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付属語、自立語という誤り

形式主義/機能主義的な文法論の誤りについて見解を伺うべく、「形容動詞という誤り」「接続助詞《ので》という誤まり」を提起しましたが、その根底にある品詞分類の基準である「付属語、自立語」という誤りについて指摘したいと思います。

この定義は次のようなものです。

① 自立語(じりつご)
自立語は、単独で文節をつくることができる単語である。かならず文節の最初にきて、一つの文節に一つだけある。

② 付属語(ふぞくご)
付属語は、単独を文節をつくることができず、つねに自立語のあとに付く単語である。一つの文節に付属語がなかったり、二つ以上あったりする。

https://www.kokugobunpou.com/%E6%96%87%E6%B3%95% …

98%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E-1-%E8%87%AA%E7%AB%8B%E8%AA%9E%E3%81%A8%

E4%BB%98%E5%B1%9E%E8%AA%9E/

文例を挙げます。

【だが】私は納得できない。
【です】が本当とはおもえません。
【だ】から言っただろう。
【で】結果は?
【で】は明日御伺いします。

付属語は、「つねに自立語のあとに付く単語である」とされていますが、これらの例は、これを否定しています。都合の良い事例のみに基づく定義は恣意的、誤りというしかありません。

実は、これは学校文法だけの問題ではなく、日本語教育文法他でも実質語、機能語などという同様の区
分がなされており、同類というしかありませんが、この当りはどのように理解されているのでしょうか。

これでは、中学生、受験生が混乱し、卒業と同時にきっぱり忘れ去るというのも、むべなるかなということになります。■

質問者からの補足コメント

  • 当然のことながら、下記のような質問が出され、回答できないというのが現状です。

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

      補足日時:2019/07/27 14:42
  • なお、「本である。」の「ある」は肯定判断の助動詞で、判断辞「だ」の連用形「で」と合わせ「である」と肯定判断の強調に」なります。

    さらに強調する場合は、「絶対に正しいのであるのであります。」と形式(抽象)名詞「の」を間にはさんで、判断辞を累加することになります。■

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/27 21:24
  • なお、自然言語処理については下記を参照下さい。

    「言語の過程的構造と自然言語処理 」

    http://www.kcn-kyoto.jp/~sat/data/publications/1 …

    池原 悟 『非線形言語モデルによる自然言語処理―基礎と応用』(岩波書店;2009/6/25)

      補足日時:2019/07/27 22:52
  • なお、現在の辞書類がどのような性格のものであるかは、先にコメントさせていただいた通りですが、ご理解いただけましたでしょうか。■

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/28 16:09
  • また、辞書の品詞に言及されていますので、若干補足させていただきます。

    この点に関しては、三浦つとむ「<助動詞>と<助詞>の自立した使いかたについて」(『言語学と記号学』勁草書房:1977)という論文があり、次のように記していますのでご参考までに引用させていただきます。

     教科書文法では、「だが」「だから」「では」「でも」などを、<助動詞>プラス<助詞>というむすびつきが《固定して単語化し、<接続詞>になったもの》と解釈する。【<接続詞>は自立語に入っているから、付属語と付属語が複合して自立語化したという解釈である。右の例も<接続詞>が文の先頭に使われていると解釈するならば、<助動詞>はかならず上の語に接続するという主張を撤回しないですむわけである】。しかし、後で見るように、<助動詞>や<助詞>を単独に使う例もあるから、こう解釈したところで問題は解決しない。↓

      補足日時:2019/07/28 17:14
  • →接続詞というならば、何と何を接続する語であるのか、それを明らかにしなければならないし、会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。《形式的には何ら接続されていないから》である。別れの挨拶に「【で】はこれで失礼。」というようなときには、会話の相手の言葉さえ存在しないのである。しかも、【接続に使われる語がすべて<接続詞>でないこと】は、教科書文法の<接続助詞>を区別することで承認しているのである。/

    ここで、「後に見るように」と記されているのは、漱石の『それから』や久保田万太郎の小説の会話などが例示されていますので、一度ご確認下さい。この指摘の誤りや、それを説いた論文等があれば是非にも学ばせていただきたく御教示の程宜しくお願い致します。■

      補足日時:2019/07/28 17:16
  • nwsaburoo氏よりピント外れの丁寧なコメントをいただいたので、もう少し「付属語、自立語」という定義の誤りに触れておきます。

    会話の場合、「で?」「では、次へ。」「と、おっしゃいますが。」「が、それは理解致しかねます。」など頻繁に使用されます。

    また、かつて「てなもんや三度笠」という喜劇や、「てなこと仰いましたかね」などという「東雲節」、「しのゝめ節」(しののめぶし)の文句もあり、単独で文節をつくることができ、つねに自立語のあとに付く単語ではないことを日本語の事実が証明しています。

    さらに、【「付属語」は、それ一語だけでは言葉として意味が分からないのです。】などという説明がよくなされます。

    「国語文法」
    http://xn--vcs415akpfnn7a.com/%E4%BB%98%E5%B1%9E …
    など。↓

      補足日時:2019/07/29 11:09

  • しかし、意味がわからないのであれば、言葉ではなく、使用もできません。

    「で?」が意味を持たないのであれば、言葉を発することも、聞き手は何を言われているのかも意味不明で、単なる物理的な音でしかあり得ません。

    そうでないことは、明らかで、「付属語、自立語」という定義が根本的な誤りであることが御理解いただけるのではないでしょうか。

    「う~ん。このレベルの議論が通じませんか。」

    と言うしかありません。■

      補足日時:2019/07/29 11:12
  • 上の文章は残念ながらコメントを戴いた#5のN氏にこそお返しすべきものということになります。

    そして、これが現在の日本語文法のみならず、西欧の言語学も含めた実体であるということです。

    とりあえず、ここまでの論理は御理解いただけましたでしょうか。

    N氏も御指摘のように、「こういうことを議論するには、相手を選ばないとむだな時間を浪費するだけで、得るものがありませんから。」ということは避けたいと考えています。■

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/30 20:39
  • なお、経緯をいえば、「付属語、自立語という誤り」を当方が提起し、それに疑問を提示されたので、その反証を示したもので、この過程の中の反証の部分だけを取り出し質問されているものです。

    したがって、先ず最初の提起の内容を正しく理解して下さいということです。

    形容動詞で、訳のわからないことをいわれ、混乱した経緯がありますので。■

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/31 07:11

A 回答 (14件中1~10件)

#13です。



>「だが」は「だ」が活用することを前提としない接続詞である
⇒「だろうね。」の「だ」は活用でなく、何なのでしょうか。

相変わらずですなあ。(笑)
「だろうね。」について、わたしが話していますか?
「だが」という接続詞について話していることぐらい小学生でもわかるのでは?
また、こんな短い文章の意味を把握できないとなると、かなり問題では?

・しかし、「だが」は「だ」が活用することを前提としない接続詞である、と捉えたとしても、どんな誤謬が発生するのですかね?

と書いてますよね。
意味はわかりますか?

・しかし、「だが」は「だ」が活用することを前提としない接続詞である、と【仮定的に】捉えたとしても、どんな誤謬が発生するのですかね?

という意味であることぐらい理解しましょう。
『<「だ」が活用することを前提としない接続詞である>などとどっかに書いてありますか。新しい語を認定することになりますが。』
などという意味不明のことを嬉々として述べる必要もなくなります。

>まあ、個人の趣味、信仰であれば自由ですが、対象事実に基づく科学の話しをしているので、今後こういうご質問にはお答えしませんので、悪しからず、

いやはや、ご自分の無理解、勘違いを棚に上げての無理難題、恐れ入ります。
周囲の方々は、さぞ大変でしょうな。(笑)
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この回答へのお礼

>>「だが」は「だ」が活用することを前提としない接続詞である、と捉えたとしても、どんな誤謬が発生するのですかね?

まず、「だ」は一語で意義を表し、「が」もまた一語で意義を表します。
さらに、接続詞は自立語に分類されています。

つまり全く性格、分類の異なる二語を合わせて一語とするのは語とは何かという本質的な理解に反するものです。

事実、「だ」も「が」も付属ではなく自立して一語として使用されており、「だ」自体活用をもっているので全く日本語の言語事実に反する誤謬だということになります。■

お礼日時:2023/05/17 10:47

#12です。



1.
hako⇒【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。
この文において、「だが」という接続詞は、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか?
アス⇒
接続詞【せつぞくし】
品詞の一つ。二つの文,句を接続し前後要素の関係を示す機能をもつ自立語。
【デジタル大辞泉の解説】
上の定義では、「暗黙的に示されている内容」を接続するのは接続詞ではありません。

a.
まだわかってませんね。
『接続詞というならば、何と何を接続する語であるのか、それを明らかにしなければならないし、』
とおっしゃいましたよね?
これは、
『【「だが」を】接続詞というならば、何と何を接続する語であるのか、それを明らかにしなければならないし、』
という意味であることが理解できないのですか?
わたしは、
【「だが」は】接続詞という立場で、「暗黙的に示されている内容」と後件(「私は納得できない」)を接続する語である、と答えました。
要請に答えたのに『「暗黙的に示されている内容」を接続するのは接続詞ではありません。』と返信するのは不合理であることに、全然気づいておられないようですね。

【「だが」は】接続詞という立場であることはわかったが、「暗黙的に示されている内容」と後件(「私は納得できない」)は、その「だが」によって接続されているわけではない。

のようにお答えにならないと(真偽は別にして)筋が通りません。
今後のご参考になさってください。

b.
>「だ」は一語で、「暗黙的に示されている内容」を肯定判断するもので、肯定判断の助動詞です。
「が」は一語の接続助詞で、接続詞ではありません。
現在の言語論、文法論では一語とは何かを規定することができず、「だ」「が」が各一語であるのか、「だが」が一語であるかを明言する根拠がありません。

いずれにせよ、これを言いたかったのですね。
まあ、これはこれで検討課題として俎上にあげてよいでしょう。
後ほど触れます。
たしかに重要なことですが、しかし、現在の論点は、そこじゃないんですよ。
ご自身の質問趣旨(下記)を再確認していただきたい。
アスナロウさんは、次のような質問をされていることになります。
========================
【質問】
学校文法の品詞分類の基準である「付属語、自立語」が誤っているのは、たとえば、付属語が「つねに自立語のあとに付く単語である」とされているから誤りである。
なぜなら、下記例のように付属語が自立語の前に付くこともあるからである。
みなさんはどう思われますか?
========================
そして文例を挙げて、さらに下記のように述べている。

【だが】私は納得できない。
【です】が本当とはおもえません。
【だ】から言っただろう。
【で】結果は?
【で】は明日御伺いします。

付属語は、「つねに自立語のあとに付く単語である」とされていますが、これらの例は、これを否定しています。都合の良い事例のみに基づく定義は恣意的、誤りというしかありません。
=========================
つまり、「だが」という語は「つねに自立語のあとに付くわけではない」から付属語と分類するのは間違いである、と主張しているのであり、一語であるのか二語であるのかは論点として取り上げられていないのです。
『別れの挨拶に「【で】はこれで失礼。」というようなときには、会話の相手の言葉さえ存在しないのである。』ともおっしゃっているわけですから、それは明らかですよね?

しかし、他の方もご指摘のように、「だが」は付属語ではなく接続詞という自立語である、とされている。(正否は別です)
そのスタンスをお認めになるからこそ、『接続詞というならば』という仮定も成立したわけでしょう?
こうした前提で会話が進んでいるわけですから、それを踏み外しては、どんな立派なことを言っても会話が成立しなくなります。
今回やっとお答えいただいた内容も、前提を踏み外したものであることを自覚なさっていただけるなら、アスナロウさんの今後にも、何らかのお役に立つでしょう。

2.
ただ、踏み外したとはいえ、その内容が無益であるなどと言っているわけでは全くありません。
どうもこの辺りを誤解なさっていると思うのですよね。
いずれにせよ、付属語であれ自立語であれ、

【だが】私は納得できない。
という文は、(お化けを見た)という暗黙の前件が想定されているのであり、その前件と(私は納得できない)という後件を「だが」によって接続している、という文意を理解することが重要でしょう。

お説によると、
「だが」=肯定判断の助動詞+接続助詞
ということですね。
ご尤もで、特に否定する根拠はありません。
しかし、「だが」は「だ」が活用することを前提としない接続詞である、と捉えたとしても、どんな誤謬が発生するのですかね?
この点が明らかにならないと接続詞を否定することはできないのでは。
いずれにせよ、踏み外しさえしなければ、こういった論議に進んでいくことが可能になるのですよ。
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この回答へのお礼

相変わらずです。

>>「だが」は「だ」が活用することを前提としない接続詞である

「だろうね。」の「だ」は活用でなく、何なのでしょうか。
<「だ」が活用することを前提としない接続詞である>などとどっかに書いてありますか。新しい語を認定することになりますが。

まあ、個人の趣味、信仰であれば自由ですが、対象事実に基づく科学の話しをしているので、今後こういうご質問にはお答えしませんので、悪しからず、■

お礼日時:2019/08/02 20:54

#11です。



>活用の語幹と語尾の定義も理解できないレベルで、つべこべいうのは止めましょう。
まず、当方の指摘を正しく理解して下さい。

わからん御仁ですなあ。(笑)
『当方の指摘を正しく理解』するためにつべこべ言っているのだ、ということがおわかりになりませんかねえ。
そんなに難しいことはお尋ねしていないはずですが?
見落とされているかもしれませんので、以下に再掲しておきますね。

※【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。
この文において、「だが」という接続詞は、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか?※

これだけの質問ですが、答えられませんか?
しかもですね、これは、

『接続詞というならば、何と何を接続する語であるのか、それを明らかにしなければならないし、会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。』

というあなたの要請を受けての質問です。
お答えになる義務があるのではありませんか?
相対性理論もコペルニクス的転回も全く関係ない。
そういう「難しそうな」用語を使えば、「ははあっ!!!」と平伏して引き下がるとでも思っているのですかね。
まあ、そういう方も中にはおられますが、その根性実に見苦しいですな。
三浦もさぞや墓場の陰で嘆いていることでしょう。
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この回答へのお礼

毎々、コメントを有難うございます。

>>そんなに難しいことはお尋ねしていないはずですが?

わからん御仁ですなあ。(笑)
難しいことだといことがわかっていないということです。
<「名詞」理解の誤り Ⅱ」: 名詞が指示をするのか?>の最後のところを見て下さい。
そして、当方が前提としていることをまず理解して下さい。無理とは思いますが。

といっても、行きがかり上、お答えしておきましょう。

接続詞【せつぞくし】
品詞の一つ。二つの文,句を接続し前後要素の関係を示す機能をもつ自立語。
【デジタル大辞泉の解説】

>>・【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。
この文において、「だが」という接続詞は、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか?

上の定義では、「暗黙的に示されている内容」を接続するのは接続詞ではありません。

「だ」は一語で、「暗黙的に示されている内容」を肯定判断するもので、肯定判断の助動詞です。

「が」は一語の接続助詞で、接続詞ではありません。

現在の言語論、文法論では一語とは何かを規定することができず、「だ」「が」が各一語であるのか、「だが」が一語であるかを明言する根拠がありません。

この点を理解し明確にした後、その根拠を示し、再質問して下さい。■

お礼日時:2019/08/02 18:30

#10です。



1.
>不都合なことになると想定され、議論が混乱するしかないと考えるので、先ず前提を正しく理解して下さいと言っているものです。

・【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。
この文において、「だが」という接続詞は、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか?

という質問になぜお答えにならないのか、その理由はわかっています。
この質問に対する答えは イエス! しかないはずなのです。
しかし、そう答えてしまうと、アスナロウさんにとって以下のような【不都合】が生じる。
あなたの質問内容は、
========================
【質問】
学校文法の品詞分類の基準である「付属語、自立語」が誤っているのは、たとえば、付属語が「つねに自立語のあとに付く単語である」とされているから誤りである。
なぜなら、下記例のように付属語が自立語の前に付くこともあるからである。
みなさんはどう思われますか?
========================
でしたね。
冒頭の『暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか?』という質問に対しては「イエス」と答えざるを得ないのですが、「イエス」と答えてしまうと、本質問の大前提が崩れ去ってしまう。
これがお答えにならない理由です。
ですよね?
『筋の通った言説を旨としていることを、理解して下さい。』など、よくおっしゃるなあ、と感じます。(笑)

あ、勘違いでした。
質問を立て直します。

と言えば済むのに。(笑)
この件に関してはこれ以上追及しませんが、今後はご留意ください。

2.
>基本的に是々非々というスタンス
⇒この発想がそもそも誤りです。
パラダイムチェンジ、発想の転換、つまり見方自身を変えなければだめだと言っているのにその点が全く理解されていません。

『見方自身を変えなければだめだ』と納得させられるような論が展開できていない、という可能性についてご検証ください。
『見方自身を変えなければだめだ』と納得させられるような論を展開するためには、私のような素人の素朴な疑問に、逃げずに逸らさず論理的にお答えになることです。
その内容に納得がいけば、持論を取り下げるにやぶさかではない、と三浦自身さえも述懐しているではありませんか。
尤も、文脈を正確に把握する能力も必要ではあるのですが。
たとえあなたが神様でも、是々非々というスタンスで私は対しますよ。

>「難しそう」ではなく、極めて難しいことを話ししているのですが、この点を自覚されていないのがそもそもの誤りです。

難しくしか話せないというのは、ご自身の能力不足だという点にはお気づきになっておられないようですね。
難しいことをわかりやすく話せる人こそが、本当の意味で頭の良い人でしょう。
難しい表現をして自己満悦に浸っているようでは、専門バカとして品格を落とす効果しかありません。
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この回答へのお礼

毎度のコメントありがとうございます。

>>この質問に対する答えは イエス! しかないはずなのです。

活用の語幹と語尾の定義も理解できないレベルで、つべこべいうのは止めましょう。
まず、当方の指摘を正しく理解して下さい。

なお、理由は<「名詞」理解の誤り Ⅱ」: 名詞が指示をするのか?>の最後に記しておきました。理解できるとも思えませんが。ここに、コメントを下さった方ならご理解いただけると思います。

>>難しくしか話せないというのは、ご自身の能力不足だという点にはお気づきになっておられないようですね。

まあ、その御指摘には一理ありますが、当然、相対的な問題で、相手によりけりで、小学生に相対論を分かり易く説明する能力は持ち合せていません。

天文学、力学のコペルニクス的転回から万有引力への展開がいかに困難な道を辿ったかを思えば、言語学のコペルニクス的転回と三浦が呼んでいる意義を理解戴けると思いますが。

これまでの応答を見る限り、あまり論理的な思考に慣れておらず、数学や物理学は不得意なのではと推察致します。

貴発想では、代数学からベクトル、微分、積分学の連続性の議論など理解のしようがありません。

薮睨みであればご容赦のほど。■

お礼日時:2019/08/02 08:58

#9です。



>いつも、命題の内容自体を吟味せずに、単細胞的に、
1.イエス
2.ノー
3.まだ具体的説明とは言えない。
この3択です。

というのは止めましょう。
であれば、その前に接続とは具体的に何をいい、接続詞の定義を示して下さい。何を言われているかが明確でないと答えようがありません

???
またまたおかしなことをおっしゃいますなあ。
相当気温が上がってますかね。(笑)

『接続詞というならば、何と何を接続する語であるのか、それを明らかにしなければならないし、会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。』
というご自身の発言を記憶しておられますか?

こちらとしては、『会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だ』と思うし、それが接続詞の定義だと思うので、『それがどう接続されているのかを具体的に説明』したまでのことです。
こうした論理プロセスに基づいて会話が続いていることを理解できませんか?
下記の例文をあげて、あなたの要請どおりに『それがどう接続されているのかを具体的に説明』しましたよね?

・【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。

この文において、「だが」という接続詞は、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか、思いませんか?
お答になる義務があると思いますがいかがですか?
1.イエス
2.ノー
3.まだ具体的説明とは言えない。
この3択です。
答えると何か不都合なことでもあるのですか?

>したがって、先ず最初の提起の内容を正しく理解して下さいということです。
形容動詞で、訳のわからないことをいわれ、混乱した経緯がありますので。

『最初の提起の内容を正しく理解』するために質問しているのですから、逃げずに答えてください。
形容動詞で、
『当然、当方の提起を御理解の上、質問、反論がいただけるものと考えておりましたが、、そうでもない様です。』などと訳のわからないことをいわれ、逃げられた経緯がありますので。↓
「形容動詞という誤り」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11217525.html
『当方の提起を御理解』するために質問していることにご留意いただきたいものです。
特に最後の部分、#32、#33については、うやむやになさるおつもりでしょうか?
自らの非を認めることも真理の徒には必要なことです。
詭弁を弄して難しそうなことを言っておけば、胡麻化しきれるなどと甘いことはお考えにならないほうがよろしいです。
アスナロウさんの知見には敬意をいだいておりますが、基本的に是々非々というスタンスなので、言ってることすべてを無条件に信じてもらえると勘違いなさいませんように。
論理、つまり筋の通った言説を旨としていただくようお願いいたします。
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この回答へのお礼

毎回丁寧な応答をありがとうございます。

>>答えると何か不都合なことでもあるのですか?

不都合なことになると想定され、議論が混乱するしかないと考えるので、先ず前提を正しく理解して下さいと言っているものです。実際、これまで『当方の提起を御理解』などできる内容ではなかった事実を反省して下さいと云いましたが。

>>基本的に是々非々というスタンス

この発想がそもそも誤りです。
パラダイムチェンジ、発想の転換、つまり見方自身を変えなければだめだと言っているのにその点が全く理解されていません。

>>詭弁を弄して難しそうなことを言っておけば、胡麻化しきれる

「難しそう」ではなく、極めて難しいことを話ししているのでが、この点を自覚されていないのがそもそもの誤りです。

>>甘いことはお考えにならないほうがよろしいです。

それは、こちらこそ言いたいことです。
筋の通った言説を旨としていることを、理解して下さい。
これまで、質問された内容が全く筋が通ってないことを反省して下さい。

まず、三浦の『日本語は~』の「言語道具説はどこが【まちがっているか】」を良く読み、「まちがい」である理由が納得できないと話しが進みません。■

お礼日時:2019/08/01 07:27

#8です。


以下に経緯を示しますのでご確認ください。

hakobulu(#7)
【(あなたはそのように言うかもしれない。)だが】私は納得できない。
【(他の人は、そのようにおっしゃるの)です】が本当とはおもえません。
【(それ)だ】から言っただろう。
【(それ)で】結果は?
【(それ)で】は明日御伺いします。
のように、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思います。

アスナロウ(#7お礼欄)
会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。

hakobulu(#8)
では、
【(あなたはそのように言うかもしれない。)だが】私は納得できない。
ではなく、
【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。
というシチュエーション(接続)なら理解できますか?

経緯は以上です。
つまり、

あなたが、
『それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。』
とおっしゃるので、具体的に説明しました。
暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思いますか、思いませんか?
お答になる義務があると思いますがいかがですか?
1.イエス
2.ノー
3.まだ具体的説明とは言えない。
この3択です。
答えると何か不都合なことでもあるのですか?

「こういうことを議論するには、相手を選ばないとむだな時間を浪費するだけで、得るものがありませんから。」というお気持ちはわかりますが、こんな簡単な3択にすら答えられないようでは、誰の目から見ても逃げの口上と解さざるを得ないでしょう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

お答えし、理解いただくためには、前提を正しく理解しないと、すれ違うだけのため、先ずそれを理解して下さいということです。

いつも、命題の内容自体を吟味せずに、単細胞的に、
1.イエス
2.ノー
3.まだ具体的説明とは言えない。
この3択です。

というのは止めましょう。

であれば、その前に接続とは具体的に何をいい、接続詞の定義を示して下さい。何を言われているかが明確でないと答えようがありません。■

お礼日時:2019/07/31 07:00

#7です。



>会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。

では、
【(あなたはそのように言うかもしれない。)だが】私は納得できない。
ではなく、
【(お化けを見たとあなたは言う。)だが】私は納得できない。
というシチュエーションなら理解できますか?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早速の応答を有難うございます。

接続以前に、当方の提起と根拠について説明させていただきます。

以前から指摘している通り、ここに言語実体観という現在の言語論、文法論の最も根本的な限界が露出しています。

先の#5のN氏のコメントを引用しましょう。

>>(私は、いわゆる「付属語」は「語」だとしないほうがいいだろう、という説です。そうすると、「語」とは何か、というもっと大きな範囲の問題になります。これをここで議論しようなんて考えません。こういうことを議論するには、相手を選ばないとむだな時間を浪費するだけで、得るものがありませんから。)

ここに端無くも語られているように、「語とは何か」、つまり「単語とは何か」が現在の言語論、文法論では明らかになっていないということです。したがって、<いわゆる「付属語」は「語」だとしないほうがいいだろう>などという頓珍漢な寝ぼけたような発言が恥ずかしげもなく出ることになります。

「付属語、自立語」という【単語】の品詞のニ大区分の誤りを提起しているにも関わらず、単語とは何かも理解できずに<「論の進め方(論証のしかた)の是非」というものは議論できるものです。>と寝ぼけたことを言われているわけです。

そして、辞書の論理の一慣性を持ちだされているわけですが、単語とは何かが定義できなければ、ある語が一語であるのか否かは判定のしようがありません。したがって、「付属語、自立語」という定義に合わせ、矛盾が生じないような品詞定義を恣意的に設定し、「辞書の論理の一慣性」を保つことができるわけで、「辞書の論理の一慣性」とは言語事実に基づく論理的な解明ではなく、単なる事後的な後着けの辻褄合わせに過ぎないということです。

これで、

>>繰り返しますが、「論の結論の是非」は脇に置いて、「論の進め方(論証のしかた)の是非」というものは議論できるものです。(この辺のことを万一ご存じでないようでしたら、野矢茂樹の『論理トレーニング』をお勧めします。論証のしかたが丁寧に解説されています。)

というのは、「良く言えるな~」というしかありません。上の文章は残念ながらコメントを戴いた#5のN氏にこそお返しすべきものということになります。

とりあえず、ここまでの論理は御理解いただけましたでしょうか。→以下補足へ

お礼日時:2019/07/30 20:35

#6です。


(筋の通った文面による)新たな質問を期待しておりますが、少しだけ。

>接続詞というならば、何と何を接続する語であるのか、それを明らかにしなければならないし、会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。

【(あなたはそのように言うかもしれない。)だが】私は納得できない。
【(他の人は、そのようにおっしゃるの)です】が本当とはおもえません。
【(それ)だ】から言っただろう。
【(それ)で】結果は?
【(それ)で】は明日御伺いします。

のように、暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思います。
あくまで素人の感覚ですが。
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この回答へのお礼

コメント有難うございます。

感覚の話しをされても何とも。

「暗黙的に示されている()内の内容と後件を接続しているのだと思います。」ではなく、

会話の相手のことばとこれらの話し手のことばとの接続だというならば、それがどう接続されているのかを具体的に説明しなければならない。

ということです。そもそも、接続とは何かが問題ですが。山田孝雄などは接続詞を否定しています。■

お礼日時:2019/07/30 07:31

『付属語、自立語という誤り』というタイトルですが、なぜ誤りなのかという根拠については、


>付属語は、「つねに自立語のあとに付く単語である」とされていますが、これらの例は、これを否定しています。都合の良い事例のみに基づく定義は恣意的、誤りというしかありません。

とだけしかおっしゃっていませんね。
つまり、アスナロウさんは、次のような質問をされていることになります。
========================
【質問】
学校文法の品詞分類の基準である「付属語、自立語」が誤っているのは、たとえば、付属語が「つねに自立語のあとに付く単語である」とされているから誤りである。
なぜなら、下記例のように付属語が自立語の前に付くこともあるからである。
みなさんはどう思われますか?
========================
ご質問内容は【これ以上でもこれ以下でも】ありません。
ですよね?
誤っている例として挙がっているのが下記。

【だが】私は納得できない。
【です】が本当とはおもえません。
【だ】から言っただろう。
【で】結果は?
【で】は明日御伺いします。

ここで注意すべきは、学校文法では本当に【】内の語を付属語と認定しているのだろうか?
という点。
この点について【】内の語は、辞書では接続詞という自立語として分類されており、付属語ではない、という#2さんのご指摘があります。また、実際に、すべてのネット辞書でそう記載されています。
学校文法は辞書を参照しているはずでしょう。
つまり、

『学校文法の品詞分類の基準である「付属語、自立語」が誤っているのは、たとえば、付属語が「つねに自立語のあとに付く単語である」とされているから。』
という「質問を立てるに至った根拠」が否定されていることになります。

「質問を立てるに至った根拠」が否定されているのですから、たとえば、他の根拠を挙げるなどして質問を立て直さないと、質疑が噛み合わなくなりますよ。
と#2さんはご指摘になっているのだと思います。
別に、「付属語、自立語」に関するアスナロウさんのご見解を否定しているわけでも肯定しているわけでもない。
こうしたちくはぐなやり取りは、ご本人同士にも、見ている側にも不毛ですので、とりあえず締め切って仕切り直していただきたい。
そして、有益で本質的なことを、見ている我々素人に教えていただきたいものです。
補足などでぶつ切りの知識を撒き散らかされても見ている側に益はありませんので、よろしくどうぞ。
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この回答へのお礼

早速のコメント有難うございます。

>>学校文法は辞書を参照しているはずでしょう。

これは、論理が逆転しています。#2のお礼にも記した通り、

現在の辞書編纂者は、文法を研究して自説を立てている学者ではない。現在の出版社は、学生の要求に応じて辞典を作るのであるから、学校で教えている文法の規定に従うことが営業上必要である。権威ある出版社が収録語数の多い厚い辞典を出しているからといって、明治のはじめにくらべてヨリ優秀な辞典だということにはならない。
(三浦つとむ『認識と言語の理論  第三部』107p 注)

ということです。

辞書を盲信するのは止めましょう。勿論、適切な根拠を示されれば問題ありませんが、現在の辞書の品詞分類の混乱は他に指摘している通りです。■

お礼日時:2019/07/30 07:47

No. 4の続きです。



No. 4の下の「この回答へのお礼」を見た限りでは、「ああ、やっぱり「論の結論の是非」と「論の進め方(論証のしかた)の是非」の違いというのは、理解が難しいのだなあ」と思いました。

繰り返しますが、「論の結論の是非」は脇に置いて、「論の進め方(論証のしかた)の是非」というものは議論できるものです。(この辺のことを万一ご存じでないようでしたら、野矢茂樹の『論理トレーニング』をお勧めします。論証のしかたが丁寧に解説されています。)

私の指摘は、No. 4のBからC,D辺りのところ、あの例文を提示しただけでは「論証」になっていない、ということなんですが、「結論が正しければいい」と言わんばかりに、

  一辞書の論理の一慣性などという問題の矮小化は、本提起の本質を理解されていない

「問題の矮小化」などという見当違いのことを言われても、と思いました。

しかし、今回の三浦つとむの引用を見ると、三浦はちゃんと論じているようですね。
どうしてそれを繰り返さず、論証の手間を省くのか。三浦つとむを尊敬するなら、その手法もきちんと学ばないといけません。

もちろん、私としては三浦の論に反論するのは簡単です。まあ、文法に関してはこちらのほうがいろいろ知っていますから。

  「【で】はこれで失礼。」というようなときには、会話の相手の言葉さえ存在しない
  のである。

この一文で、ああ、やっぱり三浦は文法の議論のしかたを知らないな、とわかってしまいました。

最後のところ、

  「付属語、自立語」という定義が根本的な誤りであることが御理解

ですからぁ、何度も言うように、「付属語/自立語」という区分を私が特に弁護しなければならないわけではないんですよ。(私は、いわゆる「付属語」は「語」だとしないほうがいいだろう、という説です。そうすると、「語」とは何か、というもっと大きな範囲の問題になります。これをここで議論しようなんて考えません。こういうことを議論するには、相手を選ばないとむだな時間を浪費するだけで、得るものがありませんから。)

何度言っても、「論証のしかたの誤りの指摘」だということがおわかりにならないようで。

saburoo
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この回答へのお礼

丁寧な応答を有難うございます。

若干当方の疑問を記させていただきます。

>>あの例文を提示しただけでは「論証」になっていない

と、お感じのようなので、補足をさせていただきました。
正しく、当方は「一辞書の論理の一慣性などという」卑小な問題を提起しているわけではありません。

現在の形式主義/機能主義的な言語論が「語」とは何か、というもっとも基本的な問題さえ解決できないその非論理性を指摘しているものです。当然、ここでは議論できませんが当方としては解決済みの問題です。

<いわゆる「付属語」は「語」だとしないほうがいいだろう、という説>は、この語の定義からすれば、正しく典型的な形式主義/機能主義的な発想の誤りというしかありません。

単純に考えても、語でないものを発【語】したり、記述したり、受け手が理解できるわけがありません。

「文法に関してはこちらのほうがいろいろ知っていますから。」というのは、上にいう正しくソシュールパラダイム下の非科学的な形式主義/機能主義的な言語論、文法論でしかないと感じ、その誤りを指摘しているものです。

現在の辞書の性格は補足に記した通りで、辞書を盲信する貴立場から<これらの語は、(辞書が依拠している論では)「付属語」ではありません。>というのは何ら論理性を持たないということです。

<あの例文を提示しただけで>十分ではありますが、他にも事実を提示しています。

そうした、発想では、<あの例文を提示しただけでは「論証」になっていない>というのは、むべなるかなということです。

「付属語は、単独で文節をつくることができず、つねに自立語のあとに付く単語である。」という命題は一例でも判例が示されれば誤謬であるということは御理解いただけるかと思いますが。

当方として、貴理解にしめされたような言語事実に反する非科学的、形式主義/機能主義的な言語論、文法論の誤りを周知徹底すべく問題提起をしているものです。

>>私としては三浦の論に反論するのは簡単です。

であれば、是非参考のためにも反論を御伺したいものです。また、そうした論文を提示いただければ幸いです。

「文法に関してはこちらのほうがいろいろ知っていますから。」というのが空文句ではないことを願うばかりです。

「一辞書の論理の一慣性などという」卑小な問題を提起されても、意味はありません。■

お礼日時:2019/07/29 23:35

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