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1. You can not have met him. He was here at that time.

2. You could not have met him. He was here at that time.

1.&2.共に過去の推量・可能性(~した・だったはずがない)という意味になると思うのですが、ここでのcanとcouldの違いは何ですか?

3. If he hadn't studied hard, he couldn't have passed the test.

3. は仮定法で、このcouldは能力を表していると思うのですが、そもそも
推量・可能性と仮定法のcoudld have+p.p.はどのように見分けたらいいのでしょうか。

上記例文は全て分かりやすいのですが、例えばI hugged and kissed my dad at every opportunity-nothing could have felt more natural.のようにどちらが正しいのか分かりにくい場合〔ここでは推量・可能性だと思いますが〕の上手な見分け方はありますか?

A 回答 (5件)

#2です。

あれからいろいろ考えていたのですが、泥沼です。結局のところわたしには、「過去の推量」と「仮定法の帰結」に違いがあるとはどうにも思えないのです。
反実仮想というキーワードを使って説明しようと思っていて、I could have felt nothing more natural.と脳内変換したのですが、そもそも「事実に反する」の部分でつまづきました。すでに「nothing more natural」を感じなかった私(感じていたことを意識していなかった私)がここにいるわけですから、過去の私自身に対する推量は「反実仮想」になりますね。

もともとcouldには仮定法の意味合いが入っているので、canに比べると話者の想像の部分が常に入ります。したがって、本来は解釈の上で「私は、・・・・。と思います」という部分を補うべきなのかと思います。

He was ill.という話を聞いて、

1. He counld not have been ill. (If he had paid attention to his health.)
仮定法のcould have +ppは、He was ill.を肯定し、現在から過去のある時点に対して、「それでも、もしあの時…だったら」と事実と明らかに異なる事態を想像して、「~の可能性があった(なかった)と思う」と感想を述べている文です。

2. He counld not have been ill. (Because he looked well yesterday.)
過去の推量のcould have +ppは、He was ill.を受け入れつつ、現在から過去のある時点に対して、「それでも、あの時は…だったから」とある事態を提示して「~の可能性があった(なかった)と思う」と感想を述べている文です。

3. He cannot have been ill. (Because he played football yesterday.)
過去の推量can have +ppは、He was ill.を否定し、現在から過去のある時点に対して、「あの時は…だったから」と事実と信じるに足る根拠を示して、「~の可能性があった」と断定している文です。

どの文結局はHe was ill.という話を聞かないことには出てこない文なのでそういう意味ではすべて「反実仮想」になってしまいます。1.と2.は()内の部分も含めてわかりやすい日本語にするとずいぶん違うように感じると思いますが、「」内の意味から逸脱しているわけではないですよね。

私には、If節のないcould have +ppが、過去の推量なのか仮定法かを決めるというのは、灰色と黒の境界がどこにあるのかを決めているように思えます。
どちらも現在から見た過去に対する想像の表現であり、意味は全く同じで「~の可能性があった(なかった)と思う」といっているのです。

そういう意味では
「He cannot have been ill.で、控えめのcouldが使われているとのことで、決してここは仮定法ではない」
という説明は、1.を黒、2.を灰色、3.を白と例えると、
ほら白と灰色のあとには何か理由のようなことを付けるでしょう。だから灰色は白に近い色で決して黒の仲間ではないのです。といっているようなものでどことなく滑稽に思えます。

分けるとすれば「Ifがあるか、ないか」それにつきると思います。Ifがないものは結局意味は一緒になると思います。
むしろ決定的に意味が違うのは、canとcouldの方だと思います。
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#3です。

補足にお答えします。
I could have gone.
を仮定法の帰結部分だとして,「行こうと思えば」という条件部分を補って「行こうと思えば行けたであろう」と考えた時,現実はどうかと言うと,仮定法のパターンだと「実際は行こうと思わなかったので,行けなかった」ということが言えるはずですが,「行こうと思わなくても,可能性の問題としては行けただろう」となるのではないか,ということです。
 「私であれば行けたであろうに」という場合なら,「実際は私ではなかったので,行けなかった」となりますが。
 
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仮定法過去完了の帰結か,過去の推量か,の違いは現実に反するかどうかにあります。


If I had had enough time, I could have seen you.
「もし十分時間があったならば,あなたに会えただろうに」という仮定法の場合,
「実際には十分に時間がなかったので,あなたに会えなかった」という現実に反しているわけです。
Nothing could have felt more natural. の場合,
「もっと自然に感じられたことなどなかったはずだ」というのは,現実にそうだったと推量しているわけです。
これを,仮定法として,「そういったことよりも自然に感じられることは(探しても)あり得なかっただろう」と考えた場合,
「現実は探さなかったから,もっと自然なことがあり得た」と言えるのでしょうか。
「探しても」とあるように,「探さなかったら,余計にあり得なかった」となるのではないでしょうか。
I would have gone. なら,「私は(行こうと思えば)行っただろう」←「行こうと思わなかったから,行かなかった」となりますが,
I could have gone. の場合,「私は(行こうと思えば)行けただろう」というのは,「現実は行こうと思わなかったから,行けなかった」ということなのでしょうか。
このように,could が持つ「可能性・能力」という性質上,if という条件節によって,現実に反する内容が示されれば別ですが,そうでない時は,必ずしも現実に反することにはならないのです。
 if 節がなく,「~しようと思えば」とか,「~してみても」のような条件を補うような場合は,現実には反せず,視点を変えればこのような場合が「過去の推量」にあたるのではないのでしょうか。

この回答への補足

回答ありがとうございます。下記のところなのですが、もうすこし詳しく説明していただけますでしょうか。(お手数かけますがよろしくお願いします。)

I could have gone. の場合,「私は(行こうと思えば)行けただろう」というのは,「現実は行こうと思わなかったから,行けなかった」ということなのでしょうか。

補足日時:2005/05/03 18:34
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助動詞の過去形(would、should、could、mightなど)は、時制の上でやむなく過去形になった場合を除くと、原形助動詞とは別の、現在の助動詞と考えた方がよいと思います。

もともとは仮定法の帰結部で使われるので、そういったニュアンスのある、別の助動詞と考えるということです。
You should go ・・・.
I would like ・・・.
Could you ・・・.
などになると、もはや仮定法のニュアンスすら感じられないですよね。

canとcouldの意味の違いですが、
can:原理・能力・法則から考えて可能である。
「(実際にやるかどうかの判断はさておいて)理屈の上では可能だ。」という事実に近い判断を表わします。

could:いろいろな可能性を考慮に入れると、可能であると考えられる。
「いろいろな可能性を考慮に入れると」というところに仮定法のニュアンスが残っています。そういうことで、「まぁ、××な状況を考えると不可能ではないけれども、可能性は低いと思う」という意見を表わします。

1. 彼はあの時間(ずっと)ここにいた。時間的空間的に考えて君に会うことは不可能だから、あの時間に君と会ったはずがない。(=事実に対する分析の文)
2. 彼はあの時間(確かに)ここにいた。抜け出して君に会うというのも不可能ではないがかなり難しいので、君と会ったはずがない。(=体験に基づく意見の文)

3.、4.は、syoshioka99さんの疑問点が実のところよくわかりません。見分ける必要もないと思いますし、意味も変わらないと思います。確かにこの場合ではcouldは意味的には能力を表わしていますが、それは仮定法の帰結として使っても、単独で使っても変わりはないと思います。

I could have felt nothing more natural. も、条件節の省略された仮定法の帰結と考えても、hugged and kissedの時点での推量と考えても、どちらも可能ですが区別する必要はあるのでしょうか?
文法的にも意味的にも同じことをいっているだけだと思います。

この回答への補足

解答ありがとうございます。確かに仮定法でも推量でもどちらでもいけるかもしれません。

I huged and kissed my dad at every opportunity-nothing could have felt natural (than to hug and kiss my dad at every opportunity).

(推量)私はあらゆる機会にパパを抱きしめたりキスをしたりした。そういったことよりも自然に感じられることはなかったはずだろう。
(仮定法の帰結)私はあらゆる機会にパパを抱きしめたりキスをしたりした。そういったことよりも自然に感じられることは(探しても)有り得なかっただろう。

ただ、問題集の答えに
could have feltは
He cannot have been ill.(彼は病気だったはずがない)で、控えめのcouldが使われているとのことで、決してここは仮定法ではないとのことでした。どう思われますか?

補足日時:2005/04/30 21:37
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こんにちは



(1)
単に「会えるはずがない」「会えるはずがなかった」という時制の違いだと思うのですが…。

(2)
仮定法には"if"で始まる条件節がつきます。またIF節がなくても前置詞句やto不定詞などが条件節の代わりをする場合もあります。それらの「条件」を示唆する部分の有無を確認すれば区別しやすくなると思います。

この回答への補足

解答ありがとうございます。

cannot have metも会えたはずがないとジーニアスにはあります。

(2)のif節を言外に含むというのがありますが、なぜ下記の文章では含んでいないのでしょうか?

I hugged and kissed my dad at every opportunity-nothing could have felt more natural.(このno~could have feltは恐らく「~したはずがない」ということですが、なぜ仮定法ではないということが分かるのですか。

補足日時:2005/04/30 17:45
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