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他者との会話が成り立っているから、という意見がありますが、,世界と私の一致,を主張する独我論の立場からしてみれば、会話が成り立っているという意見は反論になっていないように思えます。

独我論を間違っていると主張する人の根拠はなんなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • そもそも自身の世界と他者の世界が存在しているという前提が間違っています。
    独我論の主張は、あくまで,私と世界の一致,であり、,私の世界,という表現は誤りです。

    私の世界ではなく、私である世界が限界を成している世界において、他者の世界を想定することはそもそもがナンセンスです。

      補足日時:2020/07/20 17:55
  • 補足読みました?
    他者の世界を想定するというのは根本から間違っています。なぜなら、私がその限界を成している世界において、他者の世界というものは想定出来ないからです。
    他者の世界というものは、,私の世界,という誤った解釈から生まれた産物に過ぎないのです。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/07/21 13:07
  • 〉客観的かつ論理的な根拠を提示してくださいね

    そもそも客観的という概念そのものが間違った解釈です。
    客観という概念も、他者の世界同様、私の世界(主観)という誤った解釈から派生したものに過ぎません。「私である世界」が無数に存在し得るという解釈も同様です。
    物事の正誤や真理というものは、その内容自体に意味を持ち合わせているものではありません。正しいor誤り、ではなく、「正しいor誤りが私」ということなのです。
    以上から、私の回答が証明不能、なのではなく、
    「あなたの解釈が誤りであり、私の解釈が正しい、ということが私なのです。」

    理解出来ますか?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/07/22 15:17

A 回答 (8件)

質問者さんの持論を質問者さんが正しいと仰っるのは質問者さんのご自由です。


でもまぁ〜それだけのことです
ただの独りよがりてことですね
まぁ〜好き似てください
人それぞれですからね
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★★ (趣旨説明欄) ,世界と私の一致,を主張する独我論



☆ というとき 《〈独我論〉がその〈我〉は ,世界と私の
一致,という内容だ》と思っているのは よいとして しか
しながら そのこと《を主張する》というのは あり得ない
ことなのではないのですか?


《主張する》というのは 自己表現して生きる主体が 独我
なる自己のほかにいるという前提を みづからが 置いてい
る・・・のでは?


独我論者が 自己とは別の表現主体とその《われなる存在の
成り立ち》について議論するということが そもそも おか
しいのでは?




★★ 独我論を間違っていると主張する人の根拠はなんなの
でしょうか?
☆ というふうに議論をしかけて来ている時点で その間違
いの根拠を主張することも示すこともその必要は ない。と
いうことですよ。




★★ (補足欄その一) 私の世界ではなく、私である世界
が限界を成している世界において、他者の世界を想定するこ
とはそもそもがナンセンスです。

☆ ナンセンスだと《主張する》ことは そもそもが 誰に
向かって? という内容をふくみますから――質問者氏ご自
身が――:
★ 他者の世界を想定すること
☆ をおこなっているというわけです。




なぜなら:
★★ (補足欄その二) ~~~~~~~~~~~~~~~
他者の世界を想定するというのは根本から間違っています。

なぜなら、私がその限界を成している世界において、他者の
世界というものは想定出来ないからです。

他者の世界というものは、,私の世界,という誤った解釈から
生まれた産物に過ぎないのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ それとも いまあなたがこうやってやり取りしているわ
れわれの存在についてあなたは いったい 何であると思っ
ているのでしょうか?

独我なるあなたのわれは わたしたちそれぞれのわれをこと
ごとく飲み込んでしまっているのでしょうか?
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更にに言えば


質問者さんのお考えが正しと言える客観的かつ論理的な根拠を提示してくださいね
この回答への補足あり
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質問者さんのご意見自体証明不能ですけどね


「私」無き観念のみ世界で有る可能性を否定し得ないからです
更に言えば「私」無き観念のみの世界出会ったとしてもそのような世界が無数に存在する可能性も否定しえません。
質問者さんのご意見を踏まえて言いかえるならば 
「私である世界」が無数に存在し得るとなります
それぞれの「私である世界」が他の「私である世界」とシンクロするしないにかかわらずです 
よって「他者の世界」言いかえるならば他の「私である世界」を想定するナンセンスでもなんでもありません 
それをナンセンスとするのは質問者さんの想像力が欠如しているからです
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独我論が間違っているとは限りません。



独我論がいけないのは「間違っているから」ではなく、「独我論だから」なのです。
この回答への補足あり
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単純ですよ、以下の2つが考えられます。


1.独我論を間違っていると主張する人が、自身の世界と他者の世界が同時に成立していると考えている。(他者が幻想だとは思っていない)
2.独我論が間違っていると主張する人が独我論主張者の世界に存在すると、独我論を主張している人が信じている。
論理的には、独我論が成り立っていないと証明する事は出来ません。(逆に独我論が成り立つ事も証明できません)
独我論が正しければ、独我論が間違っていると主張する人は、単なる幻想ですから、気にする必要はありません。(幻想ですから、根拠は無いです)
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>独我論を間違っていると主張する人の根拠はなんなのでしょうか?



独我論を否定できる根拠はありません。
世界五分前仮説と同じです。
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だれかにみとめてもらって初めて成り立つというよう


なら 独我論ではない。・・・のでは?


言いかえると わたしは 独我論に拠っているという
ようなことを言うとすれば それは 独我論ではない
・・・となるのでは?
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