アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

年末にクリスマスを祝い、余韻も覚めやらぬ正月にはお寺(神社にも行くでしょうが)に初詣に行く。
一見奇妙なというか節操のない、日本人のこの習慣は、十七条憲法において聖徳太子が神道も仏教も同様に認めたことに端を発しているのだそうです。
先ほどプライムニュースで、堺谷太一だったか渡部昇一だったかが言ってたのですが、同じ理屈で、イスラム教徒がクリスマスを祝い キリスト教徒がラマダンを行なうようにすると世界平和に多少は近づきますか?
仮にそうだとした場合、宗教感は置いといて、取りあえずイベントとしてのムードを積極的に盛り上げることで実現できそうな気もするのですが、どう思われますか。

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    >なお、先の99件回答があったhakobuluさんの質問に、100番目の回答を投稿しようとした処、タッチの差で締め切られてしまったことがとてもとても悔しく、まだその原稿を捨てられないでおります。

    宗教・信仰、さらには「信じる」という行為と人間存在について一連の質問を続けている途上です。
    大いに関連する事柄なので、ぜひお聞かせください。
    全く無関係の内容だったり、世間話でさえ許容されているのですから、この質問に回答していただいて構わないと思います。
    質問者として、思考の一助になることは間違いありませんので、よろしくお願いいたします。
    なお、締め切りは自動で行なわれたものです。
    最後の回答から一定期間がすぎると締め切るシステムになっているようです。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/12 23:13

A 回答 (3件)

一見奇妙なというか節操のない、日本人のこの習慣は、


十七条憲法において聖徳太子が神道も仏教も同様に認めた
ことに端を発しているのだそうです。
    ↑
聖徳太子一人が認めたから、といってそれで
日本人全体の行動が決まってしまうわけでは
ありません。
また、そんなことはあり得ないということは
おわかりになるでしょう。
日本人一般にそういう下地があった故の話です。
聖徳太子はそれを公認した、というだけです。


同じ理屈で、イスラム教徒がクリスマスを祝い キリスト教徒が
ラマダンを行なうようにすると世界平和に多少は近づきますか?
    ↑
宗教の違いで戦争が起こることは、現在では
ほとんどありません。
領土や資源が戦争の原因になっています。

これはカトリックとプロテスタントの争いに端を発した
30年戦争を契機に、顕著になりました。

EUは石炭と鉄鋼を巡る戦争を防止するための
組織が基になっています。

パレスチナ問題も、宗教紛争ではなく、領土の
争いです。

イラク戦争は石油戦争でしたし、アフガン戦争も
根底には資源問題があります。

シリアの内戦をはじめとする中東のごたごたも
一見すると宗教間の争いに思えますが、
実際は領土や資源です。

このように、宗教は直接戦争の原因にはなりませんが
間接的に戦争をやりやすくしている、ということは
あると思います。

パレスチナ問題にしても、同じ宗教なら、そう簡単に
武力に訴えたりしないだろうと思われます。

ということで、平和に近づくと思います。



宗教感は置いといて、取りあえずイベントとしてのムードを
積極的に盛り上げることで実現できそうな気もするのですが、
どう思われますか。
   ↑
時間はかかりますが、実現可能だと思います。
しかし難しいですよ。
ムスリムがクリスマスを祝う、なんてのは
想像もできません。
キリスト教原理主義者などは、進化論さえ否定
しています。
多神教である日本だから、そんなことが出来るのです。

可能だとは思いますが、そういう運動を展開してから
数百年掛かるんじゃないですか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>日本人一般にそういう下地があった故の話です。
聖徳太子はそれを公認した、というだけです。

なるほど、それはありそうですね。
しかし、仮に、聖徳太子が神道を一方的に重視し仏教を迫害するようなことをやったとしたらどうだったでしょうね。
ちょっと興味も湧きませんか。

>領土や資源が戦争の原因になっています。

おっしゃるとおりかもしれません。
>パレスチナ問題にしても、同じ宗教なら、そう簡単に
武力に訴えたりしないだろうと思われます。

そうなんですよね。
たぶんにその要素があるように思います。

>ということで、平和に近づくと思います。

希望はありそうですね。

>可能だとは思いますが、そういう運動を展開してから
数百年掛かるんじゃないですか。

そうですか。
1862年 奴隷解放宣言
から、
2009年 オバマ大統領就任
まで、147年かかっていますしね。

年に一度のハメ外しで、ムスリムがクリスマスを祝う。
ダイエットのために、キリスト教原理主義者がラマダンを行なう。
仕掛け人が現れませんかね・・・。

お礼日時:2016/02/13 23:28

>年末にクリスマスを祝い、余韻も覚めやらぬ正月にはお寺(神社にも行くでしょうが)に初詣に行く。


・・・カトリック信徒でありながら、仏教・神道などの宗教、そして宗教全般に共感を持つ私は、まさにそんな感じであり、複数の宗教に足を突っ込むことに、何の矛盾も感じません。
日本人の宗教観や仏教・神道の考え方の中に、他宗教を排除する要素が少ないこと(日蓮宗や創価学会など排他的な一部の宗派を除く)、カトリックも1960年代の第二バチカン公会議以降、他宗教や社会との交流に力を入れていること、などから、宗教的に寛容な部分が見えてきた成果とも思いますが、ことキリスト教とイスラムの間に関しては、そう生易しくないのかなとは拝察します。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、同じ神(キリスト教、ユダヤ教では「ヤーウェ」など、イスラム教では「アッラー」と呼称は違うが、元々同じ神)を仰ぐ宗教で、イスラム教では、旧約聖書に出てくるノア、アブラハム、モーセと並んでイエス・キリストとマホメットを「五大預言者」と見ているなど、非常に共通点があるはずなのに、なぜ、キリスト教徒イスラム教の間には摩擦が絶えないのでしょうか?

尤もバチカンでは、歴代の教皇がイスラム教の指導者たちとの交流などを通じ、イスラム教社会との融和のために努力しているようですが、どうしても市民レベルでは、いざこざが絶えないようですね。
それでも、バングラデシュのように、国民の9割以上を占めるイスラム教に基づく国民の祝日の他、ヒンズー教、仏教、キリスト教に基づく祝日もそれぞれ設けている国もありますね。↓
http://bangladeshdhaka.info/holiday/index.html

なお、先の99件回答があったhakobuluさんの質問に、100番目の回答を投稿しようとした処、タッチの差で締め切られてしまったことがとてもとても悔しく、まだその原稿を捨てられないでおります。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>なぜ、キリスト教徒イスラム教の間には摩擦が絶えないのでしょうか?

神同士の争いというより、預言者同士の争い、さらに、そのになっているようにもみえます。
詳しいことは知りませんが、キリスト教も多くの会派に分かれているんですよね。

>どうしても市民レベルでは、いざこざが絶えないようですね。

その点が問題なのでしょうかねえ。

>それでも、バングラデシュのように、国民の9割以上を占めるイスラム教に基づく国民の祝日の他、ヒンズー教、仏教、キリスト教に基づく祝日もそれぞれ設けている国もありますね。

みんながそれを祝っているなら、面白いかもしれません。

お礼日時:2016/02/14 00:10

私はいいかげんやめたがっているのに、


もはや私が宗教を否定するのは許されないみたいな雰囲気になっているの
どうにかならないのですか。

シンクレティズムはシンクレティズムで問題です。

清めの塩ですら問題になるのだから。面倒な話です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>シンクレティズム

そういう言葉があるんですね。
参考になりました。

お礼日時:2016/02/13 23:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す