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天皇家はいつから、どういう理由と経緯で一夫一婦制になったのでしょうか? 女帝論とか、女系天皇論とか、養子宮家論とか議論する前に、御側室をおくというほうが古来からの伝統にかなっているはずですが、どうして議論にされないのでしょうか?

A 回答 (5件)

大正天皇のご生母ですが、柳原愛子という女性で、明治天皇没後は二位局と呼ばれて皇族に準ずる扱いを受けておりました。


明治天皇の皇后は昭憲皇太后(皇后ではなく皇太后とするには訳があるのですが、これは本題とは関係なし)で、この方が民間で言う「妻」となります。
つまり「妻」という座は我々一般人も天皇も1つしかありませんが、事実婚は法律でどうこうすることは出来ず、今上天皇や皇太子さまが愛人をもたれ、婚外子が出来ても、後は周囲の理解が得られるかどうかで、法律が介入することは出来ないと考えます。
総理大臣が同じ事をやっても、田中角栄氏が愛人の有無で辞任することはなく、宇野宗佑氏が辞任したのは、前者が愛人にも十分な愛情とお金を与えて、文句が出ず、周囲も問題にしなかったのに対して、宇野氏は愛人へのお手当てをケチって週刊誌などに書き立てられ、器が小さい男と国民の支持を失ったことで、「道義的責任」といえます。
因みに現在の皇室でも「桂宮さま」

http://www.kunaicho.go.jp/03/d03-10.html

は独身と紹介されますが、ある女性と事実婚されており、世間で言えば「同棲関係」といえます。
正式に結婚されないのにはやむ得ない事情があって、仕方ない面はあります。
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まず, 皇室典範を見ればわかりますが一夫一婦制には言及されていません. ということで一般論 (+α) で考えれば OK.



となると側室との関係をどうしたいかによるわけでして,
・正式な婚姻関係としないのであれば法的には全く問題なし
・正式な婚姻関係としようとすると刑法の重婚罪になるんだけど天皇は訴追されないので「問題はあるけど手の出しようがない」
となるでしょうか.

後者を法的にも問題ないようにするには特別法を作る (または皇室典範を改定する) ことが必要で, どちらも国会のお仕事.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご側室というのは、法的に問題ないということですから、政府が側室論を議論しないのは、国民が受け付けないだろうと確信しているからなんですね。

お礼日時:2005/05/13 00:54

そもそも一夫一妻制になったのは、明治を迎え、近代国家を作るためには西洋の習慣を取り入れなくてはならないと考え、一夫一婦制になりました。


天皇家も庶民の模範になるべきとして、昭和天皇が決断されましたが、実質的には大正天皇も側室を置きませんでした。
大正天皇の場合は、即位後はご病弱で体力的な問題があったことと、3人の息子が生まれ、後継ぎの心配が無かったことによります。
現在でも、例えば田中角栄氏は正妻との間に真紀子さんを設けた以外に、神楽坂の女性との間に2人の息子がいて、総理になったときもスキャンダルになりませんでしたし、西部の堤家、君島ブランドの君島家など、妻と愛人がいても騒動にならないから、きちんとしたことをやれば許されるという風土もなきにしも・・・です。
最近では市川海老蔵、市川染五郎なども隠し子がいます。
ただ、庶民の模範となる天皇が、となると難しいのではないでしょうか。
一夫多妻を実践してる面々を見ると「あの人ならやりかねない」といった類の方々で、異型の政治家であったり、強引な創業者であったり、であったり・・理想の家族とは言いがたい面々ではないですか。

この回答への補足

国民の心理的抵抗を別とすれば、側室をおくことは合法なのでしょうか? 法的には、民法にしばられない(と思う)ので、皇室典範で一夫一婦制を定めているのでしょうか? それとも昭和天皇が言い出したことを、新しい伝統として守るようにしているのでしょうか?

補足日時:2005/05/12 00:06
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天皇家のほとんどは側室の子供です。

明治帝、大正帝。それを昭和天皇が結婚に際して廃止しました。
日本では明治時代までは一夫多妻は構わなかったのです。大正10年頃に重婚が禁止されました。
日本の法律上、重婚を禁止しているので側室復活は不可能ではないでしょうか。また、旧公家たちも戦後処理の一件は根に持っています。側室は旧公家と皇室の信頼関係の上で成り立つものだと思いますので、その信頼関係を取り戻さない限り現皇室は存続できないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りですね。「ミカドの肖像」などを読むと戦後のドサクサで宮家の人たちが西武グループにしてやられた状況がよくわかります。ただ、それから二世代以上もたっているわけですから、旧宮家には皇室に復帰をもくろむのはやめて、自活していただきたいと個人的に思います。

お礼日時:2005/05/14 06:33

昭和天皇からだそうです。


それも昭和天皇自身の決断によるものだそうです。

参考URL:http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/0715_ …
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