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子どもの部活での保護者との付き合いに悩んでいます。
我が子より一つ上の学年の保護者です。仮にその方をAさんとしますが、なぜか、冷たくしか接してくれません。何か嫌われることをしたつもりもないし、一体何が気に食わないのか全くわからないんですが、私にだけ冷たいです。それが明らかにわかります。
入ったばかりのチームで、もちろん他に仲良くしてる保護者さんはいるのですが、そのAさんがいるだけで、私にとっては雰囲気が変わると言うか。憂鬱で仕方ありません。
存在自体を嫌われてるのでしょうか。
こんなとき気にしないようにするにはどうすればよいですか?

A 回答 (6件)

仕事をしているとそういう事も多かったですね。

自分に原因がある場合でも(若い頃は)喧嘩腰で対応していましたね。逆に自ら積極的に機嫌を取ったりもしていました。しかし「相手にとって譲れない何か」と言うのは合理的じゃない物もあります。こういうのは解決不能です。単に「その人が過去に誰かに傷つけられた」とか「精神が健康でない」と言うだけの物も多いんです。そういう場合も今は解決法をお話します。

以下は長いので興味があればお読みください。

ある時期に「自分が悪い場合」「自分に原因が無い場合」でやり方を変えるのは良くないと気づきました。

「視野を広げて当人以外の人の人気を集めること」

これが一番の様です。私は「高ストレス状態」「うつ病」と最悪のケースを辿った事があります。この時には「言い訳できない酷い失礼な事」を繰り返していました。評判はがた落ちです。社内でも有名になりました。しかし病気を治そうと覚悟してからは段々と良く成り「あの時は別人だった」と思えるくらいに回復しました。そうであっても評判は悪いままです。

そんな時編み出したのは「徹底して他人に献身的であること」と言う防御法です。仕事ですから「仕方なく接する」と言う仲間たちがいます。この方々を大事にする事。そして「噂と違う」と思って頂く事です。ぶっちゃけ噂の方は真実なのですが「今の仕事仲間」にとっては嘘になるという事です。そうなってしまうと、

「奴は違うんだ。こういう事があったんだよ。信じてはいけ
 ない」

なんて言い続ける方がリスクなんです。

「レ・ミゼラブル」というフランスの歴史小説が有名ですね。この話では「心を入れ替えて成長した主人公」に対して過去を持ち出せなくなる(彼を逮捕しようとしていた)警部の葛藤が描かれています。内容はフィクションですが「道徳の在り方」としては真実だと思います。

「自分は悪くないという事だけでは自分を守れない」

「人として正しい」と言う言い方を良くします。しかし「自分を守るために何の力にも成らない正しさ」なんて辞めた方が良いです。本当の意味は「レ・ミゼラブル」にあるように「自分を守ろうとする衝動」を周囲からかき集められる力の事です。この力が働くのは自分の周囲の人達が(一歩踏み出せないだけで)皆が聖人の素質を持っているからです。

「自分に接する人全てが聖人に成り得る素養を持っていると
 強く信じられる人だけが、自分を悪人から守る力を使える」

冒頭に述べた様に「相手の中にだけある理不尽な理由」に合理的な対応は不可能です。そういう不条理にされされても安全であるためには「自分の中にある良き性質」を必死に絞り出して「公平に受け取ってくれる人」に尽くすのが一番です。「偏見や色眼鏡で見る人」「利害関係のないうわさ好きな人」等を避けて「自分に接する必要がある普通の人」に尽くすのです。

気分が落ち込めば「全ての他人が同一に見える」と言う錯覚を受けます。これに負けずに「個人、個人」を大事にしていくことで自分の精神を健全に保ち「自分の周囲を安全にする」のです。

「誰かと仕方なく争う時は、どちらが生き残った方が皆の為
 になるのか審判を周囲に仰ぐ覚悟が必要。これが面倒だと
 感じて『自分は普通だ』『自分は悪くない』『相手が異常』
 『相手のここが悪い』と悪さを並べて糾弾する人は(そ
 れを聞くだけで皆がストレスを感じるので)生き残るべき
 では無いと(最終的に)判断されがちである。自分の為に
 頑張っている様で自滅作業を続けているのに気づかないと
 行けない」

また「普段から尽くし続ける」事で「その信用は積みあがる」ものです。誰かが自分を「八つ当たりの対象」として標的にする事は少ないでしょう。あったとしても直ぐに(周囲に)正されると思います。

「自分から見てイイ奴だと思える相手は友達が多い。しかも
 そいつもイイ奴だったりする。そしてソイツにも友達が多
 いはずだ。対個人だと思って喧嘩を売る奴は余程の間抜け
 だと思う。そういう間抜けが苦しんでも自業自得だろ?
 助けるべきじゃないよな?」

「それには賛成だがもっと別の理由がある。そいつを助ける
 と仲間だと思われる。その瞬間に自分も軽蔑されてしまう
 し、自分の友達にも迷惑が掛かるんだ。頼むから君。そう
 いう奴を助けないでくれよ」

「おおう。そうか。そこまで考えて無かったよ。君の為にも
 そういう輩が困っていても無視する事にするよ」

この様に成ります。

つまりは「品行方正」というスタイルは想像以上に強力なんです。

「自分が思っている以上に味方が多い」

と言う人は助かります。

「皆」という大雑把な発想を捨てて「個人個人を尊重して個別に攻略していく」のが大事です。また「敵が登場してから」では遅いとし「普段から積み上げる」感覚が重要です。

「でもさ。他の人が見ていないとか。プライベートである場
 合どうなるの? 通用しないじゃない」

「通用しないと考えるのが子供なんだよ。危険と考えて避け
 るのが普通。ワクチンが存在しないウィルスは怖いだろ?
 それと同じだよ。特効薬が効かない状況を自ら作り出して
 いるってことが最も危ない」

昔、SNSでストーカー被害にあっていると(女性から)相談されたことがありました。内容を聴いてもどうして良いか分かりませんでした。個人的には怒りを覚えましたが「相手も賢い」らしく、飴と鞭を上手に使い(その女性を)コントロールしようとするらしいのです。これに関しては罪を問う事が出来ないので難しかったんですよ。女性の側は逃げようとしてもSNSなので避けられない。無理に避けると「差別をしている」と評判を落とされそうでした。当人同士しか分からない部分で被害を受けていたんです。

結局、どうアドバイスしたのか?

「この人とコラボして。この人は貴方の事をリスペクトして
 いるはずなので。出来そう?」

「頼めば出来ると思うけど」

「この人」と言うのが偉く立派(品行方正で穏やか。スキルも高い)な人でした。その人とコラボをSNS上でやっただけでストーカーは去ったんです。

「自分と相手にしか分からない状況での嫌がらせや不条理な
 対応はこうやって対抗する。品行方正な人を友人に作り、
 その人と友人関係であると公にアピールする。悪意のある
 人は自分の所業が伝わると怯える。どのくらいの人にまで
 噂になるのかと恐怖へと変わる。何を話されているのか?
 どこまで広まっているのか?という想像の方が怖いモノだ。
 その恐怖で心が休まらず、逃げ出すことになる」

誰もが「正しい人達」の繋がりを潜在的に恐れているという事です。単なる敵対グループ内での噂であれば「まだ負けない」と意地を張れます。しかし「万人に優しい」と評判の人に「自分がどう思われるのか」を考えた時はそうではないのです。

「品行方正であり、優しく、力もあるという人に接する事で
 自分も守られるという事。これを侮ってはいけない」

どんな人でも「スキル」「○○力」を磨くのは大変でしょう。努力も少なからず必要です。そういう壁越えをしたのならば「(勿体ないので)品行方正に振舞ってみる」べきです。そうする事で努力が何倍にもなって報われるんです。またそういう人を大事にする事で自分が守られる(先ほどのストーカー被害への対応)わけです。

この様な(自然発生的な)繋がりは誰も止める事が出来ません。それぞれの人が自分の幸福を追求し、自衛をしようと考えた時、その中で最も強いメタは「聖人路線」であるという事です。

「あのさ。俺は得に聖人を目指しているわけじゃないのよ。
 だからさ・・・」

こんな事を語れば「聖人とか自分には無理です」と思っている人が喜んで集まってきてトラブルを無限に生産します。単なる愚か者ですよ。

「聖人とか無理かもしれないけどさ。目指したいよねえ」

と言って置けば「何コイツ」と思う人は離れていき「だよねえ」と言う人が集まってきます。どちらが安全であるかは自明です。なので「道徳的発言」をし過ぎて「コイツ苦手」とか噂が立っても恐れない事です。未来のストーカーを追い払っていると考えるべきでしょう。

「相手以外の誰かが自分を見ていると意識する事。そうでは
 無い場所を避ける事」

と言う事で「公に立って品行方正に振舞う」以上の策はないのです。その時に「本来の道徳の在り方」を知りませんと「間違った判断」をしてしまいます。実践するには「綺麗ごと」を卒業した「こうなっちゃうのでこうしましょう」的な理屈も含めて学び直す必要があります。

道徳は人間の本能として抵抗できない要素(徳)から構築されています。これらを理解して実践する事が「他人に尽くす」と言う事に相当します。

「自衛のために周囲の人に尽くそうと思っても、道徳の実践
 が何であるのか(適当に覚えていた)分からない人はやは
 り救われない」

私も大分年配になって調べ直したりして訓練しました。道徳には五常というのがあります。これを見て「適切な徳を使えているのか?」を普段から気にしましょう。なんでも「可愛い」と言い続けている人がいます。また「いいね」ボタンを押せばいいと思っている人もいます。これは道徳の5つの要素を使い分けているアピールになりません。結果として「凡庸な人」と見られてしまい「守りたい」「お近づきに成りたい」と他人に思われません。そういう無駄な行為で消耗するくらいなら「積みあがる力=本物の力(道徳)」を実践をしましょう。

以上、ご参考になれば。
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考えられる事


・人見知りの激しい人で、慣れない人との接しかたが判らない
・質問者様のお子さんが上手くて、その方のお子さんが
レギュラーなどから外される恐れから

ご自身では何気なく言った言葉が
その方には、結構気に障る言動が有ったのかも
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うーん、なんでしょうかね。


理由も分からないと困りますよね。
他に仲良くしている保護者の方がいるなら、あまり気にしなくていいと思いますよ。
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それは・・


何か理由はあると思います。
貴方が何か悪いことをしていなくても
誰かが貴方を嫌うことは
十分あり得るのです。
そのAさんのことは
気にしないようにするしかないですよ・・
居心地が悪いというのは
わかりますけど・・
なるべくそばに寄らないことですね・・
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えー、と思うかもしれませんが濃いサングラスいいですよ。


どこ見てるかわからなくなるからAさんも気にならなくなります。
他のママ達には眩しいとくしゃみが止まらなくなるの〜と言っておきましょう。
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何が理由か分かりませんが、あなたの事が羨ましいのでしょうね。



参考:例えば、Aさんがチームの監督の事を好きなのに、監督はあなたの方が好きなので、ヤキモチを妬いているとか…
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