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旗本や上級藩士だと厄介を養う余裕があったと思いますが、御家人や中下級藩士の厄介はどうやって生計を立てていたのでしょうか?
確か厄介は結婚出来なかったと思いますが、正妻とは言えなくても内縁の妻といった存在もいなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

 生涯厄介叔父を通すことができたのは中級以上の武家か、あるいは障害などを持っている場合だけだったようで、それ以外は、藩内のほかの家に婿養子、下級の武家ならば豪商、豪農に婿入り、出家、学問や武芸で身を立てて家を出る(浪人する。

もしくは籍だけ実家に残しながら教授料で生計を立て、町住まいをする)、などの例が多かったようです。「厄介」というのは経済的に実家に頼っているという意味もありますので、生計は大半の場合が寄食ということになります。
 結婚は藩によって慣習が違ったようですが、余裕のある家では内縁の妻を娶らせることもあったようです。ただし表向きは下女と同じ扱いで、子供は基本的に間引かれることが多かったらしく、あまり待遇がいいとはいえません。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
厄介は肩身が狭かったのですね。
嫡男として生まれるか、次男・三男として生まれるかで天と地の差だったのですね。

お礼日時:2005/10/14 18:50

嫡男のほかの男子は、親戚や他家の養子先を探して養子に行くのがふつうで、よほど運がよければ分家して新規お取立をうけたり、なんらかの理由で空席ができたところに入ることもありました。

これは旗本や上級家臣も一緒で病弱とかなららかの理由がなければ厄介として一生養われることはあまりありませんでした。
分家も養子もダメな場合は、御家人や中下級藩士の子の場合は武家奉公人となったり、あるいは武士をやめて町人になることもありました。
厄介のままであれば内職をして実家の生計を助けることがふつうで、自分で生計をたてられないのであれば内縁の妻すらもつことはまず無理でした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
次男・三男は良い婿養子先を探すのに必死だったのでしょうね。

お礼日時:2005/10/14 18:44

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