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司馬遼太郎が「国盗り物語」の中で、次の引用文を登場人物に言わせているそうです。

<人間、思い上がらずになにができましょうか。美人はわが身が美しいと思いあがっていればこそ、より美しくみえ、また美しさを増すものでございまする。才ある者は思いあがってこそ,十の力を十二にも発揮することができ、膂力ある者はわが力優れ理れりと思えばこそ、肚の底から力が湧きあがってくるものでござります。南無妙法蓮華経の妙味はそこにあると申せましょう。>

質問は、<南無妙法蓮華経の妙味>とは何のことですか?

A 回答 (7件)

No.3です。



言いかえれば、自分に自身があれば、そのオーラという自身が表情や言葉や態度にそのまま現れてくるという事。そうなる事で、ただ単にそうした資質を倍加させるというかより凄身を増すという事。
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この回答へのお礼

再度のご解答ありがとうございます。
<そうした資質を倍加させるというかより凄身を増す>ことなのですね。
ところで、上記のことが<南無妙法蓮華経>に関係しているのですか?

お礼日時:2021/04/27 18:44

つまりはですね・・・


「南無妙法蓮華経」は厭らしい

ってことを言いたかったんだと・・・
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2021/04/28 12:07

No.5です。



追記です。

ウィキペディアをみると、司馬遼太郎自身の墓が京都:西本願寺大谷本廟にあると書かれてあります。西本願寺は浄土真宗の寺で称名念仏(南無阿弥陀仏)の寺です。

質問の様に書かれている経緯から、最終的に浄土真宗に帰依されている事は良く分かりません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
作者の心情と登場人物のそれは、必ずしも同一にならなければならい、ではありませんね。
「国盗り物語」の発言者を調べてみます。<経緯>が分かればよいですが。

お礼日時:2021/04/28 09:29

No.4です。



>他の宗派(法華経にとらわれず)でも同様なのですね。

これについては、二つの見方があります。

①.一つには、人間である以上、『南無妙法蓮華経』と唱えれば法味を得ます。ただし、これには『南無妙法蓮華経』というものが、仏が残した最上の『法』であると認識した上での事です。

②.もう一つは、信仰というものには対境となる『本尊』というものがあります。この『本尊』が重要で、何を奉るかによって全く結果が違ってきます。
という事は、宗教・宗派、または日蓮系でも宗派によっては優劣があるという事です。
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この回答へのお礼

度々の回答ありがとうございます。
1.<人間である以上>同様、
2.<何を奉るかによって><優劣>があるのですね。

お礼日時:2021/04/28 09:23

No.3です。



>上記のことが<南無妙法蓮華経>に関係しているのですか?

要するに、『南無妙法蓮華経』と題目をあげる事で、良い方向に確信を深める事ができる、、、と言いたいのでしょう。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
<『南無妙法蓮華経』と題目をあげる事で、良い方向に確信>なのですね。
そうすると、他の宗派(法華経にとらわれず)でも同様なのですね。

お礼日時:2021/04/27 19:17

心の状態を指しています。



要するに、色心不二、依正不二です。
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この回答へのお礼

早急のご回答ありがとうございました。
当方は勉強不足で、申し訳ないのですがご回答を理解することができません。

お礼日時:2021/04/27 18:33

司馬遼太郎のとり方は、正しいかはわからないし、すみませんがわかりません。



https://www.sokanet.jp/blog/58.html
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
当方は勉強不足で、折角の引用も分かりません。

お礼日時:2021/04/27 18:31

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