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戦後アメリカとソ連が対立し冷戦が勃発したのは一体何故でしょうか。

A 回答 (8件)

1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連の3国によって、戦後の国際政治体制に関する話しあいがおこなわれました。

いわゆる「ヤルタ会談」です。

メンバーは、アメリカ大統領・ルーズベルト、イギリス首相・チャーチル、ソ連共産党指導者・スターリン。彼らは敗戦が明らかであるドイツと日本への対応を取り決めます。その際ソ連は、ドイツに占領されていたポーランドや、バルト三国など東ヨーロッパに対して力を持とうとしていました。

戦中、特にドイツとの戦いで2500万人以上もの犠牲者を出し、疲弊状態に陥っていたロシアにとって、東ヨーロッパで影響力を持つことには大きな意味があったのです。

これについてアメリカは、ソ連の領土拡大になりはしないか、社会主義国が強大になりはしないか、と危機感を抱くのです。しかしヤルタ会談の結果、ドイツは東西に分割され、東ヨーロッパ諸国にはソ連が駐留して社会主義勢力が拡大していきます。

ちょうど東西ドイツの間で、アメリカを中心とする西側諸国とソ連を中心とする東側諸国とに分かれ、冷戦の体制が整いました。この様子をチャーチルは「鉄のカーテン」と表現しています。

そして、資本主義と社会主義、どちらが世界のリーダーシップをとるのか。武力による争いをするわけではなく、大国同士が直接ぶつかり合うわけではないが理解しあうこともないという冷戦が続いたのです。
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ソ連は社会主義の優位性を示したい。

自由主義の米国がソ連の勢力拡大を自国の危機と捉えて対抗したからです。第二次世界大戦では対ドイツでは共闘しましたが、その後路線がちがうので対立することになります。結果的にはソ連の負けです。ソ連は消滅しロシアになりました。社会主義と自由主義の路線の対決ではありますが、独裁で人権無視の社会主義は負けましが、貧富の差の拡大で見直す向きもありますが、ソ連の方式での復活ないでしょうけど。いま問題なのは難民ではないかと、戦闘地のシリアの難民はイタリアに、イタリアも困って他のEU諸国に助けを求めてもNO。EUでは認められた移民の犯罪が問題になっています。そして食えない中米から米で働くことを夢見て行進する中米の貧しい人たち、これにどう対処するかUNに求めても、常任理事国の拒否権のおかげで有効な手立てはとれませんね。難民を生み出すシリアに常任理事国ロシアは味方しています。
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ナチスドイツの科学が対立を生んだ。

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元々ソ連は他国から社会主義国として、各国共産党を通じて英米をはじめとする他国の現在の体制をひっくり返すつもりじゃないか?と警戒されていました。


ソ連はソ連で、他国はソ連を滅ぼして社会主義革命を終わらせようとしているんじゃ?と疑っていました。

ナチスドイツがソ連に先制攻撃を加えたので「敵の敵は味方」となり、英米とソ連が協力しただけで、本来アメリカとソ連は対立関係だったのです。
また、ルーズベルトが比較的ソ連に寛容であったことも見逃せません。

ドイツ及び日本が敗北したのであれば、もはや米ソの間に協力すべき理由はほとんどない訳です。
・ソ連が占領した東欧諸国で「(西側の)他国による干渉や監視のない」「自由選挙」による社会主義政権が誕生したことで、アメリカはソ連が最初に述べたような傾向を全く改めていないと確信し(これはポーランドの場合ですが、他の国でも状況は似たようなものでした)。
・アメリカがマーシャル・プランによって戦災復興を行う対象に東欧諸国を含めなかったことで、ソ連はアメリカがやはり社会主義諸国に対し敵対行動を取る意図があると判断し。
チャーチルが「鉄のカーテン」演説を行う頃には、もはや冷戦は始まっていたと考えて良い状況でした。

冷戦が熱戦すなわち第三次世界大戦に発展しなかった理由は、最初の大規模武力衝突である朝鮮戦争の少し前にソ連も核実験に成功したことで、恐怖の均衡が生じたことによります。一発でも原爆が自国内で炸裂したら、アメリカといえどもまともに戦争を継続するのは困難……と、米ソはなるべく武力衝突を避けようとします。最も第三次世界大戦に近づいた瞬間は恐らくキューバ危機だったでしょうが、このときの米ソ両国の対応は本当に綱渡りものでした。
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今の時代の考え方とは基本が違う、ということを考慮する必要があると思います。



まず当時は「帝国主義」の時代であり「力で領土支配するのは当たり前」の時代であり「植民地を持つのも当たり前」だった、と言うことを踏まえる必要があります。

力つまり軍事力で支配するのが当たり前、の時代ですから国家が大きく力あるほうが有利なのは間違いありません。第2次世界大戦の結果、第一次世界大戦前後に大国だった欧州と日本が壊滅的に打撃を受けて軍事力だけでなく経済力としても大きく後退した、のです。

事実日本は焼け野原、イギリスもドイツの焦土作戦で壊滅的な被害をうけ、フランスはドイツ占領で経済的にも打撃を受け、ドイツは敗戦国になったわけです。

となると「力で領土支配することが出来る国」はアメリカとソ連しか残りません。両国が「自分の国を維持するために敵国として相手を意識する」のは戦後の情勢としてすでに戦中から予測されていました。

ただ、この両国がそれ以前の仮想敵国と違ったのは「ソ連が共産主義国であった」ことです。
共産主義は資本主義を廃止する共産革命を目標にしていましたから、米ソだけでなくそれ以外の国も「アメリカ側になれば資本主義で以前からの富豪や王侯貴族などによる経済体制が維持」でき「ソ連側につけば、今までの仕組みをぶっ壊して労働者や貧しい者が豊かになれる国家が作れる(はずだった)」のです。

そのためドイツの敗戦時にはポーランドやチェコなどドイツとソ連の間の国は軒並み共産化されましたし、ドイツも東西の分割され、日本の敗戦時には朝鮮半島が分割され、中国も共産勢力が国民党軍に勝って中国全土の統治権を得ることにつながっていきました。

つまり米ソの冷戦というのは「相手国を意識して自分の領土の保全を図る」というだけでなく「イデオロギーによって自分の陣営と相手の陣営が対立し、それ以外の地域がどちらにつくのかを決めるゲーム」になっていったのです。

これはのちにアジアではベトナム戦争やカンボジア内戦などで表面化し、アメリカ付近ではキューバ危機など、ヨーロッパでは東欧と西欧の対立になっていったわけです。

日本でもGHQは最初期「天皇制の廃止、最低でも昭和天皇の処罰」を目標にしていたのに結果として昭和天皇にはなんの処罰も下さなかったのは「天皇制をイジルと、日本が一気に共産化する可能性がある」とされたからです。

同様に戦後アジア・アフリカ地域で独立運動が盛んになり、それが実現できたのは「独立革命運動で共産化されるより、宗主国として親和性のある独立政府と協調するほうがよい」とヨーロッパ各国が考えたからです。
また独立する側も元々力をもっていた富豪や王侯貴族などは「共産化すれば全部失う」ので、独立するにしても資本主義側に残りたかったといえます。

 逆にソ連や中国共産党は体制に不満をもつ革命賛成派(多くは労働・貧困層とそれを意識する知識人階級)に対して援助を惜しまなかったため、各地で内戦になりました。元々政情が不安定だったアジアは中国に近いこともあって、米ソの代理戦争の側面も大きくあったのです。

現在ではソ連が崩壊し、共産主義国がほとんど無くなったため、そういう意識すら過去のものですが、当時は「共産イデオロギー」と「資本主義」の対立が大きく、それが米ソの冷戦の直接的な引き金になっていったのです。
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ケネディ大統領の時に、キューバン・クライシスというのがありました。

ソビエトが、社会主義革命に成功したカストロ首相と軍事同盟を結んで、ソビエト製のミサイルをキューバに備え付けました。弾頭は、ワシントンDCを向いていたでしょう。核ミサイルの基地も建設が始まりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5 …

北朝鮮やイランのお手本でしょう。

あの当時は、中ソの南下政策で、ベトナム戦争もありましたから、平和そうに見えて、アメリカにとっては、大変な時期でした。

ロシアのプーチンさんは、日本にある米軍基地を退去させるよう、安倍総理に提言したそうですね。
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国際関係は弱肉強食です。



どこの国も、自国の利益を最大にすべく
権謀術数の限りを尽くしている世界です。

だから、第二次大戦後、戦勝国である
米国とソ連が争うことになったのです。

米国は米国の利益を最大にしようとします。

ソ連も同じです。

他の戦勝国も同じですが、米ソほど力が
ありません。
だから、米国かソ連にぶら下がるわけです。
米国に味方した方が得な国は米国に、
ソ連に味方した方が得な国はソ連に、という
具合です。

かくて、米国を中心とする西側と、
ソ連を中心とする東側が対立することに
なります。

しかし、双方とも核大国ですので、そう簡単に
戦争できません。
それで、睨み合ったり、代理戦争をやらかすなりして
冷戦になったのです。

もし、日本やドイツが勝利していたら、ドイツと
日本の間で冷戦が発生したかもしれません。
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アメリカの資本主義とソ連の社会主義・共産主義のどちらが正しく強いのかという、あきれるほど単純な理由です。



ただ、その勝敗はイデオロギー(主義)の敗北となるため、事実上負けたほうの国は崩壊します。
事実、ソ連は国自体が分裂・崩壊し、社会主義・共産主義ではないロシア、ウクライナ、ベラルーシ等が誕生しました。
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