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天皇の称号について。

醍醐天皇60代・村上天皇62代まで、称号は天皇でした。
しかし、宇多 天皇59代‣朱雀天皇61代から後桃園天皇118代は、称号は院に変わりました。

質問は、なぜ、宇多‣朱雀天皇から院号が使われ始めたのですか?

A 回答 (3件)

宇多天皇から朱雀天皇の時代にかけて、摂関政治が確立され、摂関家が天皇の摂政を務めることが一般的になりました。

これに伴い、天皇が政治的な権力を行使することが少なくなり、代わりに摂関家が中心となって政治を行うようになりました。そのため、天皇の権威や役割が低下したとされ、天皇の称号も従来の「天皇」から「院」という官名に変わったと考えられています。また、当時の天皇が摂関家によって擁立されることが多かったため、天皇が摂関家の支配下にあることを示すために「院」という称号が使われたという説もあります。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<宇多天皇から朱雀天皇の時代にかけて>
<摂関家が中心となって政治>
<天皇の権威や役割が低下した>
<「院」という官名に変わった>のですね。
流れが良く分かりました。

お礼日時:2023/03/06 12:32

陽成天皇が廃位され、簒奪者である大叔父の光孝はまだ皇族ではあったが、その息子の宇田こと源定省や孫の醍醐こと源維城は陽成の従者として仕えていた臣下。


王朝交代を示すために院号を定着させた。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<王朝交代を示すために院号を>なのですね。

お礼日時:2023/03/08 18:26

元々坊主だったのに跡継ぎがないからと俗世に戻されて何の威厳もなかったから自分で道真を使って階級を作り天皇の座を辞めて法王になり坊さんに戻って院政をしたから。

阿闍梨修行した天皇。院は芳名。天皇より偉く力を持った存在という地位を作った。亡くなったら住んでいる所を自分の戒名をつけて菩提寺にして未来永劫を確立した。のでは?
院は得度した坊さんの名前。戒名です
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<亡くなったら住んでいる所を自分の戒名をつけて菩提寺にして未来永劫>なのですね。天皇号より院号の方が未来永劫、なのですね。

お礼日時:2023/03/08 18:24

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