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私は映画を観たり本を読んだりするのが大好きです。
最近では観たり読んだりした映画や本の感想を書けるSNSなんかもありますよね。

私も感想を言語化することで新しい気付きがあったりするのではないかと思って挑戦しようと思ったのですが、自分が思ったことが間違えていたらどうしようと思って書けないでいます。

例えば物語の描写でここでこうすることによって、主人公の気持ちが前向きになったんだな、と私が思ったとします。
でも他の人から見たら、そこは違うでしょ、と思われたらどうしようと不安になるのです。
だったら感想なんか書くなと言う話なんですが、感想なんか人それぞれじゃんと思う自分もいます。
同じものを観ても全く違う感想になることはおかしいことじゃないですかね?
感想や解釈に正解や不正解はあると思いますか?

A 回答 (8件)

まぁ作品である以上は、製作者側がどういう意図で描写したものか、


という意味では正解・不正解はある程度あると思います。
感想は自由ですが、解釈は正しく読み取りたいところですよね。

ただもちろん必ずしもコレといった正解が用意されていない描写もあります。

例えば、正解・不正解のある描写としては、
ラブストーリーの結末で主人公の恋人が死んで終わるものだったとします。
最後の一文が、
「主人公は静かに涙を流した。」
だと、単なるバットエンドのストーリーだったな、と解釈できますよね。

一方で正解が用意されていない描写としては
ミステリー小説で、
事件解決後、黒幕だった殺人犯が最終的に病に倒れて亡くなって終わる作品だったとします。
犯人に家族を殺害された遺族が、最後に
「○○は静かに涙を流した。」
という文章で作品が終わっていたとします。

これはどうでしょう。
解釈の仕方は人それぞれではないでしょうか。
「家族を殺めた殺人犯にでさえ、不幸を悲しむ涙を流した」
「犯人が刑罰を受けることなく他界したことに憤りながら涙を流した」
「殺害された家族のことを思い出して涙を流した」
というように様々な解釈ができます。
でも実は、作者は、
「遺族は本当は家族のことを憎んでいた。そんな時に都合よく病に罹り余命短い人物を見つけ、その人をけしかけ家族を殺害させた。最後に完全犯罪を成し遂げた歓喜の涙を流した」
という意味を込めて、最後の一文を描写するのかもしれません。
(さすがに映画や小説を普段から良く見られる質問者さんにとっては、あまりにありきたりで質の低いオチでしょうかね(笑))

まぁそれはそれとして、やはり感想は自由であっても解釈はある程度的を得ていたいものだとは思いますね。

ただおっしゃられる通り、今までは作品を見てインプットするだけだったものが、アウトプットされてより内容が咀嚼されることは良いことだと思います。
そもそも誰かに読んでもらいたくて、SNSに感想を投稿されたいのでしょうか。
あまり、そこは意識することなくあくまで自己満で投稿したいというだけであれば、noteなんかはいかがでしょうか。
noteは自由に書き込みを投稿できる一方で、
閲覧者はその書き込みの全文を閲覧する場合には、課金が必要になります。
noteであらかじめ自己満という前提をした上で、それでも承知してくれた人は課金して閲覧できる。
というシステムづくりをすれば、間違った解釈をSNS上にアップしていても、めっちゃくちゃ大きく赤っ恥をかくことはないのではないでしょうか。
それに運がよければ、小銭稼ぎにもなりますし、一石二鳥ですね。


余談ですが、本日は4年に1度の2月29日です。
うるう年である今年は、今日1日分、前後3年間に比べて過ごす時間が長いです。
(そうは言っても日中は仕事なので実質的に、自由に使える時間は数時間ですが)
せっかくのいつもよりも数時間、過ごせる時間が長いのですから、普段やりたいと思っていてもなかなかできないことをしたいなと思いまして、
今日、仕事から帰ったら久しぶりに小説でも読もうかな、と思っております。
質問者さんの質問を見て、もっと本を読みたいなという気持ちが強くなりました。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

助かりました

お礼日時:2024/03/11 03:21

感想は人それぞれですよ。

逆に「感想は皆同じ」だったら怖い。

もちろん、作品に対する感想は鑑賞する者の人生経験や主義主張に大きく左右されるし、鑑賞者が年齢を重ねるに連れて同じ作品に対する印象が変わってくるのもよくある話です。でも、それで良いんじゃないでしょうか。

とにかく「感想を言語化することで新しい気付きがあったりする」というのは真実なので、積極的に取り組んで損は無いです。

ただ気を付けなければならないのは、うっかり事実と違うことを書いてしまうのを回避することです。

作品を取り巻く状況、たとえば小説ならば作者の経歴や過去の作品の題名、映画だったら出演者の名前とか監督のフィルモグラフィなど、そういう「客観的な事実」は事前にチェックした方が良いでしょう。

かくいう私も映画の主演俳優の過去作品を間違えてネット上で書いてしまい、閲覧者から突っ込まれたことがあります(笑)。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:20

気軽に書けばいいと思います

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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:20

感想は人それぞれ・・その通りです。


そこは違う・・と言われて不安になるなら
ネットなどに感想をあげるのは
やめましょう・・
映画でも何でも・・
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:20

不正解はないが、その人の境涯が現れます。


お花見で、花をめでる人と、酒をめでる人といます
秋の紅葉を見て、感動する人と、ただの枯葉と見る人がいます

同じ映画や本でも芸術でも
感受性の低い人と高い人で違うし
深い哲学のある人や知識と経験のある人と、
ただ無意味に生きてる人と、感じ方は違うのです

駄作は低レベルの人しか感動しません
多摩川の土手しか知らない人に、ヒマラヤは語れません
的を得た、論票を書きたいならば
最高峰の芸術や、世界の文学書や古典に親しみましょう
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:21

ブログで書いている人は多いですよ


子供の時に見たウェストサイドストーリーの感想と
青春時代に見たときの感想
成人して社会を知った時の感想は違って当然だと思います
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:21

解釈や感想に不正解はありません。



もし唯一の正解があるとしたら、本にせよ映画にせよ、鑑賞し始めたら、その唯一の正解を求めるためにだけ鑑賞するという非常に狭い行為になってしまいます。

小説も映画も、そんな狭い鑑賞形式を求めていないと思います。

まあ、受験勉強は明確な答えがありましたけど、それはあくまでテスト問題の世界です。

これは主にテクスト派と呼ばれる人々の考え方ですが、小説などを創作するのも、小説の中から本人なりの意味を見出していくのも、本質的には同じ行為だとされています。

あなたの感想は、いつでもあなたにとっての正解なのです。

あなたの正解を他人に押し付ける必要はありませんが、誰かの正解をあなたが押し付けられる必要もないのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:21

人の考えは人それぞれなので全く同じ感想になることがありえないと思います。

「進撃の巨人」などは謎が残るばかりで解釈は人によって異なりますし、作者が正解を出さなければ答えが合っているのか確認のしようもありません。ようは自分の意見が正しいと傲って人に押し付けなきゃいいだけの話です。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/03/11 03:21

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