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「清め塩」とか、神前に酒と一緒に「塩」を供えるなど、日本における各種宗教行事と塩は、切っても切れない関係にあります。では、この関係は日本ではいつ頃から始まったと、歴史研究者の間では、考えられているのでしょうか。私は、このような塩の利用は、穢れ意識の始まりと連動しているのでは、と考えています。原田信男さんによると、穢れ意識が増大してくるのは、9世紀後半からとありました(原田2000)。するとそれ以前の古代や先史時代には、塩はまだ調味料の役割だけで、宗教的な観念とは結びついていなかったと考える事は可能でしょうか。それとも、塩によって穢れを払うという観念は、古代ないし中世のいずれの時代かに、大陸から持ち込まれた外来の思想なのでしょうか。塩と宗教に関する、この辺に言及している研究があったら教えてください。お願いします。

 原田信男2000「古代日本の動物供犠と殺生禁断」『東北学』3、174頁。

A 回答 (2件)

こんばんは。



初期神道の形成は、縄文後期から弥生にかけてと言われており、その頃から既に禊・祓いの祭祀は確立、汐(潮・塩)垢離(しおごり)と言う形で、海水で清める方法がありました。その簡略形として塩を用いて清めるやり方が出来上がったわけです。

ちなみに仰っている「9世紀からの穢れ意識の始まり」とは、仏教の伝来による「殺生戒」の思想と貴族社会で持て囃された「肉食穢」の思想の融合により出来た穢れ観です。実際の神道で考えられている「気枯れ」の思想とは全く異なるものですね。言及・・・と言うなら、初期神道形成に関する研究を調べれてみると良いでしょう。

塩と宗教は古代から、各国でも色んな場面に出てきます。旧約聖書の中にも「塩の契約の塩」や「永遠の塩の契約」が出てきますし、イスラムでも塩でアラーへの供物を清めたりします。その防腐や浄化効果を、昔から宗教と結びつけてきたのでしょう。塩と宗教に関しては、様々な視点から様々な見解が出てきています。アプローチの仕方は色々あるので、読まれた本以外の視点からも考察されてみられては如何でしょうか。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

さっそくのご教示ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2005/04/14 14:32

古代日本の遺跡は、縄文時代の三内丸山古墳の柱間、高松塚の木棺、藤ノ木古墳の石棺、法隆寺の中門などを代表として、聖書の神聖キュビト52.5cm尺で造られています。

アカデミズムと報道各社は、影響が大きいので知っていながら黙殺していますが。神聖キュビトは、クフのピラミッドの王の部屋と同じ尺度なので、神聖と特別に呼称されている訳です。また間尺の間はエジプト語です。これから見て分かるように、古代日本の宗教施設は、古代オリエントの強い影響下にあります。それも当然で、本当のセム系のイスラエルとは、イスラエルとクフ(エジプト名)の別名を持つヤコブの子孫の日本人なのですから。神道もその例外ではありません。

伊勢神宮の伊勢の語源は、創世記の最後を飾るヨセフ(ヤコブ=クフの子)の妻アセナテの通称イセから来ています。ヨセフとアセナテはセットとして登場し、伊予の地名、七夕の牽牛と織女のモデルともなっています。中国発祥と思われている陰陽五行も、前18世紀のエジプト時代のイスラエルで用いられています。ヨセフの息子エフライムは朱鷺の姿をしたトート(尊の語源)神の化身とされたので、エフライムの子孫が大半を占める日本の国鳥に朱鷺が選ばれたのです。日本の国旗も、上下ナイルのシンボルカラーにルーツがあります。

さて本題の塩ですが、前八世紀の大預言者イザヤが塩を用いて毒水を清め、流産を防いでいます(列王記下2章20~21)。これはイスラエルの伝統に従ったもので、それ以前から塩は清めに使われてきたのです。ちなみに、清らかの語源は、契約の箱を安置した幕屋の前に置かれた、青銅製の手洗い洗盤キヨラです。
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