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パレスチナのユダヤ人がアラブ諸国に敵視されるようになったのってイスラエルを建国してからですか?
それとも第一次大戦後パレスチナに移住し始めた時点で異教徒の非アラブ人として既に敵視されてたんですか?

A 回答 (7件)

パレスチナのユダヤ人がアラブ諸国に


敵視されるようになったのってイスラエルを建国してからですか?
 ↑
アラブというか、ムスリムは
キリスト教と仲が悪かったのです。

その原因は、十字軍の遠征にまで
遡ります。

ローマ教皇も、あれは侵略だったと
謝罪しています。

あれで、温厚だったイスラムが
反キリストになったのです。




それとも第一次大戦後パレスチナに移住し始めた
時点で異教徒の非アラブ人として
既に敵視されてたんですか?
 ↑
もともと、パレスチナにはアラブ人が
住んでいました。
ユダヤ人は極少数。

その後、ナチスに迫害された、という
口実で、世界世論を味方にして
ユダヤ人がパレスチナに乗り込み
ムスリムを追い出し、
その後建国したのです。

追い出されたムスリム数百万はホームレス。
居残った人達は極貧。

その一方でユダヤ人は、日本を上回る
豊かな生活。
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童話「星の王子さま」を書いたサン・テグジュペリの体験記「夜間飛行」だったと思いますが、アラブに駐屯していたフランス軍指揮官のアラブ人の伝聞についての記述があります。



あるとき、フランス軍の駐屯地にアラブ人の部族Aが攻撃をかけてきたとき、たまたふま、別の部族Bの人たちがフランス軍の駐屯地にいて、アラブ人が攻撃をかけてきたから駐屯地から退去を求める指揮官に対して、別の部族Bの人々は、今宵の自分たちはフランス人の賓客としてここに居る。だからその人々を見捨てて逃げるのは神の教えに反すると称して、フランス軍を助けて命がけで戦って襲ってきた部族を撃退。
その後、まもなくその部族の人々がフランス軍の駐屯地を訪れて、先日の戦いの時に自分たちが消費した弾丸を返してくれと要求。彼らが多量の弾薬を必要とするのは今度は彼らが駐屯地を襲撃するつもり。礼儀正しく弾薬の返還を求めたアラブ人に、フランス軍指揮官も礼儀正しく、自分たちに向けて発射されるであろう弾薬を返してやったと言うことです。

私たちのように敵か味方か、憎しみはあるのかだけではわかりにくいですね。
ただ、彼らが神の教えに忠実で礼儀正しく、異教徒にも接しているという観点で見ると彼らの子美羽どうも理解できそうな気がします。

もし、最初の段階でユダヤ人たちがアラブ人と共存するという形を取っていたらそれも可能だったのかもしれません。ところがイギリスのいわゆる二枚舌外交もあって、パレスチナ人にとってはあそこはパレスチナの土地だと言われ、ユダヤ人たちはユダヤの土地だと言われて、一つの土地で共存するのではなく奪い合う形になりました。

周辺のアラブ人から見ても親交を同じくするパレスチナ人を追い出すユダヤ人は敵と見なされるようになったという事じゃ無いでしょうか。
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>それとも第一次大戦後パレスチナに移住し始めた時点



あえて言うならこのとき。ユダヤ人移住者の増加傾向が顕著になってから。
遊牧民主体のパレスチナ人は安い値段で土地を売ったのだけど、後で騙されたと言い出した。パレスチナ人はパレスチナ人が合意できる値段で売ったのだけど、後出しで被害者を装った。

異教徒というのは、わりとどこでも後付けの理由。
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第一次世界大戦後すぐの頃には、パレスチナに移住したユダヤ人は現地のアラブ人から敵視され始めていたみたいです。


最初期での理由は、金の力で地元民を追い出したためと、地元に馴染もうとせず彼ら独自の生活習慣を維持し続けて地元民と軋轢が生じたためです。
(後者は欧州などでユダヤ人が嫌われる理由でもあります)

第一次世界大戦後、多くのユダヤ人たちは皆で金を集めてパレスチナの土地を買い、そこに移住しました。
(シオニズム運動黎明期の19世紀末にも小規模のユダヤ人移住はあったのですが、それが大規模になったのは第一次世界大戦後です)
その土地には不在地主に金を払って住み農業をやっていたアラブ人小作人がいたのですが、ユダヤ人たちはユダヤ人だけが働く農場を作ったため、多くの地元人が追い出されることになりました。
パレスチナなどでは慣習として土地を売買してもそこに住んでいる者を追い出したりせず契約を継続し続けることが道徳的とされていたのですが、ユダヤ人たちは大規模に土地を買って小作人を追い出したので地元の人たちから大いに嫌われました。
(このときユダヤ人たちが地元農民を追い出さず資本家的農地経営をしていけばそれほど嫌われなかったかもしれませんが、当時欧州で流行していた共産主義の影響で彼ら自身が農業をやりたがったのです)
それまで何世代も当たり前のようにそこに住んで働いていた土地を追い出された地元民はユダヤ人たちを恨むようになり、それが蓄積してやがて暴力に発展していきます。
そのため1920年代後半には、ユダヤ系住民をアラブ系住民が襲撃し、ユダヤ系住民がアラブ系住民を襲撃する、という現在と同じような構図の事件が起こっています。
そういった経緯があるため、第二次世界大戦直前にパレスチナで起こったアラブ人の大規模反乱(1936-1939)ではパレスチナを植民地支配する英国からの独立と共に、ユダヤ人入植の禁止が大義名分として掲げられることになりました。

第二次世界大戦後に英国がパレスチナの統治権を放棄したのはそこで行われているユダヤ系とアラブ系の抗争が激化して手に負えなくなったからでもあるのですが、そこに至るまでかなりの年月を経ていて、いろんなことが起こっているのです。

以下余談)
パレスチナ問題はまじめに説明しようとすると本何冊分という分量になってしまうので、ちゃんと理解するつもりならネットの断片的解説ではなく、専門家が書いた解説本を何冊か読んでみることをお勧めします。
中東で何かあればテレビとかによく呼ばれてコメントしている高橋和夫氏の本は、平易で扇動的ではないので個人的にはお勧めです。
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>イスラエルを建国してからですか?



そうです。
アラビアンナイトでもユダヤ人が登場しますが、ベニスの商人のように悪辣な人間なんて登場しません。イスラエルの建国までは共存共栄だったのですよ。よほどヨーロッパの方がユダヤ人差別をしていました。

そもそも第二次世界大戦後にパレスチナの地に大量に移民してパレスチナ人を追い出したのがそもそものの原因です。

なお、アラブ諸国といいますが、ほとんどの国は欧米列強の植民地だったのです。ですからイスラエルVSアラブ諸国という対立構図は戦後に生まれたのです。
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エジプトで迫害された歴史も記載されており、イスラエルに住んだユダヤ人が今度は、シリアがアッシリア、イラクがバビロニアと呼ばれていた頃にイスラエルから追い出した為に世界中にユダヤ人が散らばった。

これらから見ると迫害を受けていたのはユダヤ人。

その後の居すわった人の一部がテロリストに過ぎない。

おそらく、優れていたから嫌われたのでしょう。それはヒトラーがそうだったのですから。アメリカでは嫌われた事もあったが上手く活躍したから経済発展させてきたと思います。

優秀な人を嫌う共産主義者とは合わないでしょうね。彼らの目標は北朝鮮のような国ですから。
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難しい事は分からないけど、


パレスチナはシリアと同系統の中東アラブ系民族です。

ユダヤは紀元前の大昔にエジプトから出てパレスチナに侵入してますから、その時代にパレスチナの先住者と何の軋轢も無かったとは思えません。

その後、エルサレムでキリストを磔の刑にしたり、
ローマ帝国の支配からパレスチナを逃げ出したりしてます。

…その時代から世界中に散って、国を持たずに金儲けで軋轢を生む歴史を繰り返してきてます。

アメリカの経済もユダヤ系移民が牛耳っています。

国家を持った経緯も第二次大戦の戦勝国イギリスによる戦後処理を、イスラエルに都合よく利用した事から始まって、今では当時の約束も反故にしてます。

…そんなこんなで、世界の多くはイスラエルを信用してません。
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