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【歴史・日本史】なぜ神武天皇のことをミサンザイと言うのですか?

ミサンザイってどういう意味ですか?

あとなぜ日本で最初の初代天皇の神武天皇のお墓が奈良県にあると分かったのですか?

A 回答 (6件)

> ミサンザイってどういう意味ですか?



https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
仁徳天皇(大鷦鷯尊)、武烈天皇(小泊瀬稚鷦鷯尊)がその名を持ちます。
鷦鷯は「ささき」とも読み、「陵」(みささぎ)という言葉も「ささき」に尊称の「み」がついたものと言われます。
https://note.com/m_9joh/n/n1684cdae007f
「ミサンザイ」や「ニサンザイ」とは、変わった名前だなぁ。もしかして相当に古い日本語か? と思って知り合いの考古学者さんに聞いてみると、
「どこまで遡るかは分からんが、たぶん陵(御陵)が訛ったものだろう」と教えていただきました

> なぜ日本で最初の初代天皇の神武天皇のお墓が奈良県にあると分かったのですか?

もともと神武天皇という方はいなかったし、古墳も造られなかったのですから、後代に『ここだ!』と決めて、修復を理由にして、新規に造ることになります。 
でも、わざわざ造るにも費用・人力も必要なので、長い間、だれもそのようなことはしなかったのです。江戸時代の初期、中期の国学者でも、推論してもそれ以上のことはしません。 
ですが、幕末になって、天皇の伝統と権威を示せるという気になってしまった天皇が自分の権威の証拠にもなるように思い込んで、とにかく天皇の陵墓を明確にすることを希望したこと、幕府も天皇を無視するよりも、これに協力して朝廷と良好な関係を維持することが大事だと考えた当時の政局が原因です。 それで、まあ 奈良に造ってしまったのです。 他に造ったのでは、伝統と権威付けに余計な疑念を起こすことになりますから、奈良しかないのです。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
幕末の文久年間に、幕府による陵墓の修陵が大々的に行われて、荒蕪状態の墳丘は整然とした前方後円墳や方墳、円墳に整えられた。これは、中世の陵墓にも及んでおり、小規模な土饅頭・塚であったものが、高い墳丘や周濠をもつ円墳形に改変されたり、本来古墳ではない所を土木工事によって古墳状に造り上げたりしたものが相当数ある。『文久山陵図』には修繕前の現況と修陵後の図が収められており、驚くほど陵墓の姿が変わった様子がうかがえる。つまり、現在見ることの出来る陵墓の姿は、基本的にはこの時期に再整備された形であって、古墳の当初の形や、経年変化によるものではないのである。
幕末から明治前半には、天武・持統合葬陵が鎌倉時代の盗掘記録をもって見瀬丸山(五条野丸山)古墳から野口王墓古墳に治定替えされるなど、何度も陵墓の治定替えが行われている。

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/6 …
そうして文久の修陵を迎えることとなる。ところが、治定を受けたのは本命の丸山ではなく神武田であった。
二つの小丘に過ぎなかったこの地区に大規模な補修の手が加えられ荘厳な神武天皇陵に整備された。
文献的には丸山説が優勢でありながら文久度に突如として神武田に治定されたのはなぜか。
神武陵の政治的意義が注目され、できるだけ早い神武陵の治定・整備が要求された中、陵墓整備に当たって周辺住民の強制移転が必要な丸山より、そのような手続きを必要としない神武田の方が好都合というような政治的な判断が優先されたと考えられている。
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2024/04/01 17:52

> なぜ日本で最初の初代天皇の神武天皇のお墓が奈良県にあると分かったのですか?



➊「初代天皇の神武天皇」がいて死んで葬った墓がどこかにあるはずだと、思ってしまった。
❷初代だけでなく二代の天皇もいて死んで葬った墓がどこかにあるはずだと、思ってしまった。
❸神武は大和に入ってきた天皇だから、奈良県に墓があるはずだと思ってしまった。 古事記に、御陵は畝傍山の北の方の白檮尾のあたりにあると書かれていたことも大きい。
❹徳川幕府が墓を探したが、該当しそうなそれらしい地形がなくて、当時の付近の人の呼び名を手掛かりに推定するしか手がなくなった。
❺突然孝明天皇が気にし始め、何としても神武天皇陵を確定して修復し祀りたいという希望をだしてきたので、止むなく、周囲の人たちが拙速ではあっても「ここです」と決めてしまった。

https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou …
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j …
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既に回答が出ている通り、「ミサンザイ」という言葉は、「みささぎ(陵)」という言葉の転訛であり、神武天皇のことを指す言葉ではありません。

 

神武天皇(磐余彦尊、イワレビコ)は、古事記や日本書紀の神話で登場する、伝説上の人物です。 

日本書紀によれば、神武天皇は即位76年で崩御、畝傍山の北方に葬られたとされています。

この伝承に基づき、畝傍山の北方の地に、神武天皇陵の築造が文久3年(1863年)5月にはじまり、同年12月に終えた修陵 (文久の修陵) において、ミサンザイの円丘は急ごしらえの柵で囲まれ、神武天皇陵が誕生しました。 現代では、畝傍山から東北に位置する墳墓「畝傍山東北陵」が、宮内庁によって神武天皇陵に治定されています。 

すなわち、神武天皇陵は奈良で発見されたのではなく、日本書紀の神話に基づき、江戸時代末期に作られたものです。
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天皇はハツクニシラススメラミコト等いろいろな別名がありますが、ミザンサイという呼び名はありません。

No2さんのおっしゃるようにミサンザイは「陵(みささぎ)」という意味です。

鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)、岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、土師ニサンザイ古墳(陵墓参考地)などミサンザイの名のつく古墳はいろいろあります)

上述の()内はあくまで幕末から明治の時に尊皇思想が高まったときに伝承などを参考につけていったものであり、本当にその天皇が葬られているということではありません。

神武天皇陵も当時あった古墳のひとつに伝承などに基づいて比定されたものです。今は神武天皇を祭神とする橿原神宮が設置されていますが江戸時代の地図などでは現在よりももっと小さかったようです。
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「ミサンザイ」または「ニサンザイ」は、「陵(みささぎ)」という意味。

陵の別名ということです。ただし全ての陵ではなく一部の陵だけらしい。もちろん特定の天皇の名前でもないということです。

「陵墓」= 陵および墓
「陵」= 天皇および三后(太皇太后・皇太后・皇后)の墓地。
「墓」= その他の皇族の墓地。

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宮内庁のWebサイトに歴代天皇の陵の一覧があります。
 ↓
https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/
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「ミサンザイ」など聞いたことありませんよ。


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