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藩主は今で言う知事で、庄屋は村長だと聞きますが、では市長や町長は江戸時代で言うとどの様な役職に相当するのでしょうか?
教えて下さい。

A 回答 (9件)

例えば、長州藩だと、藩の中に、長府支藩、岩国支藩と、独立した地域がありました。

これらの藩主が、市長に該当するかもしれません。
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たぶん江戸時代の土地支配をわかりやすく説明しようとして、そうしたたとえを利用したのだと思います。

多くの人が勘違いしていますが、江戸時代の武士は「藩主」と言えども「一坪」の土地も持っていません。土地を持っているのは農民でその体制は「兵農分離」を行った「太閤検地」によってかくりつしました。江戸時代の「藩主」が現在の知事に似ているのはそうした点で、今でも知事になっても「県有地」の所有者になれないのと同じです。
江戸時代、農村は独立した自治機能を持っており、名主(関西では庄屋と呼んだ)を中心に本百姓の自治があったので、そうしたたとえができたのでしょう。町についても「町役人」といわれる町民から選ばれた人たちが町政を行っていて、その職制は似ています。町の有力者が町役人になるという意味でもそれに近いと思います。因みに江戸時代の武士は「幕府」か「藩主」に雇われた使用人の立場で、主な仕事は主人が幕府から支配を認められた土地の「治安維持」と「年貢の取り立て」そして「主人」への奉公が仕事で、調整や村政に直接かかわることはありませんでした。
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あえていえば「知行持ちの藩士」だね。



知行地というのは「与えられた領地」ではない。
「自分がもともと持っている領地」である。

その領地を守るため、知行持ちはより強大な勢力に参加し、領土の安堵を得た。
これが「本領安堵」である。

この場合の「より強大な勢力」とはふつう大大名のことであり、その主は江戸時代で言う藩主である。
そしてその藩主はさらに強大な幕府に従属し、自分の勢力を安堵してもらっていた。

つまり、
・幕府ー藩ー知行持ち
という階層が存在した。
今で言えば
・国家ー都道府県ー市町村
となるだろう。

もちろんお互いの関係は今とは全然違うけど。
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市町村の違いは規模だけ


権限の内容ではありません
村長を庄屋に例えるのなら市長町長も同じ
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そういう当てはめ方がそもそも間違い。


時代も社会制度も全く異なり、当時存在しないものを無理矢理現在のものに当て嵌めても変な誤解を招くだけで全く意味がない。
現在の宇宙ステーションや宅配ボックスに当たるものが江戸時代に存在しないのと同じで、現在の知事と藩主は、全く権限が異なる別次元の存在。
藩主は選挙で選ばれないし、県民は知事の所有物ではない。
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さしずめ、市長や町長は「お代官様」と、言う処でしょうね。

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そもそも江戸時代に市長や町長に相当する役職は存在しません。

無理やり当てはめれば質問文にもあった「庄屋」と言う事になるでしょう。現在の市町村は対等な関係ですから、村長が庄屋なら市長や町長も庄屋と言う事になります。


ちなみに「藩主は知事」と言うのは正確には間違いです。現在の日本の知事は地方自治体の長ですが、藩主はどちらかと言えばアメリカの州知事に近いです。アメリカの州は一種の独立国ですが、藩も同様なので。
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今の政治家は名誉職じゃないから、月とすっぽん。


いうなれば、革命指導者かな。
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江戸時代に市は無いので市長も庄屋です。

商業地帯の町は、名主とも呼ばれましたが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
市町村長(庄屋)は平民のトップで、知事(藩主)は大名という圧倒的な差があったのですね。

お礼日時:2021/05/24 01:17

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