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体育でマット運動とか、いろいろやりますが、意味があるんでしょうか、体力作りが目的なら他の方法があるのではないでしょうか?
私は、苦痛でした。でも、中学で体が動くようになったら
なんなく出来ましたが、小学校で出来ないと思い込まされた記憶は残りました。
娘には、意味の有る事をさせたいです。今、苦手なことを無理にさせても何もいいことはないと思います。

A 回答 (14件中1~10件)

こんにちは。



小学校教員をしています。

私は、体育の授業は必要だと思います。マット運動、とてもとても意味がありますよ。

自分自身はあまり得意な方じゃなかったし、ものぐさな方なので、冬場に着替えるのも、暑い夏に運動場に出るのも好きではありませんでしたが(^^;)

まず、出来るか出来ないか、これを知る事に、大切な意味があると思います。
体育が得意な子は、そのことをのばしていけばいいですね。苦手な子は、努力すべき目標となるわけです。
もし、苦手な子が体育をしなくなったら、鉄棒やマット運動を自宅でするわけも無く、逆さ感覚も身につかないし(これは小さいうちしか身につきません)、体を丸める事、指を開いて体を支える事、握力を鍛えること、そういう基本的な能力が全く伸びなくなってしまいますよ。
これは、日常生活に必要な事ばかりです。

意味のあること、とは、得意になれることばかりではありません。
苦手な事を知る事、苦手な事を補う努力をする事も、大切な意味のあることだと私は思います。

苦手な事を「無理に」させず、「私もそうだったのよ。でもママと一緒にやってみようか」といって一緒に頑張ってあげて欲しいです。
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娘さんを思う気持ちはよくわかります.



それぞれの学習には,習得するのによいタイミングというものがあります.単純な計算だと10才(4年生)くらいまでとか.

同様に体育の学習で登場する運動もそれに当てはまると思います.また,運動にはいくつかのタイプがあって,
克服型:できないことができるようになって楽しい
達成型:自分の記録や技のできばえを追求して楽しい
など(他にもありますが)のように,見ることもできます.学習の初期の段階では克服型で,学習の後半(より以降の学年)は達成型などのように,学習の構成も変ってきます.

今は克服型のようです.逆上がりができなくても人生では困りません.しかし逆上ががりができるようになるために努力をすることは重要です.できた喜びを味わうということは大切です.

体育の学習は,体力作りだけが目的ではありません.体を動かすことを通して,学習の仕方を学んでいるのです.将来大人になっても好きなスポーツがあり,余暇を利用して汗を流すことができるように.
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私も体育は苦手でした。


体育の時間が苦痛でした。
教師の指導方針も嫌でした。跳び箱の上で前転が首を痛めそうで怖いという心理なのに、居残りでマット前転をしつこいくらいさせられました。
成績のいい子と差をつけられるのが苦痛です。
水泳も「鼻に水が入って痛い」ということを理解されませんでした。「こわい」「鼻を水につけられる」の2つのレベルで分けられるのが苦痛でした。

しかし、子供のうちにしておいてよかったこともあったなというのが大人になって分かったこともあります。
はだしで走ると最初は痛いがなれると靴を履くより走りやすいこと、棒のぼりなど遊具ははだしの足を使って、足の裏、足の指をきちんと使うと昇りやすいことを今思います。はだしの感覚が大切だとつくづく思うのも小学校のはだし教育の体育のおかげだなと言う気持ちです。今でも北九州あたりの学校は体育・運動会は裸足です。

私の住む地方の学校は土俵が必ずあるのですが、授業に相撲があったら、いろんなことを覚えるのになぁ・・・なんて思います。運動場で裸になってまわしをつけるのも子供のうちはさせたいですし・・・
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あははー、僕も体育嫌いで苦手で。


水泳なんかはものすっごく嫌いで、プールサイドに立つだけで狂っちゃいそうになりそうです、今でも。

小学校の時は悲惨でしたー。だから、お気持ち、わかります。
けど、娘さんが体育を好きになる可能性も無きにしも非ずでしょ?
それに、体育が苦手でも好きな子はいましたし。
体育しか特技の無い子はほとんど地獄に仏、という喜び様でした。
意味がない、というのはkomuro1960さんの私的意見だし、それを娘さんに押し付けるのはどうかと。

でも、娘さんがどーしても体育が嫌だ、って時は『ある程度』守ってあげてもいいと思うんです。
全部じゃなくって。
小四くらいで、「プールがどうしても入れない」って必死になってたら、だったら「多めに見てやるよ、『プールだけ』は」みたいな行動はいいと思うんです。
そういう妥協ってのも、高学年になってきたら分かるようになります。

けど、「鉄棒できないから、イヤ」「縄跳びできないからイヤ」「あれもこれもイヤ」
それはタダの我がままだと思うんです。
皆嫌々でもやってることを自分だけ逃れようとするのはよくないですし。

中学に上がったり、心機一転したときは、無理矢理でもやらせる。自己責任ってヤツですよ。
だって、
>中学で体が動くようになったらなんなく出来ました
そういう大きな進歩に気づくチャンスだから。
僕も、中学に上がって体育に目覚めました(w
プールは全部休みましたけれど。
質問者さんと同じように、『小学校で出来ないと思い込まされた記憶は残りました。』
でも、少しだけ自信みたいなのが出てくるかもしれないんです。僕が単純だからかなァ?

マット運動とか、鉄棒とか、はっきりいってどうでもいいやん、みたいな体育もありますけど、それを乗り越えたらなにかイイコトあるかもしれないですよ?
僕球技好きでした。中学に行ってから気づいたんだけど。

体力作りだけは目的ではなく、団体行動もいっしょに含まれているんだそうです。
僕はとっても馬鹿げていると思うんですが、幼稚園ではおかしなことに『団体行動』とか『みんなで一緒に』ということを教えなくなっているんだそうです。
でも、これは社会集団に入っていく時にとっても大事な能力なんです。
本当はこんなの、小さいうちに自然とつくようになっているんですが、今の教育方針ではソレはイケナイコトらしいです(絶対変だと思うんだけどな)
だから、小学校でそういうことを習う。
とはいえ、中学校や高校の軍隊並の動きは嫌いですけど。

No.1の方に同調(w
確かに数学とか、専門的なコトはいらないと思うー。
必要な人だけ習えばいいんだよ。
でさ、社会人でも普通に高校生に成れるようにしたらいいんだ。そしたらいつでもやり直せるし、後からやっぱ理系にするーとかもアリだし。
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体育が苦手ということで「イジメ」にあったり、体に障害があって、他の人と一緒にできないというわけではないですよね。



以上の事は全く関係無いと仮定して。

国語、算数、理科、社会、音楽、図工、体育、道徳、他何があったかなんてどうせ覚えてないです。子供のテストなど全問正解できますか?アサガオが咲こうとも、ベートーベンを聴こうとも、どんなにきれいに写生しようとも、漢字の書き順を覚えようと、本当は大人には絶対必要ではないんです。アサガオもベートーベンも知らない、書き順を間違ったら恥をかくかもしれませんが。

芸術家にならない場合や大学の受験に関係ない場合の、音楽や図工も無駄ですか?一流の会社に勤めてる人は高学歴ですが、小学校の勉強が役に立ったという自覚はどれほどあるでしょうか?覚えてない存在は意味がないようで、本当は今に至る為の大切なものだと思います。

体力作りを他でやるのはどこですか?流行の体操の家庭教師ですか。フィットネスクラブで大人に混じって、エアロビとかサーキットトレーニングですか。ご家族の方が教えるのですか。

苦手で困る事があるとき、ご自分の体験を活かして、理解して励ますのがそれほど嫌ですか。その時は大変でも人の痛みを感じることのできる人になる勉強です。友達と同じ思い出を作れるなんて、良いことじゃないですか。
のど元過ぎれば…結局中学でクリアしたのでしょう?

自分は走るのが遅く、ドッジボールは下手で、逆上がりもできなくて、二重跳びもあまりできなくて、ほとんど泳げなくて…でも体育を休もうとは思わず、できるまで練習して、少しずつ出来るようになると、すごく嬉しかった。体を動かすこと自体は嫌いじゃないです。みんなでわいわいやったのがよかったのです。

意味があるかどうか、その時点でわかるはずはないです。他に英才教育をするにしても、ひととおり学ぶべきです。
できる教科以外は切り捨てるような考えはいけないと思います。
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それって、どうせ学校で習ったって喋れるようにならないんだから、


学校で英語なんてやらなくたって良いのに…って言うのと同じですよね。

私も小学校の体育大っ嫌いでした。
ドッジボールなど、男女混合でボールぶつけるなんて
男の子のボールの方が痛いに決まってんじゃん!
何でこんなことやるの?!と思います。
でも、必要ないとは思いませんが。(男女ぐらい分けてくれれば良いのよね)

マット運動なんて受身の基本ですよねぇ?
例えば夫婦喧嘩がエキサイトして投げ飛ばされるようなことがあれば、
受身が出来ていないと頚椎捻挫なんて事も?!

昔、高校の体育の先生に、「平泳ぎ体型だねぇー」と言われたことがありますが、
つまり、肩や腕の筋肉がついてって蟹股って事!?
水泳は習っていたので得意でしたが、
それ以外で使う筋肉は弱いので、鉄棒や跳び箱は苦手でした。
オールマイティーに使わないと、偏った筋肉になっちゃいます。
そうすると、その弱い筋肉の所は脂肪がつきやすくなって太るし、
怪我もし易いのでは?

だからやっぱり意味が有るとかないとかじゃなくて、
色々やった方がいいんじゃないかなぁと、思ったりします。
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必要です。


苦手意識を持たせて仕舞う指導が問題です。

中学で体が動くようになったのは、小学生の時の積み重ねが生きていると思いますよ。
苦手な事は、少しでも伸ばす。得意事は、より伸ばし、高校以上の専門的な勉強につなげて行けばいのです。

スイミングスクールに通っていないお子さんが、公営のプールに親御さんと練習に来ているのを何人も見ました。自宅の庭に、鉄棒を作って練習させた家庭も知っています。逃げるのではなく、挑戦させてみてはどうでしょう。
他の科目と違い、出来た事が自分で実感で来ますので、お子さんには自信に繋がりますよ。
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>今、苦手なことを無理にさせても何もいいことはないと思います。

そうですね。
歯磨きが出来ない。
お箸が上手くつかえない。
朝顔を洗えない。
手を洗えない。
靴の紐が結べない。
お風呂で頭を洗えない。
ボタンがきちんとかけられない。
自転車に乗れない。
プールの中に入れない。
学校で大便が出来ない。
此れどうしましょう?
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小中学校の授業は「基礎を身につける」のが目的であり、特定の専門家を生み出すことでは有りません。



実生活に何の役にもたたない図画なども、絵を描く基礎が学べます。
外国では一部の人以外、絵を描く技術がありません。
デッサンも透視画法も知らないからです。
しかし日本では基礎的な技術を教えているため、誰でもある程度の絵が描けるのです。
「デッサン」という言葉を知っているだけでも、絵に対する文化レベルが1つ上にあるのです。
上手いか下手かは問題ではなく、知っている、やれると言うことが重要なのです。

音楽も体操も同じようなものです。

国民全部が持っている基礎技術とは、すなわち国全体のレベルでもあるのです。
小中学校は遊び場ではありません。スペシャリスト養成所でもありません。
国民のレベルを上げる場所であると言うことを覚えといてください。
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回答とは言いがたいかもしれませんが、考え方の一つとして読んでいただければ幸いです。


体育が苦手な人は、体育には何の意味があるのかと考えがちでしょうし、図工が苦手な人は、図工には何の意味があるのかと考えるのではないかと思います。
苦手なことを無理にしないで済ますというのもいいですが、苦手なことからも何かを学ぼうという姿勢を持つというのも、一つの考え方ではないかと思います。
それを機に、自分の才能に目覚める子供もいるのですから、いろいろな可能性を見出すという点に置いても、様々なことにチャレンジする機会を与えるのは悪いことではないように思います。自分にはあまり向いていないと自覚する経験をすることも、時には必要なことではないかと思います。
人生全体に悪影響を与えるほどお子さんに向いていないのであれば、何かよい方法を考えてあげるべきかと思いますが、ご自分の体験を聞かせてあげるだけでも、お子さんは勇気付けられると思います。
体育というのは、嫌な思い出なのかもしれませんが、ご自分の体験を前向きに活用されてはいかがでしょうか。
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