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ムハンマドが現れる以前、北アフリカは東ローマ帝国の支配下にありキリスト教(Chalcedonism)が主流でした
その後サラセンの侵入でイスラム化したといいますが、同じくイスラムが侵入したイベリアやアナトリア沿岸部、アルメニア南部ではイスラム王朝支配下においても長らくキリスト教(ChalcedonismのちにCatholicまたはOrthodox)が保持されました
北アフリカにはMonophysite(Copticともいう)教会が存在したのにも関わらずなぜすぐにイスラム化したのでしょうか。Copticは今日においても現地人口の10%が信仰しているといいますがVisigothやOttomans(Seljuks)支配下の旧キリスト圏とは違い圧倒的に少ない比率です
またナイル流域以外(リビアやチュニジア)も同じく東ローマの影響を強く受けキリスト教の時代が長かったのにも関わらずエジプトのCopticと違い見る影もありません
イスラム教王朝の改宗圧力によるものだと思われますがなぜ北アフリカの人はギリシャ人やイベリア人、アルメニア人、シリア人等と違いすぐに改宗したのでしょうか?

A 回答 (2件)

イスラム教は選択させたんです。


『剣かクルアーンか』という言葉が有名ですが、本当は『剣かクルアーンか税金か』です。
イスラームは侵略的ではなかったんですが、強かったんだそうです。
ですから制圧した領土(当時は『国』という概念がなかった)においても、『剣(戦う)か、クルアーン(イスラームに改宗する)か、税金(税金を払って改宗もせずその地で生活する)か』
この3つの選択ができたのです。
侵略的だったキリスト教とは全く違う方法だったので斬新だったのでしょう。
特に肌の色で差別を受けてきた土地の人々はイスラム教に魅力を感じたんだと思います。
ムハンマド・アリ(元ボクサー)のように…。
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お菓子をくれたからですね (^_^)v

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