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江戸時代、旗本より格下の大名はいましたか?

A 回答 (6件)

家格を判断するものには様々なものがありました。


ものによっては旗本が大名より上になるケースもありました。
http://homepage-nifty.com/ksatake/kakaku01.html
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No,1さんが言っているように、官位で言えば、旗本より格下の大名は結構ありました。

そして格を石高で表すのであれば、No,3さんの言う通りです。大名より石高の大きな旗本は有りません。そして家臣と言う格で言えば、大名も旗本も直臣で、同じですが、大名並みの石高の大名の重臣は、陪臣でお目見え以下の御家人より下です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/05/18 20:55

いないよ。



例えば田沼意次。
彼は最初600石の旗本だったが、累進加増を重ね、1758年「5千石の旗本から1万石の大名に取り立てられた」。

たとえ懐事情がどうだろうと、武士の格は基本的に石高で決まった。
直臣陪臣の区別はあるが、それは例えば「将軍から見た場合」「紀伊藩から見た場合」ということであり、
600石の旗本と600石の紀州家老の間に格の上下はなかった。

この微妙な関係が大名と旗本・御家人の対立を生み、日本三大仇討・鍵屋の辻の決闘の遠因となったりする。
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現在「御家人」と言っている人のことかな?


江戸幕府に仕える人のうち、
 禄高1万石以上は「大名」
 1万石未満で将軍にお目見えできる人は「旗本」
 1万石未満で将軍にお目見えできない人は「御家人」
当時は上記の全部を「御家人」(幕府に奉公している人、の意味)と言ったらしいらしいのですが、現代の史学では上記のように区分しているようです。正確には歴史事典等で調べてください。
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>江戸時代、旗本より格下の大名はいましたか?



 旗本にも色々な官位の方がいましたし、大名にも色々な官位の方がいました。
 ですから、旗本より格下の大名もいました。特に、先ほど書きました吉良義央などの官位の高い旗本でしたら、格下の大名は沢山いました。
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こんにちは。



 江戸時代の序列は「石高」ではなく、「官位」と「家格」です。「官位」は「家格」によって叙任され、極位極官も決まりますので、基本的には「官位」で序列が決まります。

 赤穂浪士でおなじみの高家旗本の吉良義央は、従四位上左近衛権少将でしたが、大名で最も多いのは従五位下です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

江戸時代、旗本より格下の大名はいましたか?

お礼日時:2019/05/18 07:46

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