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逆論理も論理も内。表と裏になりますね。
「約束は破る為にあるんだ。」そう。

では、
「ストレスも溜める為にある」んだよね?
刀は自分以外の者を切る為にある。
車は人を轢く為にある。

息とし生けるもの全てが、他者を犠牲にしなければ生きられない。
ここで仏教学には、「"人は死ぬ為に生まれて来た。"と言う自己矛盾に陥っている。」
だからこそ、他者を犠牲にして生きる。それで一方は倒れる。
生まれた後に、何も食わず飲まずそのまま御臨終でも良い。

人は生きる上で他者と関わる以上、他者と衝突し合う。他者と言う生命を削り取る。

「他者と助け合う。」は「他者と譲り合う。」
これすなわち
「他者と殴り合う。」、「相手を嘲笑い合う。」に等しい。
いや、大してそう変わらない。

賢さは馬鹿の為にある。
頭の良い人ほど、頭の悪い人に、自分の時間や財産を削り取って恵み、それ相応の施しを与える。
だから、頭の良い者は馬鹿である。
愚かさほど要領の良いものは無い。


では最後に。

"この世そのものが、初めから
「天邪鬼(捻くれ者)」に出来ている"とすれば、素直に生きる事は愚かで無秩序。天邪鬼でいる事こそが素直且つ正義である。

増して、人間は所詮、地球にすくう害虫且つ、自己中心的な生き物であるからして、
善い人間はじわじわ踏み躙られる。

全員が悪になれ。
そして御互いに殺し合え。そこで見事に共倒れ。
それが正しいとも言える。

神がいないからこそ、人は平等ではない。
そして、何をしても自由だ。
そして最後に和解など、死後の世界でじっくりと行えれば良い。

生きる事そのものが、絶対悪。穢れている。
故に死こそが絶対善。清い。

ごく当たり前の臭い記述になりましたが、どうぞ更なる風を。

A 回答 (10件)

ご質問の文章を読んで私の頭に浮かんできた言葉です。




====goo辞書より====

とうさく たう― 0 【倒錯】
(名)スル
(1)さかさまになること。逆になること。
(2)社会的規範から外れた行動や嗜好を示すこと。味覚倒錯・性的倒錯など。
「―症」「―した欲望」

===以上===


なんだか、ワザと「倒錯」した論を展開してやろうとしてませんか?

>生きる事そのものが、絶対悪。穢れている。
>故に死こそが絶対善。清い。

「善・悪」という「価値判断」を、「一般に言われていること」と逆転させているだけでしかありませんね。
物事はコインの表と裏のように、単純な2面性だけではありません。
ある場面では「約束は破る為にある」かもしれないが、それが許されない場面もある。

アリストテレスは「中庸」こそ「最もよい常態」だと言っていますね。
また、マキアヴェッリは「人間は悪党になりきることも善良になりきることも、まずできないものである」と言っています。

結局はケース・バイ・ケースであり、上手く立ち回った方が「上手な生き方」なのでしょうね。
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この回答へのお礼

よくぞ仰いました。全くもってその通りです。

その中庸を保つ事が難しいからこそ立てたまでの記事です。

「人は失敗するために生まれて来た。人は四苦八苦するために生まれて来る。」
と、このように考えた方が何かと楽になれます。

お礼日時:2007/12/22 01:48

 ANo.7 お礼 ご丁寧に。


 ましては漢字変換で増してがありますね。でも、『況や○○をや』という意味ではなかったのですか。どちらもありえますが、我々は後者の『』内を思い、ひらがなとしてました。
 
 普通、平凡、標準、スタンダード。どうもはっきりしませんね。
 殉死、逆死、事故死、戦死、刑死。よく布団の上でとか言いますね。
 行路死亡人。
 
 鉄兄ぃは鉄舟山岡鉄太郎でしたので。
 会見後西郷は『名も命も、金も地位も不要な士は始末におえない』と嬉しそうに述懐していたとか。
 僧との入水をした西郷、江戸からの刺客に『今なら家人、誰も降りません。遠い所をご苦労でしたな。おいどんの命どうぞ』
 郷党の若士の決起に『おいどんの命ばさしあげましょう』
 考える前の決定が好きですね。
 みんな伝説みたいなエピソードだとは知っていますが。 

 日日に死す。これは勤行人の本分でしょう。座禅でも。 
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学生のときのバイト先の社員さんが「飲み会行くなら酔ったが勝ちだ」と言っていました。

理屈は
人のいる場所で酔ってしまえば、問題と楽しみを天秤にかけると楽しみが多い。すなわち
・足りないメニューの注文や支払いはまわりが段取りをしてくれる
・なので思う存分酔いを楽しめる
・寝込んでも誰かが手を貸す(同僚だけではなく、第三者も手を貸す。駅員も終電間際に声をかける)し、最悪タクシーに乗せてくれる(その人は山手線内に住んでいた)

学生の私にはよくわかりませんでしたが、いまはわかる気がします。
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無関係を自分に関連付けるのも人の性。


良い方向に相手の期待を裏切ることも一種の「期待外れ」となりますよね。そういう意味で約束が守れるものでもない。サプライズは破るためにもある。

死のあることが平等に万人に与えられた条件、というか前提で生まれているともいえるし、生まれただけのことをして死ぬこと。が悪いものであることもなく美談となったりもしますね。
もっと生きていたくなるのは死ねる前提を理解してい(たく)ないからとも言えるし、死んでから後悔することもないということを理解していないのかもしれないですね。

宗教ではその辺を「死に迫る生き方=嫌う」よう洗脳していますが、苦悩しながら死んでくれる人もなくなり、眠りたくなって寝るという感覚で死なれては宗教の意義がなくなるので、死があるからこそ救済される人(ほとんど経済的や人間関係、病気で生活が困窮していることが原因の人災なので)人災によって教祖の生活の心配もされるし安定した権威が築けるという矛盾した戯れは人道か?

弱肉強食は人間以外のものについては自然の摂理であるのですが、人間は「自分(自然と分かれた)」ものが与えられているのだから、人間以下や人間以上の者にとっては弱肉強食で苦悩することも出来ない。
自然と自分とどう折り合いをつけるのか?自然に還れば悩まずに済むものを。微妙に抱く死への羨望。感性が豊かな人間だけにある苦悩なんでしょうね。
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 その通りだと、加齢でようやく真面目と几帳面になることのできている私も思います。


 今も一面そういう思いを持ちながら、の日日はもう50年以上、55年くらい続いてきて、そして時に裏面のこのうそつきが全体を支配してきます。
 否定や批判、反論もしません。ラディカルの一面のラディカルですね。
 いくらも否定や批判、論う(あげつらう)ことはありますが、こういうのもあって、それをふくみながらいくのも必要かもしれないね。
 そして無理に抑えたり、知らん顔をしないほうがいい。
 小学・中学とこの思いを、どうこう考えることをしないで、コンナ考えに到達し、浮かんだままに実際に生きてきて、途中で結局一貫できなくなりました。
 おかしいとは思いませんが。
 でも実際にも、≪にも≫ですよ、一貫できないようですね。
 でも厳しさが不足していたと、存じました。
 いいかげんな甘えがあるようです。甘えという言葉くらいきらいなこ言葉はないけれども。
 でも、抱き続けることはいいことですね。捨てたり無理に克服することもないし、論じ合う必要もない。

 反逆や叛乱、異端への志向はせざるを得ないようになっていますね。これは常にあります。
 そうでなければ、真理というのか、人のこの有限・相対の意識ではそれを意識できないしね。
 一なる存在が多に見えている、この偽りの世界。
 それは人間がそう見ているに過ぎないが。だからこそ、創造界がそう見えてきている。
 古来貴兄の言い方と思いは無数にあってきました。決して反感や嫌悪は持ちませんが、実はこういう思いでみなきているのではないですか?
 日の下にまったく新しきものなし。ですね。がんばってください。


 気の付いたこと(私の浅学のためかな)
 1. ≪息とし生ける≫:『生けとし生ける』だと思ったがな。

 2. ≪「"人は死ぬ為に生まれて来た。"」≫:これは自己矛盾ではなく、貴兄の理解が不足ではないかな。
 仏教は知らないが、現実に死ぬために生きているし、凡そ修行は死ぬことに始まるのではないかな。西洋の表現手法は詳しくはないが、凡そ自分を生きようとする努力は何とか死のうとしているのではないかな。
 武士道とは、・・・ 
 南州西郷も鉄あにぃもそれをめざし、勤しんだし、実行したのではないかな。
 西洋の、そしてヒンドゥの瞑想なども当然、この昼間に輝く、ぎらぎらの生活意識を、月光の湖面月影にもっていくために死ぬための模索ではないか。功名心的自己確認や、自己をどこかで確認したいというパッシヴで、寄りかかりの自分を死ぬためのものではないかしらね。

 3. 『まして』:≪増して≫と書くのは何の意味かな。『益して』かな。私も少し国語を勉強したい。どうかお教えください。
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この回答へのお礼

御尤もで御座います。

「増して」等と言うのは、更に、そしてまた更に、限りなく増え得る世では何事にも使用されますね。
学ぶ事も無限にあります。
普通に生きれて普通に死ねればそれで良いものですがね。

お礼日時:2007/12/22 18:02

まず、約束は守るためにある、というの、これは嘘です。


100%守れることなら約束などする必要もないですし、100%守れるわけでもないことなら約束などする必要もないのです。
つまりまあ、約束など最初っからうわべだけの、あってなきが如きものなのです。

返す刃。
同様に、約束は破るためにある、これも嘘です。
まずもって「~のために」などという、ハイデッガー的なうさんくさい言葉を使うんじゃない、というのが、私の主張するところです。

事実をありのままに語るべきです。
「約束は破ることもできるし、破らないこともできる」
これが約束本来の性質です。
可能性という性質は、不自然な目的「~のために」とは無縁なのです。

ご主張のことは、世間で言われることの反対も成り立つ(逆もまた真なり)と言っているにすぎません。
つまり、世間で言われていることが「総てではない」という証明にはなりますが、世間で言われていることの「逆こそが総てだ」という証明にはなりません。
世間で言われていることにも分があり、世間で言われていることの逆にも分がある。
それに気づけば、善も悪もない、正しいも間違っているもないということもわかりそうなもんですけどね。
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概念を一つに絞ろうとするからおかしくなるんじゃないでしょうか?



マイナス概念だけで話をすれば結論はおっしゃるとおりになるかもしれませんが、同時にぷらす概念が存在することを忘れていないですか?
ぷらす概念だけで話をすれば結論は逆になるでしょう。

要するにそれはどちらも偏った意見であって不完全ではないでしょうか。(完全なんてないですけど・・・)

どちらの概念も同時に存在しているだからこそそのどちらかだけで話を進めることにあまり意味はないと思います。
お書きのような話をするのなら同時にぷらす概念での結論も導きだし、結論としてプラマイゼロとでもしないことには説得力に欠けてしまうと思います。
「他者と助け合う。」=「他者と殴り合う。」
であるならばなぜ殴りあうだけで結論を導くのか。助け合うのみでの結論を論じないのは変ですね。

お書きの意見は木を語ってて森を語っていないように感じます。
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この回答へのお礼

助け合う事も傷つけ合う事も、両者とも御互いを削り合っている事には変わりが無いと思った上で書き込んでみました。
一つの概念の光と影になります。
巧みな回答を有難う御座います。

お礼日時:2007/12/21 14:37

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増して、人間は所詮、地球にすくう害虫且つ、自己中心的な生き物であるからして、
善い人間はじわじわ踏み躙られる。

全員が悪になれ。
そして御互いに殺し合え。そこで見事に共倒れ。
それが正しいとも言える。
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 たとえば こういう文章なのですが――そして《ごく当たり前の臭い記述》だという自己認識だそうですが―― まづ この種の言説は 意識の流れを記述したものではなく 意識の排泄です。
 なぜ そういう《排泄》というような言葉で 批評したかと言えば まだ《善・悪・正しい》という価値判断にかかわる言葉がうかがえるからです。
 そうすると このあなたの文章は ご自分の内面にある考えが練り尽くされていないので またさりとて いい答えが見つからないので 或る種の均衡を取ろうとしているのだろうかと思われます。
 もしそうであるなら 問題は (1)答えを見つけたいのか (2)答えなどどうでもよく こころの中で善し悪しの釣り合いを取り続けていたいだけなのか (3)《ごく当たり前の臭い記述》の内容を 実際に自分でも 行動に移したいのか これらについて はっきり決めることにあると思われます。
 もしそうなら わたしは (1)を希望して そうするようお願いします。
 《平等 / 自由 / 和解 / 絶対悪 / 絶対善》などと思考をめぐらしておられるので そうするよう希望します。
 じゃあ 答えをおしえたまえと もし 言われるのでしたら しかしながら まづ 答えを出したいと自分の心に決めなければいけないと思いますが。
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約束は守る為にあるのです。


年金問題と公約しかり。
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ということは、「教えて!gooで自分の意見を表明することは、他人から否定の嵐とバッシングを受けるための正しい行動なのだ」と考えていいですね。



わたし個人としては、あなたのような不毛な考え方は嫌いですけど。
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この回答へのお礼

故意的な逆説を、一方的に唱えてみました。
じゃんじゃん反論して下さい。
私も好きではありません。
プラスとマイナスの概念が成り立つのが現世界です。
きっちりと50:50になるかどうかは誰にも解らないと思いますが。

お礼日時:2007/12/21 14:34

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