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高校古文の質問です。
『無名抄』の「晴れの歌は、必ず人に見せあはすべきなり。我が心一つにては誤りあるべし」という文の、最後の「べし」は推量の意味でないと不自然である、と参考書に書いてありました。「自分の考えだけでは間違いがあるはずだ」のように、当然の意味でとるのは間違いですか?個人的には、こちらでも意味が通ると思ったのですが…。ご意見、解説をお願いします。

A 回答 (4件)

参考書の立場で解釈すれば、


「見せあはすべきなり」の「べき」は「当然・義務」です。ここに作者の主張があるので、これに続く「我が心」以下は懸念される事例を挙げたものです。せいぜい、そういうこともあるかも知れないから、程度に訳すべきで、文法用語的には「推量」ということになります。

ただし、あなたの解釈でも作者の主張と大きく外れることはありませんから、許容範囲と思います。
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この回答へのお礼

わかりやすい解説ありがとうございました。

お礼日時:2019/04/21 15:24

「必ず間違いがある」と言うのではないので、「間違いがあるはずだ」は不適当です。



ただし、「自分の考えだけでは間違いがあっても当然だ」とすれば間違いではありません。■
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しかし、これから書く前に言ってるのでは無く、書かれてしまっているわけですから、読む人が勝手に判断するだけです。

参考書の筆者も、もしテスト問題に出て、「べし」の意味を問われたとき「推量」と答えた方がいいですと、親切心で言ってるだけの話です。
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晴れの場に出す歌は、必ず外の人にも見せてこれでいいか、確かめてから歌を公開しなければ、ならない。

自分の心だけでは(これでいいと思っても、言葉や内容に)誤りがあるだろうから。
 当然と取って、「誤りがあるのが当然だ」というのは、さすがに言い過ぎでしょう。一種の自己不信になります。
 この文は「無名抄」の中に、どういう題名で出ていますか。確かめたいと思います。
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