで判断すると聞いています。
確かに、法だけで万全を期すことは不可能でしょうから、社会の習慣・常識として、理と情の部分を充実させていくことも必要と思います。また、現行法についても、複雑化する社会の仕組みに、必ずしも追従していないでしょうから、整備も求められると思います。

ご質問されるように、今の日本社会は責任のとり方が不自然で、国民の不満が多いと思います。国民的議論をおこすなり、疑問を提示するなり、絶えざる監視、関心を持ち続けることが、解決へ導くことにつながると思っています。
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補足しに来ました。



>「解任」にしろ「辞任」にしろ、
>責任に関してはどちらも「放棄」だと思いますが?

私の言う「解任」だと、有無を言わせず辞めさせられるため、
自分から責任を投げ出すわけではなく、
責任を剥奪されるわけです。
そうなると元の任務に関与することが難しくなります。

「事後処理から逃げる」(辞任)のと、「事後処理ができない」(解任)のは
違うと考えます。

>「解任」だと何で制裁になるのですか?

これはNo.3の回答に対する見解です。
不名誉=制裁だとすると、「解任」=制裁ですが、
「辞任」は制裁にはならないと言いたかったのです。
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