日本語学習者の格助詞「に」に対する質問に対し、『「に」は場所を表わす』という珍説を延々と繰り返されている方がいます。これを以下、「ニ場珍説」と呼ぼう。
(助詞「に」と「で」について… https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12371106.htm )
少し考えれば、格助詞「に」は時間的、空間的な位置付けの【認識】を表しているのは自明なことである。
★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
という文を見ると、いかにも『「に」は場所を表わす』かのように思われる。しかし、
★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。
では、何ら場所は関係していない。これらの「に」も当然ながら同じ格助詞「に」であり、「に」は同じ意義を表している。
この程度の理解もなしに、延々と「ニ場珍説」を繰り返すのは質問者、学習者の混乱を招く意外の何ものでもない。
また、
>>
「に」は場所を表す、という考えは決定的に誤りではありません。 アスナロウさんがその考えはおかしい、批判されたのは考え方の問題であって、それは文法観(方法論)の違いです。「家にいる」の「に」は「家」が対象であることを示しているのが「に」である。「君にやる」という時、対象は「君」であって「に」では無い。それだけのことです。(No.20)
という珍説を述べられる方もいる。なぜ、このような珍説を披歴するのであろうか。それは、言語表現とは何かが本質的に理解出来ていないためと考えられる。言語は表現であり、語は意義を表すもので「示している」のではない。
この画面を見られている方にとって、「に」はDsp上の特殊な普遍的形のドットの集まりである。つまり、視覚的な形の普遍性である。「こ」の形になると他の意義になってしまいます。音声も音の特殊な普遍的波形であり聴覚の対象である。これらが、意義を表すのはこの形と概念が規範により結び付けられているからであり、学習者はこの規範を学ばねばならない。形が何かを示すのではない。
では、「ニ場珍説」のいう「場所」や同類の「到着場所(着点)」とはどのような概念であろうか。「場所」を見てみよう。
ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
②いどころ。場席。「自分の―を確保する」
③相撲を興行する所。また、その興行。「夏―」
【広辞苑】
が示すように話者、聞き手とは独立に存在する客体であり、「到着場所(着点)」も同じ客体である。しかし、格助詞「に」が表すのは、このような客体の概念ではない。「場所」や「到着場所(着点)」の認識から生まれた話者の意識、主観の直接の表現であり、これを時空間に位置付ける意識を表していることが判る。
★ 公園に行く。
★ 大阪に行く。
という文で示されている「場所」や「到着場所(着点)」を表しているのは、「公園」「大阪」であり、「に」ではない。当然ながら、
★ 友人に会う。
★ 5時に会議が始まる。
★ 先生に本をもらいました。
の「友人」「5時」「先生」は客体であり、「場所」や「到着場所(着点)」ではない。格助詞「に」の意義とは、これら対象を捉えた意識、主観そのものである。
★ 公園【に】行く。
の「に」が場所を表すというのは、語「に」ではなく、この文が表す意味の解釈でしかなく、この意味と語の意義を混同した誤りでしかない。先に言われた文法観の相違などではなく、言語観、文法観の誤りなのである。
これは、回答者だけではなく現在の言語学、日本語学、文法学、日本語教育学のレベル、欠陥を反映したものといわなければならない。
回答者諸子はこうした言語の表現過程、規範による媒介構造を理解することなく、学校文法レベルの思い込みをもとに感覚的な回答を繰り返しているに過ぎないと感じるものであるが、諸賢はいかが判断されますでしょうか。
忌憚のない御意見、御批判をいただきたい。■
A 回答 (58件中11~20件)
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No.48
- 回答日時:
>【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。
これは固定したつながりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】:
についても若干触れておこう。
・家に居る⇒空間的な(固定した)位置付けの意識。
・父に巡り合う⇒運動し変化したことを意識しての位置付け。
ということだね。
三浦は、ここで「位置付け」という表現を使っていたわけか。
非常に参考になったぞ。
ありがとう。
ただ、おかげで、三浦の勘違いが明白になった
端的に言うと、彼は金鉱石を発見したが、それを庭の踏み石として使用するだけで金そのものの価値には気づいていなかった、ということだ。
以下にその根拠を若干述べてみよう。
君の言うとおり、三浦は、「家」「父」を「位置付けられる対象」と捉えていたようだが、正しくは「位置付けられる先」だ。
【「あう」ということは、二人が並んでいない状態から並ぶ状態へ移行するという過程を含んでいます。】
と彼は言う。そして、
【この移行による位置付けという観点から「に」が使われます】
と続けている。
・父に巡り合う。(状態の移行)
ということだね。
・私は立派な人間になりたい。(属性の移行)
・この本を彼におくろう。(所属の移行)
という例も加えている。
しかし、
「移動の目的:映画を見に行く」
「付帯的な状況を表す:一気に飲み干す」
「基準を表わす:このマンションは駅に近い」
などに移行の要素は無いのだから、これらは(「移行」の要素を含め)あくまで個別の文におけるシチュエーションによって規定される「個別の意味」であって、「本質的意義」ではないはずだ。
「に」の本質的意義を解説する場面で、こうした「個別の意味」の一例として「移行」という概念を示してしまった、という矛盾に彼は気づいていなかったのだと思われる。
しかし、彼の国語学者としての第六勘とでも言うべきか、「移行」という概念自体は、「に」の本質的意義に大いに関与している。
ただ、それを移行という「個別の意味」として取り上げてしまった点に彼の誤謬が存在するわけだ。
「位置付ける」とは
ある物事が全体の中や他との関係で占める位置を考え定める。「作品を文学史の上に―・ける」(大辞林)
という意味だから、
「位置付けられるもの」は必ず、その「位置付けられる先」を必要とする。
「位置付ける」という動作自体に「移行」の要素が元々含まれているということ。
だから、
・父に巡り合う。(状態の移行)
【「あう」ということは、二人が並んでいない状態から並ぶ状態へ移行するという過程を含んでいます。】
という三浦の認識は正しいし、これはつまり、
「に」は、「巡り合う」という動作の「位置付けられる(移行する)先」が父であるという認識を表わす。
という意味でもあり、当方の主張とも合致する。
であるなら、
・私は立派な人間になりたい。(属性の移行)
これは、
【「なりたい」ということは、なっていない状態からなる状態へ移行するという過程を含んでいます。】
と解釈しなくてはならないはずだ。
そして、このように解釈することで、
「に」は、「なりたい」という状態の「位置付けられる(移行する)先」が「立派な人間」であるという認識を表わす。
という正しい理解につながる。
しかし、彼は、
《立派じゃない人間から立派な人間に移行する》のように解釈している。
これは、明らかに、「なる」という個別の動詞が持つところの「移行」の要素にだけ着目してしまったからだろう。
そのため、同様に「巡り合う」「なる」「おくる」のように移行の要素を持つ動詞だけを例として挙げざるを得なかったのだろう。
しかし、その動詞自体に移行の要素は無くても「に」には「位置付ける」という移行の要素が元々含まれているのだ。
「このマンションは駅に近い」にも移行の要素は(「に」の本質的意義として)含まれているのだ。
こういった点に彼が気づいていれば、さらに興味深い見解が導き出されただろうから、その意味では残念に思う。
※
ところで、文庫では「位置付け」という用語は一切出て来ないのだろうか?
そうだとすれば、おそらく三浦も、格助詞「に」について、あまり深く考察することを避けたのではないか?
実際、他の語に比べて「に」に充当されている字数は少ないようだね。
矛盾をうすうす感じていたため、自信があまり無かったのではないか、という気もする。
>>三浦は、ここで「位置付け」という表現を使っていたわけか。
非常に参考になったぞ。
ありがとう。
いえいえ。拳々服膺して下さい。
何を今更の感は拭えませんが!
端的に言うと、彼は金鉱石を発見したが、金そのものの価値に全く気づいていない、ということだ。
「移行」という概念自体は、「に」の意味に大いに関与している。
ただ、それを移行という「個別の意味」として取り上げていると誤読してしまった点に君の誤謬が存在するわけだ。
以下にその根拠を若干述べてみよう。
君は、「家」「父」を「位置付けられる先」だと誤解しているが、正しくは話者によって「位置付けられる対象」だ。
>>「に」の本質的意義を解説する場面で、こうした「個別の意味」の一例として「移行」という概念を示してしまった、という矛盾に彼は気づいていなかったのだと思われる。
などは、君の思い込みに基づく初歩的な誤読であることを理解したまえ。
「運動し変化したことを意識して位置付けする【場合も】あります」の【場合】を読み落としているのじゃ!
>>「に」は、「巡り合う」という動作の「位置付けられる(移行する)先」が父であるという認識を表わす。
未だに、こうした寝ぼけたことを云っているようでは救い様がないのう!
何度も指摘しているが、【動作の「位置付けられる】とは何なのじゃ。日本語が理解できているのかな?
★ 先生に本をもらいました。
★ 妻に別れる。
★ 会社に見切りをつける。
★ 5時に会議が始まります。
の「に」のどこが<動作の「位置付けられる(移行する)先」>なのじゃ!
移行の始点を位置づけておろうが!
たわけ者!
この点に君が気づいていれば、もう少しましな見解が導き出されただろうから、その意味では残念に思う。
>>矛盾をうすうす感じていたため、自信があまり無かったのではないか、という気もする。
無智に基づく生意気な口を叩くのは十年早いと以前から指摘している通りじゃ!
そもそも、
<概念の意味を分かりやすく教えてください!>に
No.4
回答者: hakobulu 回答日時:2021/06/05 19:55
あるものに対して思い浮かべる大雑把な意味。
などと寝ぼけた回答を臆面もなくしているような盆暗に言語の本質が理解できる訳がなかろう。
顔から火が出ないようでは、おしまいじゃ!
■
No.47
- 回答日時:
#44です。
>言語は話者の認識の表現で、対象→認識→表現という過程的な構造を持っています。
<「に」に絡んで使うと静的になる。>というのは、言語の使用がその中の他の認識対象である行為【行く」や語「行く」に影響、作用し、「動から静に転じるわけだ」という心霊論的な妄想を得々と語っています。つまり観念論の発想に基づいていることに無自覚です。
:
相変わらず読解力の無さを曝け出しておるな。(笑)
《動から静に転じる》
だからこそ、対象→認識→表現という過程をたどるのではないのかね。
しかし、「行く」という語自体が転じると言っているわけではないことぐらい理解できんのかね?
「に」を使った、その場合だけ《動から静に転じる》ということに決まってますがな。
当方は時枝ではないぞ?(笑)
そもそもだが、そういった発想こそ、君が言語道具論に毒されている証左とも言えるのではないかね?
それにしても君は、物事の本質を見極めることが基本的にできない男ですな。
今回の回答にしても、もっとも重要なのは、
※※※※※
「行く」という動作が「に」を介して「公園」に位置付けられるからこそ「行く」は動から静に転じるわけだ。
動作を無視して「公園に」着目するだけで、
《公園は話者にとって動的な動作対象ではない。》
と言うのは不合理だ、とは思わんか?
※※※※※
という箇所だ。
反論すらできんのかね?
>>「に」を使った、その場合だけ《動から静に転じる》ということに決まってますがな。
相変わらず読解力の無さを曝け出しておるな。(笑)
何が?
どうして?
それにしても君は、物事の本質を見極めることが基本的にできない男ですな。
今回の回答にしても、もっとも重要なのは、
>>「行く」という動作が「に」を介して「公園」に位置付けられるからこそ「行く」は動から静に転じるわけだ。
などということがあり得ないという点にこそあるのじゃ!
「行く」が動から静に転じるとは一体何を言っておるのじゃ?
「行く」が動から静に転じたら、ご昇天でもするのか?
阿呆らしい!
>>《公園は話者にとって動的な動作対象ではない。》
これは話者の認識の問題で、「動作」という客体自体や語の問題でも、変化でもありえないことが理解できないのかな?
夢想、妄想の類じゃが!
反論など不可能じゃろう!
■
No.46
- 回答日時:
#42です。
応答が無いようだが、これも、矛盾を突かれたのでスルーして#43と同じく逃げようという魂胆かな?(笑)
ま、それも致し方あるまい。
見逃してやろう。
とはいえ、せめて下記の件について同意するのか否かぐらいは応答したらどうかね?
君の質問の根幹に関係している内容だぞ?
※※※※※※
君は、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
と言っているが、この場合、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が表される》
ということは間違いないよね?
表さずに位置付けることはできないわけだから。
つまり、君も、
《「に」は〇〇を表わす。》
と言っていることになる。
このように、
《「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。》
という文と、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
という文は、その骨子においてほとんど同じ内容であることが証明できるわけだ。
だから、少なくとも、
《違うでしょ!》
などと喚く必要はまったく無い、ということを覚えておくといいぞ?
※※※※※※
>>《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が表される》
ということは間違いないよね?
《違うでしょ!》
<〇〇=公園>を表すのは<〇〇=公園>意外にはありません。
この点の理解が根本的に誤っています。
>>その骨子においてほとんど同じ内容であることが証明できるわけだ。
《違うでしょ!》
出来るわけがないということです。■
No.44
- 回答日時:
#41です。
1.
>『公園が時空に位置付けられる』
に決まっておるじゃろ!
他に何があるのか?
それを位置付けるのは、
主格である話者じゃ!
:
★ 公園に行く。
《「に」は、主格である話者が公園を時空に位置付ける認識を表わす》
ということだね?
仮に君の主張どおり、そうだとしても、これは、
《「に」は、主格である話者が公園(という場所)を時空に位置付ける認識を表わす》
という意味だ。
であれば、「表わす」という動作なしに位置付けることはできないから、「時空に位置付ける≒時空に表わす」であり、
《「に」は(公園という)場所を時空に表わす、という認識を表わす》
と言っていることになる。
これをもって、一般的な感覚では、
《「に」は(公園という)場所を(時空に表わす、という認識を)表わす》
と言うのだが、理解できんかな?
2.
>>>★公園に(私が)行く。
という構文ということだね。
そうじゃよ!
主観の直接の表現である「に」の主観とは話者の主観じゃぞ!
わかっとるのか?
:
頭おかしいのか???
そんな当たり前のことは誰にでもわかることだろうが?
何を偉そうにほざいておるのかね?(笑)
ま、あまり責めても可哀そうだから、これに関連して、君の補足について少し補足しておこう。
《★ 公園に行く。
の場合はそうじゃない。
公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
なぜかというと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。》
ま、これが当方のパクリであることは明白だが、それは別に構わない。
お互いに得るものがあれば、それは議論している意味があるというものだ。
ただ、
《公園は話者にとって動的な動作対象ではない。》
という箇所について、ちょっと考えてみてくれたまえ。
☆公園を行く。
は動的対象だ。
そもそも「行く」は動詞なのだから動的な動作に決まっているが、しかし、「に」に絡んで使うと静的になる。
こういうことになるよな?
つまり、
「行く」という動作が「に」を介して「公園」に位置付けられるからこそ「行く」は動から静に転じるわけだ。
動作を無視して「公園に」着目するだけで、
《公園は話者にとって動的な動作対象ではない。》
と言うのは不合理だ、とは思わんか?
ま、無理をせんで暇な時間にでも、じっくり考えてみるとよろしい。
>>しかし、「に」に絡んで使うと静的になる。
ここに、君の言語認識の根本的な誤りがあります。
言語は話者の認識の表現で、対象→認識→表現という過程的な構造を持っています。
<「に」に絡んで使うと静的になる。>というのは、言語の使用がその中の他の認識対象である行為【行く」や語「行く」に影響、作用し、「動から静に転じるわけだ」という心霊論的な妄想を得々と語っています。つまり観念論の発想に基づいていることに無自覚です。
エンゲルス『自然の弁証法』に「心霊界での自然研究」があるので良く熟読玩味しなさい。もっとも、本も論文も読めない君には無理難題かもね?
馬鹿話は程々にして、
ま、無理をせんで暇な時間にでも、じっくり読み、考えてみるとよろしい。
■
No.43
- 回答日時:
#40です。
1.
>>自分で自分の主張を批判したのかね?
そんな、阿呆な!
判り易く解読してあげたのです。
:
ほお~~???
しかし、君は
《>>【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。》
という自らの主張に対して、
《決まってませんね。》
と言って否定しておる。
そして、
《「どこ」は不定の場所で先生ではありません。》
と続けておるだろ???
《【どこ】は【先生】に決まっておる》
のか、
《「どこ」は不定の場所で【先生】ではない》
のか、
君の考えはどちらなのかね?????
2.
>そろそろ、この議論も結論が出たので終わりじゃな!
:
矛盾を説明できなくなったんで、逃げ出そうということかね???(笑)
No.42
- 回答日時:
#39です。
1.
>>>☆先生から本をもらいました。
☆先生が本を投げました。
だって「本」は移動するだろ?
ここに、君の根本的な誤りがあります。
文の意味の誤認の化けの皮が剥がれましたね!!!!!
「本」は「もらう」「投げる」という動作の対象で、
それは「に」の意義とはまったく関係ない、ということぐらいわかりたまえ!
なぜなら、君の挙げた2文では格助詞「に」無しに「本が」移動しておるではないか。動詞は「もらう」「投げる」じゃ!
:
当たり前だ。
そういう意味で例文を挙げたのだから。
何を言っとるのかね、君は?
頭大丈夫か?
《移動するのは「本」では?》と君は言ったよな?
だから、
☆先生から本をもらいました。
☆先生が本を投げました。
だって「本」は移動するのだから、本が移動しようがしまいが「に」の意義とは何の関係も無い、と教えてあげたのだよ。
つまり、
《移動するのは「本」では?》
などという問いを発すること自体がお門違いだ、と指摘したわけだ。
そんなこともわからんのかね???
2.
>>>この部分の骨子は、
《「位置付ける」という動作は必ず「位置付けられる先」を必要とするだろ?
つまり、「位置付けの対象となるもの」は「位置付ける」という動作の結果として「位置付けられる先」に移動するわけだ。
何を意味不明なことをクドクドほざいておるのじゃ!
:
こんな簡単な文の意味が不明だというのかね?
まったく困ったもんですな。
小学生相手に議論しているようなもんだわい。
いいかね?
質問1
《「位置付ける」という動作は必ず「位置付けられる先」を必要とするだろ?》
イエスかノーで答えたまえ。
質問2
イエスであれば、
《「位置付けの対象となるもの」は「位置付ける」という動作の結果として「位置付けられる先」に移動するよな?》
イエスかノーで答えたまえ。
という質問だ。
これならまさか意味不明ではないよな?
答えられるだろ?
答えてみたまえ。
3.
>>「先生」は空間的な位置を占めているに決まってるではないか。
だから、「に」で位置づけているのじゃ!
つまり、「先生」は空間的な場所【に】存在しておるのだよ。
「先生」=場所か!
:
まったく学習能力というものが皆無ですな。(笑)
では尋ねるが、
☆先生から本をもらいました。
☆先生が本を投げました。
という文の先生は「空間的な場所」には存在しておらんのかね?
そんなことはないよな?
つまり、「に」で位置づけようが位置付けまいが、先生は「空間的な場所」に存在しておるだろ?
★先生に生徒が駆け寄った。
という文を想定してみたまえ。
「空間的場所」だからこそ駆け寄ることができるわけだ。
違うかね?
駆け寄るという動作が位置付けられる場所(空間的地点)が「先生」だということを表わすために、「に」という主体的認識の表現が使われているのだよ。
おわかりかな?
大辞林の語釈も確認しておくといいだろう。
「に」
《動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示す》
だ。
★先生に生徒が駆け寄った。
の場合は、
《「駆け寄る」という動作が行われる,空間的な位置を示す》
という意味であることが理解できるかな?
単に「空間的な位置を示す」わけではない。
あくまで《「駆け寄る」という動作が行われるところの》「空間的な位置を示す」ということだ。
だからこそ、「駆け寄る」という動作を先生に位置付けるという認識の「に」という格助詞が採用されるわけだ。
オッケー?(笑)
4.
hakobulu
⇒「動作を向ける」と言う場合、向けられた対象である「本」や「そば」に対して、「読む」「食べる」という動作は動的に作用するわけだ。
アスナロウ
⇒動作に動的にどうやって作用するのかな?
hakobulu
⇒「本」や「そば」に動的に作用する。~~。
「動作に」作用するとは誰も言っておらんぞ?
アスナロウ
⇒何が? 「に」がか!
:
こうした経緯の中で、
《何が? 「に」がか!》
という質問が出ること自体が摩訶不思議ですな。
《「読む」「食べる」という動作は(動的に作用する)》
という記述が目に入らんのかね???
5.
>君の言うことは。《全く違うでしょ!》
:
よしよし、わかったわかった。
そうがならんでも良いぞ。(笑)
で、今回でも極めて重要な指摘をしておるが、これも《全く違うでしょ!》なのかね?
そうなら論理的根拠をもって批判してくれたまえ。
できないならできないと言ってくれれば構わんよ。
無理はせんでよろしい。
※※※※※※
君は、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
と言っているが、この場合、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が表される》
ということは間違いないよね?
表さずに位置付けることはできないわけだから。
つまり、君も、
《「に」は〇〇を表わす。》
と言っていることになる。
このように、
《「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。》
という文と、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
という文は、その骨子においてほとんど同じ内容であることが証明できるわけだ。
だから、少なくとも、
《違うでしょ!》
などと喚く必要はまったく無い、ということを覚えておくといいぞ?
※※※※※※
No.41
- 回答日時:
#36です。
>『【公園に】位置付けられる』とのことだが、何が公園に位置付けられるのかね?》
これが質問内容であることは理解しておるかな?
主語が省略されておると指摘したのが理解できておらんの!
「行く」という主体は述語の中に含まれておるのじゃ!
:
《何が公園に位置付けられるのかね?》
と尋ねているのだから、
《〇〇が公園に位置付けられる》
と答えてくれないかね?
君の今回の投稿は、
『主語が公園に位置付けられる』
という意味かな?
たとえば、
★公園に(私が)行く。
という構文ということだね。
#32では、
《「公園」が時空に位置付けられるに決まっておる!》
つまり、
『公園が時空に位置付けられる』
と言っておったわけだが、
『主語が公園に位置付けられる』
のか、それとも、
『公園が時空に位置付けられる』
のか、どちらかね?
『公園が時空に位置付けられる』
に決まっておるじゃろ!
他に何があるのか?
それを位置付けるのは、
主格である話者じゃ!
>>★公園に(私が)行く。
という構文ということだね。
そうじゃよ!
主観の直接の表現である「に」の主観とは話者の主観じゃぞ!
わかっとるのか?
これで、すべてじゃ!
永らく、御苦労。
しっかり、学習し直すのじゃ!
ポカンと馬鹿の大口をいくら開けておっても真実は舞い降りてこぬ!
良いな!!!!!!
■
No.40
- 回答日時:
#35です。
>先生はどこにいますか?
これは先生の空間的な場所を聞いているもので、「どこ」は不定の場所で先生ではありません。当然じゃ!
:
《当然じゃ!》と言いたいのだね。
それはよくわかった。
しかし、今尋ねているのは、そんなことじゃないのだよ。
いいかね?
まず君は、
《【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。》
が自分の主張であることは認めたわけだ。
ところが、#20で君は、
《>>【どこ】は空間的に位置付けられた場合の【先生】に決まっておるじゃろう。
決まってませんね。
先生はどこにいますか?
これは先生の空間的な場所を聞いているもので、「どこ」は不定の場所で先生ではありません。これが回答者の基本的な誤認です。》
と言っている。
つまり、
自分で自分の主張を批判したのかね?
とお尋ねしているわけだ。
そうなのかね?
>>自分で自分の主張を批判したのかね?
そんな、阿呆な!
判り易く解読してあげたのです。
そろそろ、この議論も結論が出たので終わりじゃな!
Farewell to the 「ニ場珍説」!!
Eternally!
■
No.39
- 回答日時:
#33です。
1.
>ほほう!
★ 先生に本をもらいました。
の「先生」はどこに移動するのかな?
移動するのは「本」では?
:
それは「に」の意義とはまったく関係ない、ということぐらいわかりたまえ。
☆先生から本をもらいました。
☆先生が本を投げました。
だって「本」は移動するだろ?
また、「先生」は移動しない、ともほざいておるが、君の場合、「位置付けの対象となるもの=先生」と思い込んでいるから、そういう発想になるわけだ。
しかし、正しくは「位置付けの対象となるもの=もらう(という動作)」なのだよ。
そもそもだが、この部分の骨子は、
《「位置付ける」という動作は必ず「位置付けられる先」を必要とするだろ?
つまり、「位置付けの対象となるもの」は「位置付ける」という動作の結果として「位置付けられる先」に移動するわけだ。
だから「位置付けの対象となるもの」にとって「位置付けられる先」は「着点」になる、ということだ。》
という箇所だ。
ここでの論理は理解し、そして認めておるかな?
それを理解しておれば「移動する」のニュアンスもわかるはずだ。
2.
>「先生」が場所か!
:
ここにも君の短絡思考が露呈しておるな。
「先生」は空間的な位置を占めているに決まってるではないか。
つまり、「先生」は空間的な場所で存在しておるのだよ。
3.
>おれは、嫌々向き当っているのじゃ!
:
気持ちはわかる。
ここまで自分の矛盾を白日の下にさらされては嫌になるよな?(笑)
4.
>>「動作を向ける」と言う場合、向けられた対象である「本」や「そば」に対して、「読む」「食べる」という動作は動的に作用するわけだ。
動作に動的にどうやって作用するのかな?
:
「本」や「そば」に動的に作用する。
と言っているのだが、それすら読解できんのか?
憐れなものですな?
「動作に」作用するとは誰も言っておらんぞ?
5.
>「〇〇」は「位置付けられる対象」であって「位置付けられる先」ではないことは理解できたかの!
その根拠を挙げて論じなければ説得力はないぞ?
:
縷々述べてきたように、君の批判は基本的に勘違い・曲解に基づいて展開されているため、ほとんど論理破綻しておる。
論理破綻を理解できるほど呆けてはおらんつもりだ。(笑)
根拠は嫌というほど挙げているが、それが君には理解できないようだね。
ま、それは致し方ないだろう。
とりあえずは今回の内容をじっくり読み直してみることだ。
何回か読み直すことで理解できることも多いからね。
因みに、君は、他者の発言の要点・骨子を把握する能力が欠如しておるようだな?
今回でも極めて重要な指摘をしておるが、感想は一言も無いのかね?
以下に再掲するのでよく味わいながら読み直してみたまえ。(笑)
※※※※※※
君は、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
と言っているが、この場合、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が表される》
ということは間違いないよね?
表さずに位置付けることはできないわけだから。
つまり、君も、
《「に」は〇〇を表わす。》
と言っていることになる。
このように、
《「に」は、▲▲という動作・作用などを時間的、空間的に位置付ける認識(主観)を直接に表すことで、「に」によって位置付けられる【先】(=〇〇)を表わす。》
という文と、
《「に」によって移動の【先】(=〇〇=公園)が空間的に位置付けられるのです。》
という文は、その骨子においてほとんど同じ内容であることが証明できるわけだ。
だから、少なくとも、
《違うでしょ!》
などと喚く必要はまったく無い、ということを覚えておくといいぞ?
※※※※※※
1.
>>☆先生から本をもらいました。
☆先生が本を投げました。
だって「本」は移動するだろ?
ここに、君の根本的な誤りがあります。
文の意味の誤認の化けの皮が剥がれましたね!!!!!
「本」は「もらう」「投げる」という動作の対象で、
それは「に」の意義とはまったく関係ない、ということぐらいわかりたまえ!
なぜなら、君の挙げた2文では格助詞「に」無しに「本が」移動しておるではないか。動詞は「もらう」「投げる」じゃ!
>>正しくは「位置付け
の対象となるもの=もらう(という動作)」なのだよ。
君の場合、「位置付けの対象となるもの=動作」と思い込んでいるから、、そういう発想になるわけだ。
しかし、正しくは「位置付けの対象となるもの=先生(という客体)」なのだよ。
日本語の常識が君には欠けておるということじゃよ!!!
>>この部分の骨子は、
《「位置付ける」という動作は必ず「位置付けられる先」を必要とするだろ?
つまり、「位置付けの対象となるもの」は「位置付ける」という動作の結果として「位置付けられる先」に移動するわけだ。
何を意味不明なことをクドクドほざいておるのじゃ!
顔を洗って出直しなさい!!!!
ここでの論理を理解し、そして認めておるかな?
それが理解できれば、「ニ場珍説」の馬鹿らしさ、誤りが判るはずだ!
2.
>>「先生」は空間的な位置を占めているに決まってるではないか。
だから、「に」で位置づけているのじゃ!
つまり、「先生」は空間的な場所【に】存在しておるのだよ。
「先生」=場所か!
恐ろし、妄想じゃ!!
3.
どうじゃや!
理解できたかの?
ここまで自分の矛盾を白日の下にさらされては嫌になるよな?(笑)
4.
>>「本」や「そば」に動的に作用する。
何が? 「に」がか!
阿呆な!
お手手かお箸だろう!
動的に作用するのは。藁
それすら読解できんのか?
憐れなものですな?
5.
以上、
縷々述べてきたように、君の批判は全く論理破綻しておる。
論理破綻を理解できるほど呆けてはおらんつもりだ。(笑)
君は、他者の発言の要点・骨子を把握する能力が欠如しておるようだな?
今回でも極めて重要な指摘をしておるが、感想は一言も無いのかね?
君の言うことは。《全く違うでしょ!》
冷水で体を清め出直しなさい!
喝!
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>>正しくは、《【動作】を位置付ける機能(働き)を果たす(発揮する)》なのだ。
「動作」も名詞であり、客体です。
基本的に、客体的表現と主体的表現の語の相違と関連が全く理解できていませんよ!
「~を位置付ける」の対象「~」は客体で、この客体を認識し位置づける主観の認識を直接に表現する(表す)語が格助詞「に」ということです。
この媒介構造をきちんと理解しないと混乱、混迷するしかありません。■
従って、以降の回答の記述は意味を持たなくなります。
言語表現は、対象→認識→表現という過程的な構造を背後に控えた表現で、この過程的な構造を捉えることができないと対象と表現の次元を混同し混乱する結果になるということを御理解いただければ幸いです。■
☆ 本を読む。
のように表現する場合、
読むという動作の動的な目的対象として【本】が話者に認識されている。
つまり、本は読むという動作の動的な対象としての実体として認識されている。
★ 公園に行く。
の場合はそうじゃない。
公園は話者にとって動的な動作対象ではない。
なぜかというと、「行く」という動作の移行の結果としての空間的な場所である公園に位置付けられるからだ。
「行く」は、あくまで動的概念としての行動を表し、公園という空間的地点に位置付けられただである。
格助詞「に」は『静的対象として空間的な場所に位置付けるだけで、実際に動的な行為の対象ではない』
とも言えるだろう。
この「位置付ける」という本質を端的に表わすのが「に」という助詞なのだが、もう少し理解が進んでからでないと君に理解は難しいかもしれない。
ともかく、こうしたことを頭に置きながら『日本語はどういう言語か』(季節社版)の
【空間的・時間的な位置付けの意識が「に」で表現されます。これは固定したつながりとしての意識ですが、運動し変化したことを意識して位置づけする場合もあります。】
という解説を味わってみてくれ。
※※※※※
くだらんオーム返しするしか能が無いのかね?
自分で自分の能力を憐れに感じることはないのか?
■