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日本語学習者の格助詞「に」に対する質問に対し、『「に」は場所を表わす』という珍説を延々と繰り返されている方がいます。これを以下、「ニ場珍説」と呼ぼう。
(助詞「に」と「で」について… https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12371106.htm

少し考えれば、格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表しているのは自明なことである。

★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。

という文を見ると、いかにも『「に」は場所を表わす』かのように思われる。しかし、

★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。

では、何ら場所は関係していない。これらの「に」も当然ながら同じ格助詞「に」であり、「に」は同じ意義を表している。

この程度の理解もなしに、延々と「ニ場珍説」を繰り返すのは質問者、学習者の混乱を招く意外の何ものでもない。

また、
>>
「に」は場所を表す、という考えは決定的に誤りではありません。 アスナロウさんがその考えはおかしい、批判されたのは考え方の問題であって、それは文法観(方法論)の違いです。「家にいる」の「に」は「家」が対象であることを示しているのが「に」である。「君にやる」という時、対象は「君」であって「に」では無い。それだけのことです。(No.20)

という珍説を述べられる方もいる。なぜ、このような珍説を披歴するのであろうか。それは、言語表現とは何かが本質的に理解出来ていないためと考えられる。言語は表現であり、語は意義を表すもので「示している」のではない。

この画面を見られている方にとって、「に」はDsp上の特殊な普遍的形のドットの集まりである。つまり、視覚的な形の普遍性である。「こ」の形になると他の意義になってしまいます。音声も音の特殊な普遍的波形であり聴覚の対象である。これらが、意義を表すのはこの形と概念が規範により結び付けられているからであり、学習者はこの規範を学ばねばならない。形が何かを示すのではない。

では、「ニ場珍説」のいう「場所」や同類の「到着場所(着点)」とはどのような概念であろうか。「場所」を見てみよう。

ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
②いどころ。場席。「自分の―を確保する」
③相撲を興行する所。また、その興行。「夏―」
【広辞苑】

が示すように話者、聞き手とは独立に存在する客体であり、「到着場所(着点)」も同じ客体である。しかし、格助詞「に」が表すのは、このような客体の概念ではない。「場所」や「到着場所(着点)」の認識から生まれた話者の意識、主観の直接の表現であり、これを時空間に位置付ける意識を表していることが判る。

★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。

という文で示されている「場所」や「到着場所(着点)」を表しているのは、「公園」「大阪」であり、「に」ではない。当然ながら、

★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。

の「友人」「5時」「先生」は客体であり、「場所」や「到着場所(着点)」ではない。格助詞「に」の意義とは、これら対象を捉えた意識、主観そのものである。

★ 公園【に】行く。

の「に」が場所を表すというのは、語「に」ではなく、この文が表す意味の解釈でしかなく、この意味と語の意義を混同した誤りでしかない。先に言われた文法観の相違などではなく、言語観、文法観の誤りなのである。

これは、回答者だけではなく現在の言語学、日本語学、文法学、日本語教育学のレベル、欠陥を反映したものといわなければならない。

回答者諸子はこうした言語の表現過程、規範による媒介構造を理解することなく、学校文法レベルの思い込みをもとに感覚的な回答を繰り返しているに過ぎないと感じるものであるが、諸賢はいかが判断されますでしょうか。

忌憚のない御意見、御批判をいただきたい。■

質問者からの補足コメント

  • >>正しくは、《【動作】を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》なのだ。

    「動作」も名詞であり、客体です。

    基本的に、客体的表現と主体的表現の語の相違と関連が全く理解できていませんよ!

    「~を位置付ける」の対象「~」は客体で、この客体を認識し位置づける主観の認識を直接に表現する(表す)語が格助詞「に」ということです。

    この媒介構造をきちんと理解しないと混乱、混迷するしかありません。■

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/05/29 09:31
  • 従って、以降の回答の記述は意味を持たなくなります。

    言語表現は、対象→認識→表現という過程的な構造を背後に控えた表現で、この過程的な構造を捉えることができないと対象と表現の次元を混同し混乱する結果になるということを御理解いただければ幸いです。■

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/05/30 16:06
  • ☆ 本を読む。
    のように表現する場合、
    読むという動作の動的な目的対象として【本】が話者に認識されている。

    つまり、本は読むという動作の動的な対象としての実体として認識されている。

    ★ 公園に行く。
    の場合はそうじゃない。
    公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
    なぜかというと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。

    「行く」は、あくまで動的概念としての行動を表し、公園という空間的地点に位置付けられただである。

    格助詞「に」は『静的対象として空間的な場所に位置付けるだけで、実際に動的な行為の対象ではない』

    とも言えるだろう。
    この「位置付ける」という本質を端的に表わすのが「に」という助詞なのだが、もう少し理解が進んでからでないと君に理解は難しいかもしれない。

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/06/01 16:01
  • ともかく、こうしたことを頭に置きながら『日本語はどういう言語か』(季節社版)の

    【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。これは固定したつながりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】

    という解説を味わってみてくれ。
    ※※※※※

    くだらんオーム返しするしか能が無いのかね?
    自分で自分の能力を憐れに感じることはないのか?

      補足日時:2021/06/01 16:03

A 回答 (58件中41~50件)

#16です。



1.
>★ 【先生】に本を貰いました。

では位置付けられるもの(=〇〇)は「に」の前に概念として語に示され、客体的表現である<名詞>「先生」として表されています。そして、詞である「〇〇=先生」が空間的に表現の中(=▲▲)に位置付けられます。

《表現の中(=▲▲)に位置付けられます》
というフレーズの意味を、もう少し詳しく説明してもらいたい。
▲▲は、文中の語として明記されているものではない、ということかな?

2.
>「に」によって「位置付けられるもの=〇〇」は「に」という主観を生みだした客体で、文に於いてはそれが概念として語に示され、客体的表現である詞として表現されます。

「に」は主体的表現(主観)であり「先生」は客体的表現であることは一応理解しているつもりだ。

3.
><「〇〇に▲▲」と言う場合>は、「豚に真珠」「糠に釘」「馬に念仏」「おせんにキャラメル」「月に叢雲華に風」と言った警句が浮かぶので不適切と指摘したものです。

なるほど。
君の質問本文で挙がっている例文は、
★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
など格助詞の「に」だね?
にもかかわらず、
「豚に真珠」「馬の耳に念仏」など、添加用法、あるいは並立助詞とも目される文が浮かんだわけだ。
へえ~~~???
そりゃすまんこって。
「〇〇に▲▲」は、君の質問文にあるような、
★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
という例文を想定してのことだから、そのように受け止めてくれたまえ。
そんな大層なことではあるまい?

>そして回答者自身、この混乱を自演されていることになります。

《この混乱》とは、どの混乱のことかな?
別に混乱などしておらんが???
存在しない混乱を根拠に、

>つまり、「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。
ということが言えるわけだ。

とは言えないことが明らかになります。論理は明快であると思念致しております。

などとほざいているようでは、中学生にも笑われますぞ?(笑)
まったく困った御仁ですなあ。

4.
>大事なのは、
『「に」は場所を表わす』という「ニ場珍説」のような表現は、
「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す。
という事実とは全く矛盾するということです。

現在の論点は「矛盾するのかしないのか」ということだろ?
であるのに「大事なのは、~全く矛盾するということです」などと言うから頭おかしいと思われるのだよ。
《全く矛盾する》と主張したいなら、〇〇という根拠を挙げ、

大事なのは〇〇という点です。

のような構文にしなくてはいけない。
わかるかな?

5.
>で、「に」というドット列が表しているのは概念なのじゃ、この概念を媒介とし個別の概念認識を文として表現しているのじゃが、「に」というドット列が表す概念は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すのじゃ。(#11お礼欄)

これはなかなか興味深い箇所だった。
特に前半部。
こういった点についてもう少し詳しく教授してもらいたいものだが、まったく筋違いの批判を展開する根拠として述べているため、せっかくの内容も似非物に見えてしまう点が残念なところだ。
なぜ筋違いかという点については、その都度、論理的に指摘しているのだから、君も論理的に反論したまえ。
そして、自らの矛盾に気づいたら、

君子豹変す

を思い出すと良いぞ?(笑)

ただ、筋違いの批判を撤回したからといって、
《「に」というドット列が表しているのは概念なのじゃ、この概念を媒介とし個別の概念認識を文として表現している》ことまで否定されるわけじゃないことは理解できるね?
そこで若干ご教授願いたい。

たとえば辞書の項目に載っているようなものは、すべて《ドット列が表している概念》であり「語」である、ということかね?
そして、

★ 【先生】に本を貰いました。
という文などで示される「先生」というドット列(=「先生」という語)の表わす概念は「詞」としての客体的表現であり、
助詞である「に」というドット列(=「に」という語)の表わす概念は「位置付けの認識」を直接的に表わす主体的表現である、と。

間違っている箇所を指摘して、わかりやすく解説してくれると有難い。
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この回答へのお礼

>>たとえば辞書の項目に載っているようなものは、すべて《ドット列が表している概念》であり「語」である、ということかね?

Dsp上に表示されたものであれば、そうですね。
印刷されたものであれば、規範に定められた普遍的な形を表すインクの描線の集合です。

これらは感覚的には視覚の対象でしかありません。感性的な認識対象です。しかし、これらが規範を媒介し、概念を表すことにより読み手に概念による追体験を可能とし、辞書編者の認識を伝えることになります。

ここで問題にしているのは、辞書の見出しに記されている、「ドット列」又は「インクの描線の集合」である【に】が表す意義です。つまり、普遍的な形の絵である【に】が表す概念です。

これが理解できれば、「に」が「着点」や「到達点」や「場所」などを表すのでないことは説明するまでもないことが判りますね!

お礼日時:2021/05/31 09:31

空間的、時間的な位置の認識。


確かにこの説明も・・・を表す、という内容ではありませんね、認識、この内容が理解しかねます。
論理が不十分なものにも理解可能な説明が欲しいところです。
助詞、について、その意味、とか・・・を表す、と表現されるものがあるのか?。
言語表現は、相手に伝える、これが目的です。
発言者の認識なんかどうでもよい、聞いた者(相手)がどう認識するかが問題なんです。
中学校あたりでの授業で。生徒同士が教えあう、形も取り入れられているようですね。
あれは、教えるが側にとっても大変な勉強になるらしいです。
相手の理解能力?に合わせて、表現その他を考える、これが思わぬ効果を持もたらすらしいです。
個人的には、助詞単独では明確な意味は持たない、だから助ける詞。
わかりやすく極端に言えば、相手の脳に働きかけて、暗示?でも与える?、そんな働き、機能と言ってもよいのかな、それがある。
その結果、個々の文の内容によって、受け取った側が、具体的な認識をします、その個々の結果が場所であったり時刻であったり、
その、働き、機能を個々の助詞について、どんな言葉で表現するのか適当なのか?。
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。

>>空間的、時間的な位置の認識。

「位置の認識」ではなく「位置づけ」の認識です。

格助詞は対象の資格、関係の認識の表現で、「に」は認識された対象と属性の関係認識に基づき、対象を空間的・時間的に位置付けようとする主観の直接の表現です。

>>助詞、について、その意味、とか・・・を表す、と表現されるものがあるのか?

言語の本質は話者の認識の【表現】です。概念による認識の表現であり、相手に伝えるのは結果的な機能であり、これを目的として話者の認識が表現されます。この、【表現】としての本質の理解が重要です。

>>発言者の認識なんかどうでもよい、聞いた者(相手)がどう認識するかが問題なんです。

話者の認識は感性的な形に表現されない限り、他者からは伺い知ることができません。これを伝えるために、認識を概念化し、普遍的な感性的形を媒介として規範化したのが言語(表現)です。

>>中学校あたりでの授業で。生徒同士が教えあう

言語を使用せずに身ぶり手ぶりや絵で伝達するのには限界があります。そのため、共同生活、社会生活のために生みだされたのが言語で、人類の発展の基礎となっています。
教育において外国人移入者の言語教育の重要性が認識され、問題になっています。

まずは言語とは何かを正しく理解しましょう!

そして、対象を概念により正しく認識、理解し、それを表現する能力を身につけつことが第一です。■

お礼日時:2021/05/31 09:59

15です。



1.
>まあ、これは先に返答させていただいたように質問自体が不適切なので、あまり気にしないでください。

そうやって「自らの発言」の矛盾から逃げているから理解が進まないのだよ。
「自らの発言」の矛盾なのだから、あれ読め、これ読めは関係ないぞ。

2.
>「▲▲」は通常、動詞なのでこれでは意味不明であまり論じてもどうしようもありません。

短絡的思考だから「意味不明」となるという事に気づくべきだね。
まあ、しかし「動詞なのでこれでは意味不明」という気持ちはよくわかる。
その点について若干述べてみるから素直な気持ちで読んでくれ。
#11の君の投稿内容と関連すると思うので、以下、それに沿って述べてみよう。

3.
>で、「に」というドット列が表しているのは概念なのじゃ、この概念を媒介とし個別の概念認識を文として表現しているのじゃが、「に」というドット列が表す概念は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すのじゃ。

そりゃそうだろうね
「ドット列」という表現自体は目新しいが、その概念が、
《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す
というのは別に珍しくもない、当たり前のことだろう。
それを否定する人は誰もいないはずだ。

>つまり、《(広義の)場所》などという客体の概念ではありえないということなのじゃ。どうして、主観の直接の表現の語(直接にはドット列)が同時に客体を表すことができるのかを問うているのじゃが?

ここで「つまり」という順接を使うところが君の短絡的思考なのだよ。

「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すのだろ?
ということは、

{《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す「に」によって位置付けられるもの}
があるわけだ。(それが何か、に関しては後述する)
いずれにせよ「位置付けられる」以上、その「位置付けられるもの」が位置付けられる【先】(=〇〇)も必ず存在しなければならないよね?
わかるかな?

つまり、

「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。

ということが言えるわけだ。
そのことをかいつまんで、

《「に」は〇〇を表わす》

と表現するのであり、極めて当たり前のことを言っているだけなのだよ。
わかるかね?
大事なのは、このように表現しても、

「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す。

という事実とは何ら矛盾は発生しないということが君には理解できていない、という点だ。
上の説明でわかってくれたことを願うばかりだが、もう少し補足しておこう。

まず、{《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す「に」によって位置付けられるもの}とは基本的に「動作」や「状態」など文において述部になるものだ。

《「動作」や「状態」を位置付ける》という概念はたしかに想像力がないと納得しづらいかもしれない。
納得するためには、まさに君自身が使用している「位置付ける」という動詞の意味を正確に理解する必要がある。

たとえば、「を」の意義や語釈に関して、
「を」
●動作・作用の対象を位置付ける。「本―読む」「講演―終わる」
などという馬鹿なことを言う人はひとりもいないはずだ。
(いるとすれば、何もわからないまま、それこそ門前の小僧並みの理解しかしていないことになる)
あくまで、
「を」
●動作・作用の対象を表す。「本―読む」「講演―終わる」
だ。
何を言いたいかというと、

君は「対象を位置付ける」と「対象を表わす」という表現の意味する違いを理解しているかね?

ということだ。
ここで言う「対象」とは「その認識や意志などの作用が向けられるもの」のこと。

☆ 本を読む。
「を」は、「読む」という動作(意志の作用)が向けられるものが「本」であることを表わす。

という意味になる。

しかし、

★ 公園に行く。
これは、【「行く」という動作(意志の作用)が向けられるものが「公園」であることを表わしている】わけじゃない。

「公園」は「行く」という動作が向けられる対象ではなく、「行く」という動作が位置付けられる対象なのだ。

『動作は向けられるのではなく動作は位置付けられる』
これが格助詞「に」の真骨頂と言える。

☆ 本を読む。
のように表現する場合、
読むという動作によって本の中身は話者の頭の中に吸収されていく。
つまり、本は読むという動作によって動的な影響を受けることになる。

★ 公園に行く。
の場合はそうじゃない。
公園は動的影響を受けることはないのだよ。
なぜかというと、「行く」という動作は公園に位置付けられた段階で落着しているからだ。
「行く」は、あくまで動的概念として公園という空間的地点に、落着する形で位置付けられただけなのだ。
格助詞「に」は『動的概念として動作を位置付けることで落着させてしまうので、実際に動的影響を与えるには至らない』
とも言えるだろう。
この「落着させる」という本質を端的に表わすのが「着点」という用語なのだが、もう少し理解が進んでからでないと君に理解は難しいかもしれない。

ともかく、こうしたことを頭に置きながら学国の

【動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定】

という解説を味わってみてくれ。
必ず何か得るものがあるはずだ。
特に、
『行われるところをそこと指定』
ではなく、あくまで、
『おもむくところをそこと指定』
であるという点に着目してもらいたい。

反論は大いに歓迎するぞ?
お互い不十分な見識しか持ち合わせていないわけだが、揉み合うことで昇華されていくものは必ずあるからね、
ただし、あくまで具体的且つ論理的に指摘してくれよな?(笑)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早速の応答、恐れ入ります。

ここは、当方の品格を守り冷静に応答させていただきます。
粗野な雰囲気に同調し誤解を招かないよう自重したいと考えております。

>>いずれにせよ「位置付けられる」以上、その「位置付けられるもの」が位置付けられる【先】(=〇〇)も必ず存在しなければならないよね?
わかるかな?

ここは提起が混迷していると感じますので、出直されるのが適切かと推量致します。また、このような混迷を招く発想、思考をされている証でもあります。

位置付けられる【先】(=〇〇)は、「〇〇に▲▲」の場合、位置付けられる【先】(=▲▲)ではないかと思念されます。

いずれにしても、この表現と表現の対象との混同が議論を誤る論理的ポイントです。

「に」によって「位置付けられるもの=〇〇」は「に」という主観を生みだした客体で、文に於いてはそれが概念として語に示され、客体的表現である詞として表現されます。

★ 【先生】に本を貰いました。

では位置付けられるもの(=〇〇)は「に」の前に概念として語に示され、客体的表現である<名詞>「先生」として表されています。そして、詞である「〇〇=先生」が空間的に表現の中(=▲▲)に位置付けられます。

<「〇〇に▲▲」と言う場合>は、「豚に真珠」「糠に釘」「馬に念仏」「おせんにキャラメル」「月に叢雲華に風」と言った警句が浮かぶので不適切と指摘したものです。

そして回答者自身、この混乱を自演されていることになります。つまり、

>>「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。
ということが言えるわけだ。

とは言えないことが明らかになります。論理は明快であると思念致しております。

大事なのは、
『「に」は場所を表わす』という「ニ場珍説」のような表現は、

「に」は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す。

という事実とは全く矛盾するということです。

>>まず、{《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表す「に」によって位置付けられるもの}とは基本的に「動作」や「状態」など文において述部になるものだ。

ではなく、格助詞「に」の前に客体の概念として表現された詞が表す対象が
位置付けられるという事実です。

お礼日時:2021/05/30 16:01

#14です。



>>>《【〇〇】が、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておる》
という認識が間違っているために

どこがどう誤っているのか具体的にお答えいただけると参考になります。

《【〇〇】が、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておる》
《【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【〇〇】に決まっておる》
君の発言したこの2つの内容は同時に成立しないからだ。
端的に言うと、
《【〇〇】を【〇〇】に位置付ける》という矛盾が生じるから。
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この回答へのお礼

まあ、これは先に返答させていただいたように質問自体が不適切なので、あまり気にしないでください。

「ニ場珍説」の誤りを理解いただくことが重要です。■

お礼日時:2021/05/29 21:25

よくぞこれほど矛盾した論理を展開できますな?


呆れを通り越して感心してしまうほどだわい。(笑)(笑)
まずは、(#10)にある典型を指摘しておくから、自分自身でよく考えて見給え。

>本当に日本語が判らんのか?
「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】の表現を媒介して、【〇〇】が、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておるじゃろう。
【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【〇〇】に決まっておるじゃろう。

ということは、

「〇〇に▲▲」と言う場合、
「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】の表現を媒介して、【〇〇】が【〇〇】に、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておるじゃろう。

と君は言っていることになるわけだ。
たしかに、君の論理でいくとこうならざるを得ない。
その意味で君は自身の論理に忠実に解釈しているわけだ。
その点は褒めてしんぜよう。

しかし、ここにきて自らの矛盾が明らかになったことは理解できるよね?
いちいち解説せずとも。
矛盾が生じるということは、結論に至るまでの論理過程のどこかで誤謬が生じているからだね?

《【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【〇〇】に決まっておるじゃろう。》
という点は正しい。
しかし、
《【〇〇】が、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておる》
という認識が間違っているために、

「〇〇に▲▲」と言う場合、
「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】の表現を媒介して、【〇〇】が【〇〇】に、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておるじゃろう。

という矛盾した記述が生まれてしまうわけだ。
わかるよね?
よく考え直して矛盾のない文に改正してくれたまえ。
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この回答へのお礼

こじつけの無理解な回答をありがとうございます。

>>《【〇〇】が、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておる》
という認識が間違っているために

どこがどう誤っているのか具体的にお答えいただけると参考になります。
但し、<「〇〇に▲▲」と言う場合>という前提自体が不適切です。

「▲▲」は通常、動詞なのでこれでは意味不明であまり論じてもどうしようもありません。

ここにも、回答者の助詞に対する無理解が露呈しています。

助詞を付属語とする学校文法の誤った品詞分類を基に思考しているための限界、欠陥です。■

お礼日時:2021/05/29 18:45

#9です。



1.
>《格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】を表現すること》によって、客体を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)。

ということじゃ。きちんと日本語を理解し拳拳服膺しなさい。

おお!
若干の進歩は見られますな。
根本的な誤りはあるが、一旦、それには目をつぶって、君の開眼をほめておこう。
そして、重要なことだが、君の言説に則って言えば、
《客体を位置付ける機能(働き)を果たす》ためには、その客体を示す必要があるよね?
だから、君のその表現は、

『格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】を表現する(表わす)こと》によって客体を表わす。』

と言ってよいのだよ。
これが理解できれば大進歩だが、どうかね?(笑)
つまり、根本的な誤りを抱えたままであっても、

《格助詞「に」は、(場所などの)客体を表わす。》

という表現が可能になるということを君自身が証明したわけだ。
これで、第一段階はクリアできたかもしれんな。

2.
さてまだ肝心の問題が積み残されている。
上で述べた《根本的な誤り》についてだ。
これはあらかじめ想定できていたので、

《格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】》によって、何かをどこかに位置付ける働きをする》

のように敢えて曖昧な表現をしておいた次第。
種を明かせば、
「何か=動作」
「どこか=(広義の)場所」
だ。
君の根本的な誤りは
《客体を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》という箇所だ。
正しくは、
《動作を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》なのだ。
位置付けられる先は「(広義の)場所」。
つまり、格助詞「に」の最終形態は以下のようになる。

【格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの認識》によって、動作を(広義の)場所に位置付ける。
結果的に格助詞「に」は、位置付け先である(広義の)場所を表す(示す)】

これを一般的にかみ砕いた表現では、

【「に」は場所を表す】

となる。
ちょっと今回の論理展開は難しかったかもしれんね。
批判があれば、具体的箇所を示しつつやってくれたまえ。

3.
>言語表現の過程的、媒介構造を理解していないと了解出来ないと言うことじ
ゃ!

このパラダイム転換を図らないと理解不能になるしかないと最初から指摘しているのじゃが?

《言語表現の過程的、媒介構造を理解》しているはずの君が、

《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの認識を表わす》

の意味を曲解しているわけだよね?

何をどこに位置付けるのか?

という根本をまったく理解しておらん。

《言語表現の過程的、媒介構造を理解》についてはぜひご教授願いたいと(本気で)思っているのだが、その気が失せるのもやむを得んとは思わんかね?
だから、パラダイム転換を図ると〇〇のように正しい解釈ができるようになる、ということを示してくれないと《言語表現の過程的、媒介構造を理解》と言われても、何を言ってんのコイツ?という印象しか受けないのが普通だろうさ。
違うかね?
論理的な説明がまったくできていないのに、そういった紋切り型の用語ばかり振り回すから念仏とか馬鹿にされるのだよ。

まずは、論理的プロセスを最優先しつつ素直に応答することで、お互いに活路を見出そうじゃないか。
詭弁や居直りや誤魔化しは通用せんことぐらい、もうわかっただろ?
とりあえず、人の言ったことを何回か読み直した上で返答する習慣をつけてくれ。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

あかんね!
1.
>>『格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】を表現する(表わす)こと》によって客体を表わす。』
と言ってよいのだよ。

いいわけないでしょ!
それは、語の意義を介し表現された個別の文での話者の認識の表現である意味の解釈に過ぎないの!

何奴いったら判るのかな?

>>(表わす)こと》に【よって】

というのは媒介を言っているのが理解できないのね!
全く、進歩がみられませんね!

これが理解できれば大進歩だが、どうかね?(笑)

2.
>>正しくは、《動作を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》なのだ。

な、わけないだろう。

ここに本があります。

の動作って何なの?
位置付けの対象は「ここ」だろう! <奴>(--〆)
阿呆か!

>>ちょっと今回の論理展開は難しかったかもしれんね。

阿呆の論理が理解できる訳がなかろうが!

3.
君は、

《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの認識を表わす》

の意味を曲解しているわけなの!

何をどこに位置付けるのか?

という根本をまったく理解しておらん。

《言語表現の過程的、媒介構造》を全く理解していない君には手を焼くしかないよ!

>>《言語表現の過程的、媒介構造を理解》についてはぜひご教授願いたいと(本気で)思っている

ならば、まずは購入した『日本語はどういう言語か』きちんと理解し、不明な点を質問しなさい!

これも読めずにあれこれ言っても始まらんのじゃ!

論理的な説明がまったく理解できていないのに、

>>論理的プロセスを最優先しつつ素直に応答することで、お互いに活路を見出そうじゃないか。

などと何を格好をつけて逃げきろうとしているの?

笑止千万!

詭弁や居直りや誤魔化しは通用せんことぐらい、もうわかっただろ?
とりあえず、人の言ったことを何回か読み直した上で返答する習慣をつけなさい!

お礼日時:2021/05/29 09:16

#8です。



>早くゲロして楽になりなさい!

自分自身に言いたい気分だろ?(笑)(笑)

因みに、
《過ちては改むるに憚ること勿れ》
とは、
《過たずとも改むるに憚ること勿れ》
という意味ではないぞ?(笑)
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この回答へのお礼

何を言っているのやら?

>>《過たずとも改むるに憚ること勿れ》
という意味ではないぞ?(笑)


お礼日時:2021/05/29 08:49

#7です。



1.
>まだ、うろついているのか!

《忌憚のない御意見、御批判をいただきたい。》という君の要望に答えてやってるんだから、ちったあ有難く拝聴したらどうかね?
噛みしめるとなかなかいいことを言っておるぞ?(笑)

2.
>>「語は意義を表すもの」というのはその通りだ。

判ればそれでよいのだが。
そこで深く反省し、無駄口を叩かないように!

また意味不明なことをほざいてますな?
「語は意義を表すもの」というのはその通りだ」ということがわかったことで、一体何を反省するのかね???
そもそも「語は意義を表す」を否定したことはないわけだしな。
そうだろ?
これが君の言う「論理的思考」に基づいた発言なのかね?(笑)

3.
>>「に」は主体的認識だが、その主体的認識によって客体を示すことはできるだろ?
こういうことだ。

度々奴…どういうことじゃ!
「に」は主体的認識の表現じゃが、それ以上に何かを示すのか?
一体どういうロジック、メカニズムなのか後学のためにフローでも示してくれぬか?

君は、よほど頭が悪いか、よほど注意力の散漫な輩と見えるね。
ま、他人のことを言えた義理ではないかもしれんが。(笑)

《「に」は主体的認識の表現じゃが、それ以上に何かを示すのか?》
これ、君の短絡思考では極めて自然な疑問だと思う。
ただ、そのことは最初からわかっているし要点だから、真っ先に#1で示してあげたはずだぞ?
読んでないのか?
それとも忘れたのかな?
猫に小判
豚に真珠
だが、止むを得ん。
無駄かもしれんが再掲しよう。

※※※
格助詞「に」が時間的、空間的な位置付けの【認識】を表しているのは自明なことである。
格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】》によって、何かをどこかに位置付ける働きをするわけだ。
その働きによって、時間的、空間的に位置付けられた地点としての場所が示されるのだから、

「に」が(広義の)場所を表す。

のは当たり前すぎるぐらい当たり前のことだ。
※※※

《時間的、空間的な位置付けの【認識】》を表わすところの「に」が、(広義の)場所を表わすことになる。

ということ。
どうかね、わかってもらえたかな?
疑問点があれば「具体的箇所を明示した上で」指摘してくれたまえ。
いくらでも答えてしんぜようぞ?

>大発見かもしれぬぞ?

君の頭にとってそうであることを願っておる。(笑)
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この回答へのお礼

判らん、オッサンじゃのう!
1.
《忌憚のない御意見、御批判をいただきたい。》とは中身と論理があって初めて成立するのじゃ!

当方の論理的指摘をちったあ有難く拝聴したらどうかね?
噛みしめるとなかなかいいことを言っておるぞ?(笑)

2.
>>一体何を反省するのかね???

また意味不明なことをほざいてますな?
反省能力無き己の非論理性じゃ!
そうだろ?
これが君の言う「論理的思考」に基づいた発言なのかね?(笑)

3.
>>《時間的、空間的な位置付けの【認識】》を表わすところの「に」が、(広義の)場所を表わすことになる。

君は、よほど頭が悪いか、よほど注意力の散漫な輩と見えるね。
一文の解釈の矛盾も理解できんのか?
これ、君の短絡思考では極めて自然な疑問だと思う。
まあ、単細胞的形式論理の思考では已むを得ぬとは思うがね。

最初から言っているようにヘーゲル以前のパラダイムということなの!
こう言っても、猫に小判
豚に真珠
だが、止むを得ん。
無駄かもしれんが詳解しよう。

いいかね!
この質問の最初に掲げたように、君と当方はPCのDspに表示されたドット列を介しやり取りしているのは理解できるね?

このドット列がPCでコード化され無線Lanや光ファイバーを通し繋がっているのじゃ。このように壮大な媒介過程を通じお互いの認識を交換しているのじゃよ。

で、「に」というドット列が表しているのは概念なのじゃ、この概念を媒介とし個別の概念認識を文として表現しているのじゃが、「に」というドット列が表す概念は《時間的、空間的な位置付けの【認識】》という主観を直接に表すのじゃ。

つまり、《(広義の)場所》などという客体の概念ではありえないということなのじゃ。どうして、主観の直接の表現の語(直接にはドット列)が同時に客体を表すことができるのかを問うているのじゃが?

こうした媒介の論理無しには言語の表現過程は理解できぬのじゃ!

どうかね、わかってもらえたかな?
疑問点があれば「具体的箇所を明示した上で」指摘してくれたまえ。
いくらでも答えてしんぜようぞ?

お礼日時:2021/05/29 08:47

#6です。



1.
>>「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表している。》
という「に」の意義を「一般的にかみ砕いた」ものである。

「場所を表してはいない」と指摘しているのに何を「一般的にかみ砕いた」のじゃ!

「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表している。》という「に」の意義【を】

と書いてあるのが目に入らないのかな???

2.
>>《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》ことを私が否定したことは一度もないはずだが?

ではないのかね?
この、どこが《場所を表している。》という「ニ場珍説」になるのじゃ?

いやはや卓袱台返しがお得意ですなあ。(笑)
#1の下記箇所をじっくり読み直してみるといいよ。
このように論理だてて説明してやってるんだから、ちったあ真面目に読んだらどうだ?(笑)
そして、わからん点があったら【具体的箇所を指摘した上で】批判なり質問なりすればいいのだよ。
わかるね?

※※※(#1再掲)
因みに「位置付ける」の意味を知ってますか?
「位置付ける」とは、
物の占める場所をある地点に定める。配置する。
「展示物を正面に━」
という意味の他動詞。

「〇〇に▲▲」と言う場合、「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】によって、▲▲が〇〇に位置付けられる。
つまり、「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表しているわけだ。
「位置付けられる先」が、時間的な、または空間的な、あるいは心理的などの「場所」に他ならないことは明白だ。
「位置付けられる先」としての場所が存在しないのに、「位置付ける」ことはできないよね?
簡単な話だろう。

広義の場所だから、
「場所=位置=地点」
のように認識しておくと良い。
精選版日本国語辞典の
「ある物事が、存在したり行なわれたりするところ。ところ。場。位置。」
という語釈が適切だろう。

こうしたことから一般的にかみ砕いた表現で、

「に」は場所を表す。

というわけだ。
※※※

3.
>>否定したことがあるというなら、その箇所を明示したまえ。

とは、度々奴…どの口が言っておるのじゃ!

ま、まさか、かみ砕いたら否定したことになる、などと言ってるわけではあるまいな???(笑)
いや、まさか・・・。
しかし、君のことだからその可能性もあるか・・・。
どうなんだね?

4.
>>「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表している。》
という解釈は間違っているのかね?
それとも正しいのかね?

本当の阿呆か!
日本語が判らんのか?
「ニ場珍説」じゃ!

2択にさえまともな日本語で答えられないとは憐れなものですな。
要するに間違っている、ということだね?
ということは、

《「〇〇に▲▲」と言う場合、「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】によって、▲▲が〇〇に位置付けられる。》

という解釈も間違っている、と言っているわけだ。
そこでぜひ教えてほしいのだが、
君の見解では、

「〇〇に▲▲」と言う場合、

「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】によって、

【何】が【どこ】に位置付けられるのかね?
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この回答へのお礼

プンプン

相変わらずじゃのう!

1.
>>「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表している。》という「に」の意義【を】
と書いてあるのが目に入らないのかな???

《「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表している。》などという「ニ場珍説」をかみ砕いてどうするのじゃ?
阿呆か!

2.
>>つまり、「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表しているわけだ。

いやはや卓袱台返しがお得意ですなあ。(笑)

>>《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》ことを私が否定したことは一度もないはずだが?

ではないのかね?
この、どこが《場所を表している。》という「ニ場珍説」になるのじゃ?

このように論理だてて説明してやってるんだから、ちったあ真面目に読んだらどうだ?(笑)
そして、わからん点があったら【具体的箇所を指摘した上で】批判なり質問なりすればいいのだよ。
わかるね?
論理というものが無いのかね!

3.
>>かみ砕いたら否定したことになる、などと言ってるわけではあるまい

《「に」は〇〇という(位置付けられるべき)場所を表している。》などという「ニ場珍説」をかみ砕いてどうするのじゃ?
阿呆か!

4.
>>そこでぜひ教えてほしいのだが、
君の見解では、
「〇〇に▲▲」と言う場合、
「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】によって、
【何】が【どこ】に位置付けられるのかね?

本当に日本語が判らんのか?

「に」の時間的、空間的な位置付けの【認識】の表現を媒介して、【〇〇】が、時間的、空間的に位置付けられるに決まっておるじゃろう。

【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【〇〇】に決まっておるじゃろう。

そんなことも判らずにあれこれ言っているようでは話にならんね!
媒介の論理が理解できておらんのじゃ!

お礼日時:2021/05/29 08:12

#5です。



>「位置付け」は連用形名詞じゃ。判るかな?
それを勝手に動詞に変えて何を質問しているのかね?
>勝手に動詞に変えたのだから、質問はこちらがせねばならぬよね!

わあっはっはっ~~~!!!(笑)
詭弁、ここに極まれり!
ですな。
すると何かね、

《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》

と言うとき、
「位置付ける」という動作の主体も対象も想定していないということかね???
この文において「位置付ける」という動作は想定されていないのだ、と明言してみろよ???

>機能と本質の相違と関連が全く理解出来ていないのを露呈しておるぞ!

本質というのは、そのもの固有の機能ということだ。
いかにも全く別物であるかのような、くだらん詭弁を振り回すのは止め給え。
どこかのボンクラならいざ知らず、このわたしにはそんなコケ脅しが通用しないことぐらい、いい加減学習したらどうかね?(笑)

御託はどうでもいいが、要点は、

《格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】》によって、何かをどこかに位置付ける働きを》するのかしないのか?

と聞いているのだよ。
これも君の頭に合わせて2択にしてやってるんだから、ちゃんと答えたまえ。
どうなんだね?
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この回答へのお礼

わからんボンクラじゃのう!

>>《格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】》によって、何かをどこかに位置付ける働きを》するのかしないのか?

何度云ったらわかるのじゃ?
自分で、

>>《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》ことを私が否定したことは一度もないはずだが?

とほざいておいて意味が理解できていないのかね!

つまり、ボンクラに判るように言えば、

《格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの【認識】を表現すること》によって、客体を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)。

ということじゃ。きちんと日本語を理解し拳拳服膺しなさい。

言語表現の過程的、媒介構造を理解していないと了解出来ないと言うことじ
ゃ!

このパラダイム転換を図らないと理解不能になるしかないと最初から指摘しているのじゃが?

もう少し、補足すると

場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について
-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題-
(岡田 美穂1),奥田 俊博2)
https://core.ac.uk/download/pdf/230235716.pdf

が、

日本語学習者は日本語能力が中級レベルになっても,「あの喫茶店にコーヒーを飲もう」(顧1983)1)や「クラスで2人韓国人がいる」(岡田・林田2007)2)のような誤りが見られる.

としながら、この原因/対策を明らかにできず、整理と課題しか提起できないのもボンクラのおっさんと同じで、このパラダイム転換を図ることができていないからなのじゃ!

これも君の頭に合わせて親切に詳解してあげたのじゃが理解できたかな?
どうなんだね?

お礼日時:2021/05/28 23:47

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