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独我論ってウソでは?だって、他人にも脳があって感情があるように見えて自分そっくりだから。

そうですよね~?

自分を鏡で見ると、自分の姿がわかります。

そして、自分の目で見れば、他人は自分と同じ人間の体をしていて、

他人も笑ったり悲しんだり怒ったり、様々な感情があり、

様々な言語を使い、自分と同様に他人も思考しているように見えるし、そう思えます。

そもそも、脳みそがあるって時点で、その人は思考して自律的に動いているという
何よりの証拠になるのでは?

インターネットでも、他人の書き込みは様々な種類があり、多種多様でバラエティ豊かです。

TVを付ければ、芸能人達が笑ったりしながら色々なことを考えて話しているように見えます。

ラジオを付ければ、これまたDJが音楽を流したり、色々と話したりして面白いです。
確かに、人間そのものに見えます。聞こえます。


これらより、明らかに他人は自分同様に動いていて、

自分に意識があるのはすぐに分かるので、他人にも意識があるとしか思えません。

よって、独我論は間違っているということでは?

というわけで上記は合ってますか?

A 回答 (6件)

回答してみたくなった(考えてみたくなった)ので、ちょっと調べました。

(辞典のレベルです)

質問文にあるような事柄はredstornさんが認識し意識したこころ(自我)であって、この世のすべての事柄はこの心を通して受け止めていると思えば、この心こそを実感しているわけで、だから自我こそ実在である。自我を離れたもの"他者・他我"はこの自身のこころが受け止めた"意識内容"に過ぎない。そう考えて見ると自分以外は実在とは言えない、と云った考えが"独我論"だと思います。

№3の「・・・宇宙すべてが心の中の現象に過ぎない」という考え方になるのでしょう。

こうした考えは、真実とは何か?と云ったことを追い求める哲学的思考を持つ人の行き着くところであって、普通・・にはこの世の中はすべて実在と受け止めて不都合はないと思います。

この普通と特殊とのギャップを私は次のような考えで埋めています。

人の心は鏡であると。
人それぞれが持つ"その人の鏡"に映った映像(五感)をその心は認識しているのだと。
外界のもの(他我とか)を人の心は直接認識するわけではなく、あるいは出来るわけではなく、いったん心の鏡に映してから認識するのだと。

こんなふうに考えると、自身の鏡しか信用できないというような気持を論じてくるとそれが"独我"になるんだなぁと思います。

でも
個人の持つ鏡って精巧、精密なんでしょうか。
みんな皆んな雲っていたり、歪んでいたり、もしかしたらヒビや割れがあるかもしれないのです。
外界の"真実・実体"とは違うものを我々は見ているのではないでしょうか。

☆ 自身の心模様なりに認識する世界が実在?真実?
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>そもそも、脳みそがあるって時点で、その人は思考して自律的に動いているという何よりの証拠になるのでは?



常識的には十分でしょうが、哲学的な厳密さでは十分な証拠とは言えません。自律的に動いているだけでは意識があるかどうかは分かりません。あくまで推論によって「他者にも意識があるだろう」と信じているだけです。他人の意識を直接確認できないということが決定的なネックになります。

独我論は論理的には論駁はできません。しかし、あなたがもし独我論を主張するなら私は否定します。なぜかと言うと、

  「世界中で独我論を主張する資格があるのは、この私だけだからです。」

こんなこと言ったら、たぶんあなたは否定するでしょうね。
つまり、本来独我論は自分の中で展開する理論です。自分の中では絶対に論駁はできません。しかし、他者に向かって主張することはナンセンスな理論です。そういう意味において、哲学的テーマとしての独我論を論じるときにはその語り方がなかなか難しいものになります。

「推論によって『他者にも意識があるだろう』と信じているだけです。」と述べましたが、哲学者の言う「確実な知識」というものに私たちは到達できません。あくまで私たちは信憑の世界に生きているのです。
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は唯我論を信じていませんが、面白そうなので回答します。



>そして、自分の目で見れば、他人は自分と同じ人間の体をしていて、
>他人も笑ったり悲しんだり怒ったり、様々な感情があり、
>様々な言語を使い、自分と同様に他人も思考しているように見えるし、そう思えます。

単に自分がそう認識しているだけの話です。映画を考えてみましょう。そこに人物が生き生きとして活動しています。またそれをみている人に大きな感動を与えます。しかし、写っているのは単に点滅する光信号でしかないのです。それをあたかもそこに人が実在しているように思ってしまう、単に自分で勘違いしているだけです。

>そもそも、脳みそがあるって時点で、その人は思考して自律的に動いているという
>何よりの証拠になるのでは?

脳みそがあるなんていうのも、本当かどうかはわかりません。この世の中に実在するのが自分の意識しかないのであれば、脳みそがあるというのは単に自分がそう思っているだけであり、脳があるという知識も映画のように幻想でしかありません。

残念ながら、貴方の理論では唯我論は否定できません。というよりいかなる議論をつくしても唯我論がいう自らのみが実在であり他は実在しないというのならば、理論では否定できないのです。

否定できる根拠は、「すべてが幻想ならばその崖から飛び降りたら?」「電車にとびこめばどう?」という乱暴なことしかありません。
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独我論という時の「自己」とは、肉体的自己ではなく、


その他人を含む宇宙すべてが心の中の現象に過ぎないと
考えるものだ。
それを「自分」と「他人」と分けて考える時点で、
すでに素朴唯物論に毒されている。
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向こうからすれば私のほうがよほど格下なのでしょうけれど。


中国人翻訳家夫婦は学者崩れみたいだから
いくらバカにしてきても、三下感が否めなくて
これならまだ曹洞宗の学者のほうがよほどまともになってくる。
ボカロPに至っては論外。
ジャーナリストにしても朝日新聞の記者のほうがよほど格上だろうし、
地方紙の記者だって相対的に評価を上げざるを得なくなってくるから
それが私にとっては納得いかないけれど評価を上げざるを得ない。

そういえば以前からやけに中国人から粘着されたことがありました。
中国人はパクリとか盗みとかよく言ってきましたから
ボカロPと似ていますね。
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>というわけで上記は合ってますか?


ハズレ。
独我論、唯我論は「他者は絶対に私にはなれない」という事実に立脚しています。
そもそもあなたはあなたを見る事が出来ない、機械を通して見るあなたはあなたでは無い。
なぜならその画像はあなたが死んでも残る。
そしてあなたが死ぬと全てが無に帰る、アリストテレス学派の絶対無の観念論です。
丁度ビッグバンの前には時間も空間も無かった、完全な無のゆらぎで宇宙が産まれた。
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