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なぜ昔、黒人はアメリカの先住民インディアンと対立しないといけなかったのか?
なぜ同じ少数民族なのに・・・。なぜ??教えて下さい

A 回答 (3件)

手短に書くのをお許しください。


黒人であろうと白人であろうとインディアンであろうと、第一には我が身とその周辺しか見えない。身近の利益にしか眼が行っていない限り、人種上の対立といった広範な考えに思い至ることは難しい。黒人とインディアンは単純に生活上いがみ合っていたと思う。いがみ合わされていたと思う。「同じ」インド人をエリート層と大多数の民衆層にイギリスは分断し対立させしましたが、上記の人間の性質を利用した統治にヨーロッパ人が卓越していたという思われる。黒人とインディアンが手を結んだらサクソン人には不都合でしょ?意図的な操作があったはずです。インディアンに関しては、首長にだけ土地譲渡に承認させて残余のインディアンを無視して土地を強奪するという戦略が取られていた。黒人をアフリカから(アフリカ人支配層から)買うときも同様です。インディオに関しても、新大陸生まれのスペイン人・新大陸生まれのスペイン人との混血・その中の上層等等等等等とスペイン人たちは細分化・対立化を設けていました。戦中の日本人と中国人の民衆が結局は手帝国主義上層部を敵にしているという点で団結しなければならないと呼びかけられていた事実を思い出してください。私は在日ですが、今の日本で「同じ」在日がアホほど分裂し対立しまくっている事態も思い起こされます。今のアメリカ黒人(「黒人」ひとからげにはできません)の間でも、社会運動は恐ろしく分裂しています。「少数民族」(どころかその連帯の必要性も)という概念は作られた物です。それは学習して獲得される物です。すっかり工業発展を遂げて学習される機会が与えられても、日本人のように、佐藤栄作・小泉・石原を歴々選出し続け、「同じ」大衆層(プロレタリアートとかいろいろ言う)として世界中の虐げられている人たちとの連帯にいつまでも無自覚でいる人々もいるぐらいです。あんたらいがみあっとたらあかんでと200~300年前のインディアンとアフリカ黒人に言うのは難しいでしょうなあ。
もちろんこれはただの事実です。現在の少数民族や虐げられている者たちが団結しなければならないという理念はあくまでの残り続ける。
本多勝一の『殺される側の論理』・『殺す側の論理』が最高に明快にこういったことを論じてあります。アマゾンですぐ出ます。特に(どっちやったか忘れたけど)アメリカ人宣教師との討論においてあなたの疑問が氷解されるでしょう。
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黒人とインディアンの対立については知りませんが、アメリカの人種差別に関しては有吉佐和子の「非色」という小説が面白いです。


「非色」の中では黒人はヒスパニックを差別する、はたまたアフリカの黒人はアメリカでは白人から差別されず、アフリカから留学してアメリカにいる黒人は、アメリカ黒人を蔑視するなどなど。
肌の色、ではないんですね。移民としてアメリカにやって来た順番とか、それぞれの職に関しての利権とか、もろもろのものがないまぜになっての差別のようです。
同じ少数民族だから仲がいいだろうというのは甘い感傷で、インディアン同士でも部族間の争いというのもありますし(大昔の話ですが)、「同じ少数民族なのに」とひとくくりにしてしまうところがまた、知らず知らずのうちに“多数派のエゴ、優越感”に基くもの、になるのかもしれません、自戒も含めて。
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回答でなくて申し訳ありません。



>昔・対立

とありますが、質問の事例・事件が起った

具体的な年数や場所を明示されたほうが、

より適格な回答が得られ易いのではないか

と思います。
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