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【質問】
日達上人の御心は、浅井昭衛と池田大作に付いて行く、大勢の正宗信徒を救わんとする慰撫教導であると言う事ですが、浅井昭衛に顕正会員は、いつまで騙され続けるんですか?
【見解】

うしても浅井昭衛か
ら聞かされている、浅井昭衛に会えば浅井昭衛になびいて、池田大作に会えば池田大作になびくと言うような、如何にもどっち付かずの様子として散々、浅井昭衛から刷り込まれていると思います。

浅井昭衛の試練と忍従の歴史とは、浅井昭衛に都合の良い主観でまとめられたキレイ事に過ぎません。

全くもって、浅井昭衛という男は、日達上人の慰撫教導の御精神が解らなかった為に、暴走して、挙句の果てに凱旋デモ行進など社会的秩序を乱し、妙信講員の手前上、
自身でも歯止めが効かなくなった怨嫉謗法者なんです。
よって、妙信講は解散になったわけです。

【池田大作の野心】と、【御遺命破壊などありもしなかったにも関わらず浅井昭衛の無知ゆえから思い込みの自称:御遺命守護】の2件に関しての"正本堂"でありましたが、どちらとも‼検討ハズレ‼の物であって、これらの二人を『除名』してしまえば済むところですが、この二人に付いて行く大勢の信徒がいる訳で、日達上人は大慈悲からの【慰撫教導】をされて、浅井昭衛の言うこっちに着いたりあっちに着いたりしていたように見えるんですよね。

洗脳が深いと分かりませんね?

調べてみたら分かるんですが、そもそも御遺命破壊なんて事はなかったんです。

日達上人の昭和三十五年の「国立戒壇」との仰せは、その前年の夏期修養会における次の御指南と同趣旨なのである。

「天皇が戒旦建立を許可し一切の人々がそれによって戒旦を建立するということは、日本では、もう天皇の力がないぢゃあないかというようなことをいうのでございますが、広宣流布の聖主は即ち広宣流布の時の聖主は転輪聖王であるのでございます。必らずしも今の天皇陛下が建立主となるべき時の天皇とはきまっておらない、又大聖人も、そうはおっしゃって、おらないのであります。又此の御書に照し経文に照らすときは広宣流布の時には転輪聖王が出ますということになっておるのでございます。そのときの聖主こそ天皇であれ、誰れであれ、兎に角為政者である、その時の為政者が転輪聖王となって戒旦建立の大将となって現はれれば、よろしいのであります。」

(大日蓮昭和三十四年九月号四六頁)

すなわち、昭和三十五年の御指南において、「国立戒壇」との名称は使われていても、それは国主たる転輪聖王が建立主となるとの意による御指南であり、その実義は「国主立戒壇」なのである。」

要するに、一期弘法附属書にある【本門寺の戒壇】こそ御遺命であり、日蓮正宗こそその実現に向けて邁進しているのであります。

PS.

更に昭和50年7月5日、日達上人は法華講青年部に対して、元妙信講浅井昭衛に対する憤りの言葉を述べておりますから浅井昭衛の言う、日達上人が、浅井昭衛に会えばなびくなんて事は有り得ず、浅井昭衛の主観的な内容をつらつらと試練と忍従の歴史に載せて美化した物に過ぎませんので、よくご覧下さい。

【浅井昭衛は、法主である私の名前を利用し、“私が浅井父子だけに内意を打明けた”と宣伝しておるのであります。

浅井個人の考えに私の考えであるというレッテルを張られてはたまったものではありません。

しかもその内容が私が公の席で、手続きをふんだ上でそれこそ何度も何度も口がすっぱくなるほど繰り返し言明した旨と正反対であるというのですから、なおさら許せません。

云うなれば、私がうその訓諭や説法をして全世界の人々をあざむいているということになってしまいます。

そんなことがあるはずのないことは、常識ある方々には、すぐわかってもらえると思います。

仮に私が本心を打明けるにしても、よりによって一講頭父子にすぎぬ浅井ごとき、まったく信用の置けない人物に打明けようはずのないことは自明の道理でありましょう。

(中略)

浅井昭衛のいう内意云々はまったくの虚言であり、訓諭及び説法以外に私の真意はないことを、元妙信講の人々にもはっきり伝えてください。】


如何でしたでしょうか?
顕正会員に御意見承りたいと思います。

A 回答 (1件)

そうだね

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