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 ここで「理解する」というのは、自分を「理解する」ように他者を「理解する」ということです。または、そういう状態に可能な限り近づくという意味です。
 他我問題の観点からは上記の内容は無意味です。ですが、人間には他者、特に自分と関わりの深い他者(親、兄弟、恋人他)を何とか理解したい、という切実な願望が生じることが珍しいことではありません。「理解した」と思うこと自体が一種の幻想であるという解釈は、ヒリヒリした諦観とともに納得する(文学的表現でスミマセン)訳ですが、それでもなお「他者を理解したい」という欲求は止みません。
 そこで質問なのですが、どういう理解ができれば、「他者を理解した」と思えるのでしょうか?
 ちなみに、わたしは、初恋が実らなかったとき上記の点について考えはじめ、そして数十年の後の現在、「他者は理解できない」という結論に達しつつあります。
 再度繰り返しますと、「他者を理解する」とはどういうことか、についてお答えを頂ければ幸いです。もしくは、どういう理解に達すれば「他者を理解した」といっていいのか、ということです。よろしくお願いします。

A 回答 (20件中1~10件)

哲学の質問への答えにはなっていないのかもですが・・・。


時間が流れている限り、瞬間瞬間での理解しかできないです。

他者への理解は、その他者と関わった瞬間を自己責任で信じる事だと思います。
頭中や机上ではいくらでも、他者に思いを馳せめぐらせ、理解に苦しみ、結局はあきらめや妥協の道を自分に認めず、哲学を論ずることによって、プライドを保とうとして余計に人とのみぞが深まるパターンが増えているような昨今です。

その時関わったその人の言葉や行動を信じる。
重要なのは、信じたのは自己責任。
損害をこうむれば、ここは幸いに、法治国家です。

人は多面体だと認め
その一片と関わった真実をまっすぐに受け止め
責任感をもち
自己と他者の時間のながれている生活圏での話しだと認める。

これが、私なりの答えです。
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うわぁ~、難しいこと考えていらっしゃるんですね・・・!



こんにちは、先日はお世話になりました^^
ご紹介頂いたCD、見つからないんですよ^^; 引き続き、楽しみにして探しますね・・・!
ある人に「論理性が欠けています」とはっきり言われましたから(自分としては「あ~そうですね」ぐらいですが)、自分の感覚、言葉でしかお話できませんが、よろしいですか?

完全に「他者を理解する」ことは不可能だと思います。自分自身も理解できないのに。
一般的にいう「他者を理解する」というのは、「理解した気になる」と言うことだと思っています。

例えば。

質問者様は私にアーティストをご紹介下さいましたよね?ここで私は「質問者様はこういう音楽が好きなんだ」と一つ理解します。
質問者様も、何故だか私の質問をみつけ回答してくださったのは、akiracchi2006が音楽が好きだと一つ理解したからではありませんか?
共感ももちろん一つの理解だと思いますが、共感できない、も同じだと思うんです。
「私は好きだけど、あの人は嫌いだと言っている。あの人はこういうことが嫌いなのか。」
これも一つの理解ですよね?

この一つ一つの理解が積み重なって、より理解の多い人のことを「自分は理解した」と思うのだと思います。
この「自分は理解した」というのは「理解した気になる」ということですが。

先にも書きましたが、他者を完全に理解するのは無理です・・・!ほんの一部ですよね。
自分自身も「日々発見」ですよ^^ 「お~、私結構やるじゃん」「うわ~、失敗した~」これの繰り返し。
こうして成長していくのだと思います・・・って、あれ?成長の話じゃなかったですね^^;
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他人を理解することは自分を理解することだと先ほど述べました。

それでは自分とは何であるかという問いが重要性を帯びてきます。デカルトはコギト・エルゴ・スムといいましたが、「我とはなんなのか」という解釈を理解していません。自分とは何かと「私が尋ねられたらわからない」とレスポンスします。一体これはどういう意味性でしょうか。人間は絶対的所与性、これは偶然性を意味します。しかし私は必然性であると認識します。環境や外部要因によって人間は社会というスキームに内在します。つまり生まれたときから社会性を帯びた人間であって本来の自分は生まれる以前の問題です。コギトは社会性を帯びた所属におけるオーソライズされたものであり、本来の自分ではないのです。自分と他者は同じ人間です。こうやってエクリチュールされたもの自身さえ思考できるのもコモンセンスがあるからです。人間を細分化し宇宙の膨張性をかんがみればそれも機能的に等価です。まず他人を理解したいと思うのであれば、人間の根源を探って見てください。それがトレランスになり、モデストにつながります。そうなれば他人を理解することが前よりもできるかもしれません。マクロ的視野で思考形式をたどればあなた自身が可変性を帯、人に対して優しくなれるかもしれませんよ。
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他者を理解することはアポリアです。

共感することは人間は程度問題なように絶対的共感などありえないのです。しかし人間は関係性を求める動物であるがゆえにここでアイロニーが生じます。つまり自分を理解することは他人を理解することと機能的等価なのです。
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No.5です。


ちょっと違いますね。他人のこういった行為は理解できるがなぜあんなことをするのかはまったく理解できない、これからも理解でき無いんだろうな、と理解したときです。
 率直に言えば理解できる限界を知ったときです。No.3の方の言うように「ほんとうに理解するのは不可能だ」と思います。ですが私は「生い立ちや環境やそのときどきの感情や心理をすべて知ることが必要だ」とは思いません。それは過去のすべてを理解したに過ぎないと思います。もしそれが理解したことになるなら人間は過去だけで成り立つ生物、ということになるのではないでしょうか。
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私は今、母と二人で生活しています。

母は95歳、重度の認知症です。でも結構楽しく過ごしています。8年前に脳梗塞で倒れるまでは母の心を覗き見ることすらしていませんでした。が、病気になってからは精神的に立ち直らせて厳しいリハビリに耐えなければ元の身体に戻れない、と危機感を持ち、生まれて初めて母と正面から向き合いました。その時、他者に向きあうということがどんなものか初めて知った訳です。今まで、正面から向き合い、相手を理解しているつもりでしたが、そうでは無かったと気がついたのです。
 明治生まれの人ですから因習や世間体を気にして己の考えを作れない人ですが、そういう感性や考えも含めて丸ごと受け止めることが出来るようになりました。60歳近くになって気ずくなんて遅すぎますが。
 母親が小さな子供をその子の置かれている状況や心理をよく理解している、あの「理解」があなたの言う他者を「理解」する、に近いように思います。子供の言動にまず、共感すること、次に肯定しつつ否定するという母親の頭の中での思考方法。この3者がキイポイント。
共感がなければ生きた会話も出来ませんし、心を開いてもらえませんから、心の内をさらけ出してもくれません。でも、「そうね」「そうね」と肯定してばかりの関わりでは、相手が直面している課題なり現実に助言も出来ません。何が問題なのか、相手の考え方に問題がないのか、いろいろ「分析」することも必要な場合もあります。「分析」する、ということは「どうして?」とか「なぜ?」とかの疑問を解くために必要な思考過程です。ここ過程を通じて「ああ、なるほど」と相手をより深く「理解」出来るのだと思います。
 実践的に問題をたてなければ観念論のお遊びに過ぎません。
ついでに内に来てくれるホームヘルパーさんたちは母を本当によく「理解」してくれています。驚くことばかりです。だから、彼女たちが来ると母の顔がぱっと明るく輝きます。母のちょっとした仕草で母の心理状態を敏感に読みとって適切な対処をします。プロだな、と関心させられています。それを可能にしている彼女たちの能力に共通するものは母に共感する感性です。もちろん、認知症に対する正しい専門知識と経験に裏打ちされているにせよ。
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 他者も生きてるから。


無理解は、出会いと、存在の受容を、根底で支えているのだと思います。
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こんばんは♪



哲学的なものやリアリティを追求するのでは
ないご様子ですか。
理性よりも感性的な部分での回答なので
こんなお話はいかがでしょうか。
ある漫画からの引用になりますが・・・

男は妻を亡くしました。非常に愛していました。
一緒に暮らしていたときは、二人一つのような
気持ちでいました。お互いのこころが手に取るように
分かり合える。

ですが、失って酒におぼれ深い悲しみを乗り越えると
やがて普通に暮らしている自分に気づきます。
時には笑うことさえある、自分に気づきます。
自分の体の一部とさえ思っていたのに・・・

ある神父が答えます。
「人は自分の心をこえることができないのです。
 あなたが、分かり合えていたというのはあなた
 だけが感じていたことなのです。
 ですがそれでも人の心は、この宇宙よりも広い。」


少年は友達と喧嘩をして家出をしました。
信じていた友達に裏切られたのがショックでした。
「あいつは友達じゃない!
 あいつの事を信頼していたのに・・・」

主人公は答えます。
「一度くらいの理不尽を許すのが友達でしょう。」


少年と男と主人公は、神父の言葉に導かれるように
断崖にそびえる古い遺跡の壁の前に立ちます。

そこで三人は奇跡を見ます。
空一面のオーロラを見ます。
自然のおりなす芸術に3人は心を奪われます。

主人公はつぶやきます。
「人は、自分の心から想いを外に抜け出すことは
 できないのかもしれない。だが、いま僕たちは
 同じものを感じている・・・」



・・・かなり古い記憶なのでたくさんの脚色があるはず。
「マスターキートン」という漫画の「喜びの壁」
というお話だと思います。一見何気ない話なので
見落としがちですが、非常に深いのでよろしければ
さがしてみてください。

人は自分のこころから外にはでられないかもしれないが
共通のものに出会い、感動したり、
笑いあったり泣きあったりしたとき、
もしかしたら心を飛び越えて
お互いの気持ちを感じあっているの
かもしれないねって感じです。

論理的思考にかたよっていたので
ちょっとロマンティックな回答を!

ご参考になれば幸いですヽ(´ー`)/
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>どういう理解ができれば、「他者を理解した」と思えるのでしょうか?



「他者を理解した」という理解ができれば、「他者を理解した」と思えます。

 人間種が「思う」ことは、曖昧で変化しますが、「他者を理解した」と「思う」人間は、他者を理解したと思っています。

>「他者を理解する」とはどういうことか

 他者との境界が無いとき、その同一性が担保されます。
 
>どういう理解に達すれば「他者を理解した」といっていいのか

 誰に対して「いっていいのか」が明確でないと回答できませんが、絶対者に対してとするならば、「同一」でないと「他者を理解した」に達しません。
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●理解することは手段であって目的ではないです。


マーケティングでは、消費者を理解することの重要性を
「消費者インサイトの構築」といって大変重要視しています。
目的は商品・サービスを売ることです。
家族関係・夫婦関係では相手に自分の愛情を正しく伝え
相手からも信頼を勝ち得たいという目的があります。

相手を理解するということは3つのレベルがあると思います。

(1)相手の趣味趣向、価値観に共鳴できる。

(2)相手の言葉の意味、行動の意味が推測できる。

(3)相手の思考や望むもの欲求が察知できる

>どういう理解に達すれば「他者を理解した」といっていいのか、
●それぞれ、理解することによって得たい目的があるのだと思います。
それが達せられたら「理解できた」と言っていいのではないでしょうか。
スケコマシ氏からみれば、女を理解するとは「口説いてベッドに入る」
という目的の手段ですから、寝た女の数が増えれば「女を理解している」
という認識になります。
母親としてみれば、子供を理解するというのは、自分の思う方向に育って
くれて大人になればいいわけで、すなおに一流大学を卒業して就職して
くれたら「私は息子をよく理解している」という認識を持つでしょう。
妻にしてみれば、夫が浮気せず頑張って稼いできて健康で自分となかよく
いつまでも暮らしてくれることが目的だとしたら、そういう関係の維持の
ために夫に好きなものや、趣味や、行動様式を熟知していないといけません。
そこで、一定期間そういう平和な夫婦関係が継続できた時点で
夫を理解しているという認識を持つと思います。

>「他者は理解できない」という結論に達しつつあります。
●誰を理解したいかで違ってきます
相手を特定すれば、そうはならないと思います。
わかりやすい相手というのはいます。
あるいは相手を特定しすぎるとそうならざるを得ないのかもしれま
せん。
相性の悪い相手とはいくら長く付き合っても、わかりあえない。
ましてや「すべての他人を理解する」のはお釈迦さまでも不可能でしょう。

惑星に、近い星もあれば遠い星もあります。太陽系の情報は得られたと
しても、アンドロメダの星星のことはわからない。
同様に、自分と精神的距離の近い相手は理解できても、遠い位置に
ある相手は理解できないかもしれません。

任意の「一人の他者」を理解するということの意味は、その相手との
関係性の意味するものによって異なるし、相手と自身との相違点や
理解力の差によって異なるのだと思います。
類似性があれば共鳴するし、対比的であれば、反発や憧憬という形で
反応が分かれます。

●抽象論・一般論がお好みなら
知・情・意のレベルでの一致・共鳴
つまり、他者について情報を知り尽くし
情緒の面で、好きになり共感し同情できて
同じ感情を共有できて
同じ意思をもてたら、十分理解できた
ことになるのではないですか。

ひとりをを理解するなんて難しくはない。
ただ、相手を変えてさらにそれを
継続するのはとても困難だというだけです。
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