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今、医療関係の番組が多くて、ワイドショーのコメンテーターにも色んなお医者さんが
出て来ていますが、昭和~平成初期にはそんな個性的な医者っていましたか?
よくマスコミに出ていた人では精神科医のなだいなださんとか、北杜夫さんなんかは
いましたね。
それ以外で覚えている医者がいたら教えてください!お願いします。

A 回答 (7件)

刀舟センセイなんかそうですね。


「てめえら人間じゃねえや。叩き斬ってやる!」…って、
オイオイ、医者が人を殺してどーする。
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この回答へのお礼

時代劇ですか。ありがとうございます。

お礼日時:2021/06/26 08:32

ドクトル・ちえこさん。

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この回答へのお礼

ああ!この名前はよく聞きますね!ありがとうございます。

お礼日時:2021/06/26 10:35

ケーシー高峰。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かにその名前は出るとは思いましたが本物の医者ではないですね。

お礼日時:2021/06/26 10:37

富家孝


ボクシングや総合格闘技のリングドクターとしてもお馴染み。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。知りませんでした。調べてみます!!

お礼日時:2021/06/26 10:37

謝 国権、奈良林祥、ドクトル・チエコ。

 この3人は日本の性医学評論のパイオニアとして活動していました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。奈良林さんの名前は聞いたことあります!

お礼日時:2021/06/26 13:36

テレビにはほとんど出ず、ステージやメディア関連ではラジオが主戦場だったけど・・・


”自切俳人””キタヤマ・オ・サム”こと北山修が精神科の開業医から大学教授を経て、2021年4月より白鴎大学学長になっている。
フォーク世代には「イムジン河」「返ってきたヨッパライ」で一世を風靡した「ザ・フォーク・クルセイダーズ」や「自切俳人とヒューマン ズー(ヒューマンズ:humans(人間たち)と勘違いしていた人がいるけど、human zoo(人間動物園)」で有名だったし、昭和50年代に深夜放送を聞いていた世代には「自切俳人のオールナイトニッポン(終盤でネタばらしをするまで「自切俳人は北山修と別人物」を信じていた人も少なくなかった)」でなじみがあった。
1980年あたりから精神科医に活動の軸足を置いて芸能活動から一歩引いていたけど、医師としての著作活動のほか、報道番組などで精神科医としてのインタビューに応じるなどして、テレビで顔を見ることもあった。

歯科医師免許取得者だったら「サエキけんぞう」がいる。
1983年にテクノポップバンド「パール兄弟」の”長男(兄弟ですから)”としてデビュー。一時期、日本大学松戸歯学部補綴学教室に入局して”二足のわらじ”状態だったけど、1990年代半ばころからはミュージシャン、作詞家、音楽プロデューサーに専念している模様。
パール兄弟は、今に至るにワリと地味な存在だけど根強いファン層がいて、音楽番組などで顔を見ることも少なくなかった。
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この回答へのお礼

北山修さんもそうですね!ラジオでよく聞きました。
やっぱり昔は精神科医か下の関係の人が多いですね。
サエキさんも聞いたことあります!
詳しくありがとうございました!!

お礼日時:2021/06/26 20:19

番外編・・・



ジョナサン・パーマー 医師免許を持つ元F1ドライバー(F1の活動時期:1983-1989年)。
飛行機/ヘリコプターのマルチライセンスの持ち主で、ニックネームは「フライイング・ドクター」。
F1のテスト(だったかな?)でクラッシュして救急車に乗せられたとき、救急隊員に自ら応急処置の指示を出したというエピソードの持ち主。
所属したチームは下位常連だったけど、日本のF1ブーム全盛期で、古舘伊知郎好みの”資格(エピソード)持ち”だったから、テレビに何度も映っていた。

イギリスにジョナサン・パーマーがいれば、日本には・・・
清水正智 オールドファンなら覚えている(かな?)「走る歯医者さん」。
目立った成績は残っていないけど(失礼(_ _))、1970年代末から1990年代のフォーミュラ、スポーツカー、ツーリングカーなど、日本のトップカテゴリーの常連の一人。
搭乗するマシンの塗色が、スポンサーの(シュガーレスガムの)トライデントのイメージカラーだったから、当時、日曜の夕方に放送されていたレース中継番組に「ピンク色のレーシングマシン」が映っていたっけ・・・

余談・・・
1970年代の富士GC、F2000選手権に参戦していた”ドクター・ウルシハラ”というニックネームで呼ばれた「漆原徳光」がいたけど・・・外国人記者にとって”ウルシハラノリミツ”は発音しにくい。で、黒縁眼鏡を掛けた風貌が医者然としていたところから「ドクター」と呼ばれるようになったモノで、レース界から引退した氏は、医学の道には向かわず(当然!)、実業家として成功したとのこと。
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この回答へのお礼

大変詳しくありがとうございます。
全然知りませんでした。参考にさせていただきます!

お礼日時:2021/06/26 23:09

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