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かつてある政治家が言ったように高句麗・百済・新羅と古代日本は通訳を介さずに交流できたというのは本当でしょうか?要するに高句麗と日本の言葉は一緒だったということでしょうか?

A 回答 (4件)

文字を書けば双方漢文だから意思は通じたでしょう。


ある程度シナ(漢)語を話せる人が双方に居たことも考えられますね。
言語によらない交流も今の日本人よりかは堪能だったかもしれませんね国内でも通じない事もありますから。

言葉そのものは違う物であるのが当然でしょう。
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古代日本には高句麗・百済・新羅からの移民もいましたし、中国史で日本に関する記述がほとんどない日本の古墳時代は、漢帝国の崩壊に伴う五胡十六国時代などの大乱が相次いでいた時代で、戦乱を逃れて日本に大量に中国各地から中国人が非難してきた時代でもあります。



つまり、その頃の日本とは、縄文&弥生人に加えて、中国大陸各地と、高句麗・百済・新羅からの移民が大量に暮らしていた国際色豊かな時代です。

ある政治家の発言は、当時有名だった学説の受け売りですが、事実として検証されて定説化したものではありません。

最先端の研究では、当時の日本には縄文弥生の大和言葉をベースとして、大陸諸国の様々な言語を話せる人たちが揃っていたと考えられています。

古代日本には通訳を介せずにどの言語も話せる人々が揃っていましたが、全員が通訳を介せずに高句麗・百済・新羅と交流できたというのは間違いです。
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ちゃんと精通した人はいた。

いわば、通事・通訳ね。
帰化人もいっぱい仕えていた。というより、通訳を彼らが担当していた。
倭の5王の使者も帰化人担当と考えられる。
道案内は現地で、担当国の派遣された担当者が勤めた。
これは史書を研究すればわかる。
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政治家の発言かぁ・・



他の方の回答のように、そこで暮らしている人たちがバイリンガルになっていた可能性や、漢文などを通して意思疎通した可能性が高いでしょう。中国は中国語という共通言語があるわけではなく13くらいの異なる言語の集合体で、昔から漢文を通じてやりとりしていたりします。日本でもその漢文を使って読み下しでそのまま読んだり、日本書紀など漢文で書いたりしているわけですね。

それとは別に、学術的には日本語は大陸由来であるとの考えがすでに主流となっているようです。大陸倭語などとも呼ばれているようです。これが弥生時代に稲作と共に日本列島に伝わり現在の日本語となったというのが簡単なストーリーだと思います。
古くから(100年前とか)日本語がアルタイ語族である可能性や、数詞などの基本語彙が高句麗の言葉と似ていることが指摘されていました。三国志に残る記録では契丹の言葉と高句麗の言葉が似ていることや、これらの東にある濊や狛の言語が契丹の言葉とほぼ同じ、などと書き残されていたと思いますが、ここから百済の言葉や日本(倭)の言葉のつながりが見えてくるような気がしています。
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