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日本語学習者の格助詞「に」に対する質問に対し、『「に」は場所を表わす』という珍説を延々と繰り返されている方がいます。これを以下、「ニ場珍説」と呼ぼう。
(助詞「に」と「で」について… https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12371106.htm

少し考えれば、格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表しているのは自明なことである。

★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。

という文を見ると、いかにも『「に」は場所を表わす』かのように思われる。しかし、

★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。

では、何ら場所は関係していない。これらの「に」も当然ながら同じ格助詞「に」であり、「に」は同じ意義を表している。

この程度の理解もなしに、延々と「ニ場珍説」を繰り返すのは質問者、学習者の混乱を招く意外の何ものでもない。

また、
>>
「に」は場所を表す、という考えは決定的に誤りではありません。 アスナロウさんがその考えはおかしい、批判されたのは考え方の問題であって、それは文法観(方法論)の違いです。「家にいる」の「に」は「家」が対象であることを示しているのが「に」である。「君にやる」という時、対象は「君」であって「に」では無い。それだけのことです。(No.20)

という珍説を述べられる方もいる。なぜ、このような珍説を披歴するのであろうか。それは、言語表現とは何かが本質的に理解出来ていないためと考えられる。言語は表現であり、語は意義を表すもので「示している」のではない。

この画面を見られている方にとって、「に」はDsp上の特殊な普遍的形のドットの集まりである。つまり、視覚的な形の普遍性である。「こ」の形になると他の意義になってしまいます。音声も音の特殊な普遍的波形であり聴覚の対象である。これらが、意義を表すのはこの形と概念が規範により結び付けられているからであり、学習者はこの規範を学ばねばならない。形が何かを示すのではない。

では、「ニ場珍説」のいう「場所」や同類の「到着場所(着点)」とはどのような概念であろうか。「場所」を見てみよう。

ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
②いどころ。場席。「自分の―を確保する」
③相撲を興行する所。また、その興行。「夏―」
【広辞苑】

が示すように話者、聞き手とは独立に存在する客体であり、「到着場所(着点)」も同じ客体である。しかし、格助詞「に」が表すのは、このような客体の概念ではない。「場所」や「到着場所(着点)」の認識から生まれた話者の意識、主観の直接の表現であり、これを時空間に位置付ける意識を表していることが判る。

★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。

という文で示されている「場所」や「到着場所(着点)」を表しているのは、「公園」「大阪」であり、「に」ではない。当然ながら、

★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。

の「友人」「5時」「先生」は客体であり、「場所」や「到着場所(着点)」ではない。格助詞「に」の意義とは、これら対象を捉えた意識、主観そのものである。

★ 公園【に】行く。

の「に」が場所を表すというのは、語「に」ではなく、この文が表す意味の解釈でしかなく、この意味と語の意義を混同した誤りでしかない。先に言われた文法観の相違などではなく、言語観、文法観の誤りなのである。

これは、回答者だけではなく現在の言語学、日本語学、文法学、日本語教育学のレベル、欠陥を反映したものといわなければならない。

回答者諸子はこうした言語の表現過程、規範による媒介構造を理解することなく、学校文法レベルの思い込みをもとに感覚的な回答を繰り返しているに過ぎないと感じるものであるが、諸賢はいかが判断されますでしょうか。

忌憚のない御意見、御批判をいただきたい。■

質問者からの補足コメント

  • >>正しくは、《【動作】を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》なのだ。

    「動作」も名詞であり、客体です。

    基本的に、客体的表現と主体的表現の語の相違と関連が全く理解できていませんよ!

    「~を位置付ける」の対象「~」は客体で、この客体を認識し位置づける主観の認識を直接に表現する(表す)語が格助詞「に」ということです。

    この媒介構造をきちんと理解しないと混乱、混迷するしかありません。■

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/05/29 09:31
  • 従って、以降の回答の記述は意味を持たなくなります。

    言語表現は、対象→認識→表現という過程的な構造を背後に控えた表現で、この過程的な構造を捉えることができないと対象と表現の次元を混同し混乱する結果になるということを御理解いただければ幸いです。■

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/05/30 16:06
  • ☆ 本を読む。
    のように表現する場合、
    読むという動作の動的な目的対象として【本】が話者に認識されている。

    つまり、本は読むという動作の動的な対象としての実体として認識されている。

    ★ 公園に行く。
    の場合はそうじゃない。
    公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
    なぜかというと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。

    「行く」は、あくまで動的概念としての行動を表し、公園という空間的地点に位置付けられただである。

    格助詞「に」は『静的対象として空間的な場所に位置付けるだけで、実際に動的な行為の対象ではない』

    とも言えるだろう。
    この「位置付ける」という本質を端的に表わすのが「に」という助詞なのだが、もう少し理解が進んでからでないと君に理解は難しいかもしれない。

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/06/01 16:01
  • ともかく、こうしたことを頭に置きながら『日本語はどういう言語か』(季節社版)の

    【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。これは固定したつながりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】

    という解説を味わってみてくれ。
    ※※※※※

    くだらんオーム返しするしか能が無いのかね?
    自分で自分の能力を憐れに感じることはないのか?

      補足日時:2021/06/01 16:03

A 回答 (58件中21~30件)

早々の収束おめでとう・・・・なんて「挨拶もありそうです。


それで相手を侮辱したつもり?。
収縮と区別がついていない、そんな人が倫理、李論理ですか。
>しかるべきところへ相談してはとお奨めしたのですが?
オーム返しをさらけ出した人の言うことなんか、聞き置くにスラとどめていません。
改めて、虚無感というものを感じさせてもらいました、なんの感動も、なんの反応も、怒りも、憎しみも起きません、まったく何の反応も示さない自分の状態が恐ろしいくらいです、相手に対しては哀れ?すら感じました。
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この回答へのお礼

>>そんな人が倫理、李論理ですか。



>>なんの感動も、なんの反応も、怒りも、憎しみも起きません、

これこそ感性が鈍磨した重大な兆候です。
こうしたを症状を見逃すことなく、早めの受診が大切です。

老婆心ながら!

お礼日時:2021/06/04 16:52

#33だが、君が理解しやすいように一部修正しておく。



×
という文は、その骨子においてほとんど同じ内容であることが証明できるわけだ。


という文は、《〇〇を表わす》という点では同じことを言っている、ということが証明できるわけだ。
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この回答へのお礼

その本質において全く異なる内容であることを滾滾と説いておるのが判らんのか?■

お礼日時:2021/06/04 00:50

#32です。



>>何が公園に位置付けられるのかね?

「公園」が時空に位置付けられるに決まっておる!

猫やゴミを公園に位置付けるのか!

★公園に行く。
という文においては、
《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》
と君は言った。
『【公園に】位置付けられる』とのことだが、何が公園に位置付けられるのかね?》

これが質問内容であることは理解しておるかな?

《「公園」が時空に位置付けられるに決まっておる!》では答えになっていないことぐらい、さすがにわかるよね???
質問内容を理解した上で再度の回答を待っておる。
まさかとは思うが、仮に質問内容が理解できないのなら、その旨知らせてくれたまえ。
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この回答へのお礼

『【公園に】位置付けられる』とのことだが、何が公園に位置付けられるのかね?》
これが質問内容であることは理解しておるかな?

主語が省略されておると指摘したのが理解できておらんの!

「行く」という主体は述語の中に含まれておるのじゃ!

君は何を公園【に】行かせるのかな?

お礼日時:2021/06/04 00:46

#31です。



1.
>>《【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。》
というのは君の主張していたことなのだが、それを承知の上で言っているのかね???

合点、承知の助じゃ!

ほお??
承知の上ということだね。
ではなぜ、#20お礼欄で、

《>>【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。

決まってませんね。

先生はどこにいますか?

これは先生の空間的な場所を聞いているもので、「どこ」は不定の場所で先生ではありません。これが回答者の基本的な誤認です。》

のような批判をしたのかね???
《回答者の基本的な誤認》と言っているのだから、自分の言ったことを自分で批判したわけでもなさそうだが?
どういうことか説明してくれんか?

2.
>グダグダ言わずとも判る人は判っておるのじゃ!

カスに簡単に騙される、そこらのボンクラと一緒にしてもらっては困りますな?(笑)
論理的に言っても、君には「グダグダ」にしか聞こえないのだね?
まさに、こういうことを以って、

豚に真珠
猫に小判
犬に論語
馬の耳に念仏
アスナロウにhakobulu

と言うのだよ。
少しは勉強になったかな?(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
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この回答へのお礼

先生はどこにいますか?

これは先生の空間的な場所を聞いているもので、「どこ」は不定の場所で先生ではありません。当然じゃ!

《これが回答者の基本的な誤認です。》

「先生=場所」と言い張るのかな

これは先生の空間的な場所を聞いているもので、「どこ」は不定の場所で先生ではありません。《これが回答者の基本的な誤認です。》

ということが理解できんのかな?

見苦しい罵言は止しましょう!

お礼日時:2021/06/04 00:38

オーム返し、がよほど答えた?。


他人に対して使ってみたかった。
でもこんな長い言葉シャベルオームに遭遇したことありません。
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この回答へのお礼

その程度の理解力ですか。

毎度のオーム返しの御仁に相応しいですね!

お礼日時:2021/06/03 18:43

#30です。



1.
>否定したことがあるというなら、その箇所を明示したまえ。//

これは誰の言じゃ。
いったいどの口が喋っておるのじゃ!(奴)
二枚舌、三枚舌の妖怪を成敗してくれん!

《格助詞「に」は着点を表わす》
《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》
この2つは矛盾しているだろう、ということだね?
しかし、全然矛盾してはおらんのだよ。

なぜかというと、「位置付ける」という動作は必ず「位置付けられる先」を必要とするだろ?
つまり、「位置付けの対象となるもの」は「位置付ける」という動作の結果として「位置付けられる先」に移動するわけだ。
だから「位置付けの対象となるもの」にとって「位置付けられる先」は「着点」になる、ということだ。
全然矛盾してはおらん、ということをわかってもらえたかな?

何度も言っているが、君の頭ではまだ理解が難しそうだから、無理に着点という概念にこだわらなくても構わん。
《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》で十分だ。
ただ、この定義の意味を正しく理解しないと、君のように、とんでもない誤謬をバラマキ散らす結果となるから気を付けなくてはいけない。
君にも気づいてもらおうという老婆心から一生懸命解説しているのだから、少しはまじめに読み給え。(笑)

2.
>《【認識】を表している》語が「着点」など表す訳がないと何十回も指摘しているのが判らんのか!

怒り心頭、「怒髪天を衝く」じゃ!

まあまあ、少しは冷静になり給え。

《【認識】を表している》語が「着点」などという【客体を】表す訳がない。

と言いたいのだろ?
しかし、それは君の認識不足による間違いだ。
つまり、

【格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの認識》によって、位置付け先である(広義の)場所を表す(示す)】

と言えるのだよ。
着点という語を使いたくなければ使わずとも構わんが、
格助詞「に」は、客体としての《位置付け先である(広義の)場所》を表わすことができているだろ?

そもそも君は質問本文で、
《★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
という文を見ると、いかにも『「に」は場所を表わす』かのように思われる。》
と述べているではないか。
つまり、
『「に」は場所を表わす』
という表現自体を自ら認めているのだよ。
だから、「主体的表現が客体を表わすことはできない」などという矛盾で批判を展開するのは論理破綻になることぐらい理解しておくと、これ以上恥をかかずに済むぞ?(笑)
★ 友人に会う。
などの場合は場所ではないなどとほざいておるが、それは君の理解力が不足しているからにすぎない。
論点をずらして逃げていては、いつまで経っても理解につながらん。
よろしいか?

3.
>>「公園」は「行く」という動作が向けられる対象ではなく、「行く」という動作が位置付けられる対象なのだ。

これが根本的な誤りであることが理解出来んのじゃな!

<「公園」は「行く」という動作が向けられる対象>じゃろうが!
どこを向いて行くのじゃ!

なるほど。
「動作が向けられる対象」と「動作が位置付けられる対象」の区別がよくわからない、ということだね。
気持ちはよくわかる。
たしかにこの箇所の説明は難しい。

まず、
☆本を読む。
☆そばを食べる。
などの「を」の場合、「読む」「食べる」という動作(意志の作用)が「本」「そば」などに積極的に向けられていることが理解できるかな?
こうした「を」の意義を、

●(動作・作用の)対象を表す。

と表現する。
つまり、「動作を向ける」と言う場合、向けられた対象である「本」や「そば」に対して、「読む」「食べる」という動作は動的に作用するわけだ。

しかし、
★ 公園に行く。
これは、「行く」という動作(意志の作用)が「公園」に積極的に向けられているわけじゃない。
「公園」は「行く」という動作が向けられる対象ではなく、「行く」という動作が位置付けられる対象なのだ。
《「行く」という動作が公園に存在する》と言ってもよいかもな。
「位置付ける」と言う場合は、その対象(=公園)に「行く」という動作が落着した時点で役目を終えるのであり、つまり、動作は「公園」に対して静的により作用しない。

『動作は向けられるのではなく動作は位置付けられる』
これが格助詞「に」の真骨頂、と言ったはずだが、
「を」⇒向ける認識。
「に」⇒位置付ける認識。
のように対照させて考えてくれたまえ。
まあ、しかし表現が未完成であることは認める。
正しく、且つ、よりわかりやすい表現を目指して進んでいる途上なのだから、ある程度は止むを得ない面もあるよね。

4.
>>「〇〇に▲▲」と言う場合、
「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。

違うでしょ!

「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。

「〇〇」は「位置付けられる先」ではなく「位置付けられる対象」だ、ということだね。
よろしい、では、それがどちらかについては一旦、保留にしておく。
その上で論議を進めよう。
まずだが

《「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。》
という構文の骨子は、
《「に」は、~「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。》
であることは理解できるよね?
さらに骨子を絞り込むなら、

《「に」は、〇〇を表わす。》

ということになる。

さて君は、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
と言っているが、この場合、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が表される》
ということは間違いないよね?
表さずに位置付けることはできないわけだから。
つまり、君も、

《「に」は〇〇を表わす。》

と言っていることになる。

このように、

《「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。》

という文と、

《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》

という文は、その骨子においてほとんど同じ内容であることが証明できるわけだ。
だから、少なくとも、

《違うでしょ!》

などと喚く必要はまったく無い、ということを覚えておくといいぞ?
むろん、「〇〇」が「位置付けられる先」なのか「位置付けられる対象」なのか、ということは別問題だ。
当方は「位置付けられる先」であることを論理的根拠を挙げつつ縷々述べてきた。
しかし君の場合、「位置付けられる対象」であることを具体的、論理的に示すことができておらんね。
すぐにあれ読め、これ読めと言って逃げるか、
《怒り心頭、「怒髪天を衝く」じゃ!》
《馬鹿も休み休みにしなさい!》
《違うでしょ!》
などと逆切れするしか能が無い。(笑)

「〇〇」は「位置付けられる対象」であって「位置付けられる先」ではない、と言いたいのだろうから、その根拠を挙げて論じなければ説得力はないぞ?
それもできないのに、
《もう出禁にしますよ!》
などとは10年早いっつうの。
駄々を捏ねるだけ捏ねて、通じないものだから、逆切れしているだけだろが?(笑)
論理的な思考を組み立てて根拠を示す努力をちったあしてみたまえ。
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この回答へのお礼

>>「位置付けの対象となるもの」は「位置付ける」という動作の結果として「位置付けられる先」に移動するわけだ。

ほほう!

★ 先生に本をもらいました。

の「先生」はどこに移動するのかな?
移動するのは「本」では?

>>「着点」になる、ということだ。

「先生」はどこに到着したのかな?
「本」が到着したのは話者の元では?

>>全然矛盾してはおらん、ということをわかってもらえたかな?

判る訳がなかろう?

妄想か?

何度も言っているが、君の頭では全く理解ができないから、無理に着点という概念に拘ってるのじゃ!

君の妄想に気づいてもらおうという老婆心から一生懸命解説しているのだから、少しはまじめに読み給え。(笑)

>>【格助詞「に」は、その《時間的、空間的な位置付けの認識》によって、位置付け先である(広義の)場所を表す(示す)】

「先生」が場所か!

>>格助詞「に」は、客体としての《位置付け先である(広義の)場所》を表わすことができているだろ?

公儀のお白州か?

だから、「主体的表現が客体を表わすことはできない」などという矛盾を展開して論理破綻になることぐらい理解しておくと、これ以上恥をかかずに済むぞ?(笑)

論点をずらして逃げていては、いつまで経っても理解につながらん。
よろしいか?

>>たしかにこの箇所の説明は難しい。

難しいで誤魔化すな!
ひっぱたいてやりたいは!

>>「を」の場合、「読む」「食べる」という動作(意志の作用)が「本」「そば」などに積極的に向けられていることが理解できるかな?

おれは、嫌々向き当っているのじゃ!

>>「動作を向ける」と言う場合、向けられた対象である「本」や「そば」に対して、「読む」「食べる」という動作は動的に作用するわけだ。

動作に動的にどうやって作用するのかな?
具体的に説明しなさい。
「ラグランジュの運動方程式」でも書いてみせなさい!

《違うでしょ!》

「〇〇」は「位置付けられる対象」であって「位置付けられる先」ではないことは理解できたかの!

その根拠を挙げて論じなければ説得力はないぞ?
それができないようでは、
《出禁じゃ!》

駄々を捏ねるだけ捏ねて、通じないものだから、逆切れしているだけだろが?(笑)

顔を洗って論理的な思考を組み立て、根拠を示す努力をちったあしてみたらどうじゃ!■

お礼日時:2021/06/04 00:29

#29です。



1.
>君の場合は、ミスも正気も同じレベルゆえ当方の鋭敏な頭脳を持ってしても判定不能なのじゃ!

なるほど。
同意はしかねるが、ま、珍しく論理的な反論ではあるな。(笑)
一応筋は通っておる。

2.
>>>【何が?】《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》のかね?
ということだ。

日本語が理解出来ん奴じゃな!

★  公園に行く。

という文では主語が省略されておるのが判らんのか?

ここまで言えば、君の発想の誤りが理解できるじゃろう!

まったく理解できませんな。

何が公園に位置付けられるのかね?

勿体ぶらずに、

「何」=〇〇

のように明記してくれたまえ。
ひょっとして出来ないのかな?
出来ないなら出来ないと言ってくれれば良いぞ?
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この回答へのお礼

>>まったく理解できませんな。

だから駄目だと言っておるのじゃが!

>>何が公園に位置付けられるのかね?

「公園」が時空に位置付けられるに決まっておる!

猫やゴミを公園に位置付けるのか!
勿体ぶらずに
「何」=〇〇

を公園に位置付けるのか明記してくれたまえ。
当然出来ないよな?

出来ないなら出来ないと正直に言ってくれれば良いぞ?

それで、楽になるからな!

お礼日時:2021/06/03 08:10

#28です。



混迷の度を極めてますな。

>《【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。》
で、
不定代名詞「どこ」に対応する場所は【先生】の居る場所に決まっておるじゃろう。「【先生】≠場所」は当然じゃが?

《【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。》
というのは君の主張していたことなのだが、それを承知の上で言っているのかね???
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この回答へのお礼

合点、承知の助じゃ!

グダグダ言わずとも判る人は判っておるのじゃ!

君の「ニ場珍説」で説明できる訳がなかろう!
ハッハッハ!

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …

いずれ、自滅し時間に淘汰され、海中の藻屑となる運命じゃぞ!

判ったかな?

お礼日時:2021/06/03 08:02

#27さんの回答を拝見して。



>認識づけ、どの様な方法、要領、分野・・・・・・その他。
それの説明で、初めて「に」と「を」の相違が登場します。
そこで思いついたのが「収束」という感覚です。

まず、「認識づけ」ではなく「位置付けの認識」だから、そこは整理しておくほうがよろしい。
その他に関してはなかなかよい点に着目していますな。

「収束」という感覚

という発想が特に優れている。
これは当方の紹介した「着点」に相通ずる概念。

《「動作」や「状態」を位置付ける》という概念はたしかに想像力がないと納得しづらいかもしれない。
納得するためには「位置付ける」という動詞の意味を正確に理解する必要がある。

たとえば、「を」の意義や語釈に関して、
「を」
●動作・作用の対象を位置付ける。「本―読む」「講演―終わる」
などという馬鹿なことを言う人はひとりもいないはずだ。
(いるとすれば、何もわからないまま、それこそ門前の小僧並みの理解しかしていないことになる)
あくまで、
「を」
●動作・作用の対象を表す。「本―読む」「講演―終わる」
だ。
☆ 本を読む。
「を」は、「読む」という動作(意志の作用)が向けられるものが「本」であることを表わす。

という意味になる。

しかし、

★ 公園に行く。
これは、【「行く」という動作(意志の作用)が向けられるものが「公園」であることを表わしている】わけじゃない。

「公園」は「行く」という動作が向けられる対象ではなく、「行く」という動作が位置付けられる対象なのだ。

『動作は向けられるのではなく動作は位置付けられる』
これが格助詞「に」の真骨頂と言えるのだが、この場合、「位置付ける」という動作自体が静的であることに気づかなくてはならない。

「を」のように「向ける」場合、向けた対象(=本)に「読む」という動作は動的に作用するわけだが、
「に」のように「位置付ける」場合は、その対象(=公園)に「行く」という動作が落着した時点で役目を終える。
つまり、動作は「公園」に対して静的により作用しない。
こうしたことの理解のためには、
《「に」には、「公園」を「行く」という動作の着点として認識する意義がある》といった本質を捉えることが肝要になる。
#27さん流に言うなら、「行く」という動作が「公園」に【収束】していくイメージ。
「収束=おさまりがつくこと」
「行く」という動作は公園に辿り着いた時点でおさまりがつくわけだから、それ以上の動的動作は発動されないわけだ。

「に」が位置付けるものは「公園」という場所ではない。
あくまで「行く」という動作を「公園」という場所に位置付けるのだ。

「〇〇に▲▲」と言う場合、
「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。

のように解釈する必要がある。

大辞林で言えば、
【動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法】ということだし、
学国で言えば、
【動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定】
ということだ。
あくまで
「【動作・作用の】位置」であり、
「【動作・作用の】おもむくところ」であるという点が肝要、ということ。
これら辞書の語釈を正しく解釈することもまた大事なことだ。
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この回答へのお礼

どこかの変なオッサンに色目を使っていやらしいのう!

>>これは当方の紹介した「着点」に相通ずる概念。

まだ、こんな寝言をほざいておるのか?

>>No.4
回答者: hakobulu 回答日時:2021/05/28 18:13
#1です。
>その通り。
漸く、当方の主張、内容が理解できたようですね!

ボケが進んでいるのかね?
《格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表している》ことを私が否定したことは一度もないはずだが?
否定したことがあるというなら、その箇所を明示したまえ。//

これは誰の言じゃ。
いったいどの口が喋っておるのじゃ!(奴)
二枚舌、三枚舌の妖怪を成敗してくれん!

《【認識】を表している》語が「着点」など表す訳がないと何十回も指摘しているのが判らんのか!

怒り心頭、「怒髪天を衝く」じゃ!

>>「公園」は「行く」という動作が向けられる対象ではなく、「行く」という動作が位置付けられる対象なのだ。

これが根本的な誤りであることが理解出来んのじゃな!

<「公園」は「行く」という動作が向けられる対象>じゃろうが!
どこを向いて行くのじゃ!

馬鹿も休み休みにしなさい!

奴!!!

>>「〇〇に▲▲」と言う場合、
「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。

違うでしょ!

「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのす。

呆れ果てました。

もう出禁にしますよ!

お礼日時:2021/06/03 07:57

#26です。



>位置付ける主体では?
主体が位置づけられるとは?

《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》もの
とは一体何かね?

という前文を読めば、

《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》主語は何か?
のタイプミスだということぐらい理解できんのかね?

自らの重大な矛盾に関しては一切口を閉ざし、他人のどうでもよいタイプミスを嬉し気に指摘する。
まさに正真正銘のカスの本領がここにも発揮されてますな。(笑)
君の頭ではもう少し説明が必要かもしれんので補足しておこう。

《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》
と君は言ったが、

【何が?】《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》のかね?
ということだ。
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この回答へのお礼

>>タイプミスだということぐらい理解できんのかね?

君の場合は、ミスも正気も同じレベルゆえ当方の鋭敏な頭脳を持ってしても判定不能なのじゃ!

自らの重大な矛盾に関しては一切口を閉ざし、おまけに同レベルのタイプミスでは当方も困惑する他あるまい!

まさに正真正銘のカスの本領がここにも発揮されてますな。(笑)

君の頭ではいくら説明しても理解不能かも知れんが、取り敢えず補足しておこう。

>>【何が?】《「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられる》のかね?
ということだ。

日本語が理解出来ん奴じゃな!

★  公園に行く。

という文では主語が省略されておるのが判らんのか?

ここまで言えば、君の発想の誤りが理解できるじゃろう!

ええかげんにせい!■

お礼日時:2021/06/02 21:55

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