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タイトルが漠然としていますが、そこまで深く掘り下げた見解を求める質問ではないことを始めに述べておきます。

自分は人間の精神構造を計算機に例えたモデル化で考えてきたのですが、考えるほどにズレが出てきた様に思っております。
で、質問なのですが、現段階で最も精神、理性と本能を良く説明できるモデルと思えるものを教えていただきたいと思い、投稿した次第です。
全部混ぜたモデルは無理じゃない?と思われる方は、理性と本能の関係において、より優位なのはいずれかという事についてだけのモデルでもかまいません。

A 回答 (6件)

はじめまして。


私、どうやらこういう話題が好きで。

人工知能の研究者とかなら、正確な知識を持って答えられるのでしょうが…素人なので。

人間の精神構造を考える際に、必然的に考えなくてはならないことは、物理的環境的な条件です。山田詠美さんの「ぼくは勉強ができない」という本を読まれましたか?
その中の「あなたの高尚な悩み」という章にもあったのですが…人間は進化の過程で精神構造を発達させましたが、結局のところ、肉体あっての精神だということを忘れがちではないかと思うのです。

また、原理的に言えば、知的活動の全ては、入力→処理→出力といった過程に集約されます。いわゆる精神というのは、処理に関わる部分における、処理の様式とか認知の特徴などを指しているのではないかと思います。この辺りは、養老孟司の著作を参考にしています(「唯脳論」などは読まれましたか?素人にとっては名著です)。


精神構造を計算機に例えるというのは、論理的な処理を大事にしたモデルを考えた結果だと思います。

私も論理性は非常に大切に考えています。そして、いわゆる理性とか本能とかというのは、扱う情報の性質が異なるだけで基本的には同じものだと思っています。どちらが優位ということはないでしょう。

ただ、本能は肉体面の影響を強く受ける処理系で、理性は抽象概念的な事柄の処理系という風に役割分担をしている(以下、本能系と理性系と呼びます)。すると、次のように考えられます。一般的にある程度の成人は普段、理性系で過ごしているが、空腹・体調不良・寝不足・性欲…といった肉体からの欲求が強くなると、本能系が理性系よりも影響力を帯びてくる。ちょうど、計算機において、あるジョブの優先度が高くなるように。
本能系をすぐに解決するか、制約を受けながらも理性系を動かし続けるか(処理効率は低下しますが)といった判断が求められる。
小さな子であれば、理性系が未発達で本能系が優位に立ちやすく、出力の手段も少ないため、とにかく泣いて何かを訴える。
ADHDのお子さんが、落ち着きがない、といわれるのは入力→処理のラインが細くて、他の事にすぐ気を取られてしまうから(周囲のことが気になって目の前の課題に集中しきれない)だと考えられます。
広汎性発達障害のお子さんは、感覚異常を訴える(小さな音もうるさく感じる、触られると激痛が走る)ことがありますが、それは入力においてなんらかの異常が生じていると考えられます。

以上、少し暴論ですが、ある程度は説明がつくのかな、と。もし考えていらっしゃる事例があれば、教えていただければ一緒に考えていくこともできるのですが…。


長文、失礼しました。
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この回答へのお礼

なるほど、優先度を考慮に入れるのは気づいてませんでした。
殆ど自分だけで考えていたので、読んでたのは養老孟司くらいですね。山田詠美の著作の方も探してみる事にします。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/02 19:12

追加です。


「脳の世界」より
下の三つの症例は興味深く且つ、たいへん分かりやすいです。

http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/41/inde …
(前頭連合野損傷の症例)

http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/42/inde …
(料理は前頭葉を使う知的な活動)

http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/46/inde …
(超記憶者の話)

参考URL:http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/Mindex- …
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前回ズレた投稿を致した者です。

今回もズレてしまうかも知れません。しかも投稿直前、一度消滅してしまい書き直しのため最初よりも雑になっていると思います。御許しください。
前回「野鳥の子育て」を引き合いに出しましたが、もう一つ連想していたのが「死んだ子猿を背負い続ける母猿」です。これはテレビで放映されていたのを見たものですが何故にヒトに最も近い知能(知性)を持つという猿が死んだ子どもに執着し続けるという野鳥にも劣るかのような反合理的無駄行為をするか。
こうしたことはヒトに置き換えてみると、よりいっそう思い当たることが、いろいろと考えられるでしょうが、どうやら知能(知性)が高度に発達するに伴って情動においても複雑高度な面がみられる。
とすれば今度は頭脳優秀なヒトに時として非常にクールな、感情の揺らぎが低いタイプがみられるのは何故かという疑問が起きてきます、また知能(知性)面で問題を抱えている人が情動面で豊かさに乏しいかというと、それも引っかかる。従って、これひとつとってもANo.3様も仰るとおり「優位性」に関しては個体差を考慮せねばなりません。

さて御質問者様のスタンスが、いまひとつハッキリ致しませんので理性(知性)と本能とを対立項として捉えることが許されると考えますならば、これはむしろ哲学のカテゴリにふさわしいでしょうが、よく考えてみますと、ここは心理学のカテゴリであり、また御質問者様御自身「そこまで深く掘り下げた見解を求める質問ではない」と仰っておられるのですから、やはり心理学における著作のご紹介等をするべきですが残念ながら私は、その任にふさわしくございませんので適者が訪うてくださるのを待ちながら、ひとつ申し上げたいのは仰るところの「精神構造モデル」に関してです。

一般に理性(知性)と本能並びに情動は対立的にイメージされることが多いかと思いますがオモシロいことに、大まかに言って、これらは大脳皮質なる灰白質層のなかで仲良く??同居している。即ち前回申し上げたように切っても切れない関係なのである。従って「全部混ざったモデル」?を求められますなら、これはもう「脳」こそが一番おススメするべきものであろうと考えます。
つまり大脳生理学的アプローチを第一とし、加えて個々人のケースを考察することによって「理性と本能の関係」に探りを入れることが可能なのではないかと。「優位性」については、その後に来るものだと思います。この段階になりますと単に個体差の観察に留まらず、より広範囲な考察を行おうとしますれば、やはり哲学レベルに入ってくるであろうと思われます。

とまれ御参考の一端にしていただけるかと考えまして京都大学霊長類研究所HPのURLを貼らせていただきますので宜しければ御高覧くださいませ。

[スミマセンちょっとスペースをお借りします。>尊敬する@@;;???もおヤダaderaideさんってば!!顔から火が出るじゃないですかー!!激汗]

重ねて失礼致しました;;

参考URL:http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/bunshi/kikan/Physio …
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この回答へのお礼

むむ…動物に関する事例は個人的にとても興味の惹かれる事でした。ただ考えるのではなくて、地道に情報を集めるのも必要なようです。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/02 19:21

こんばんは!


>そこまで深く掘り下げた見解を求める質問ではないことを始めに述べておきます。

という事なので、投稿をさせて頂きます。
人間って、生まれてからしばらくの間は、おむつをしていますよね?あれは、まだ理性が芽生えておらず、本能だけで生きているからです。で、肉体の成長と共に理性も少しずつ芽生えてきて、親に排泄の意思を伝えられるようになり、やがて自分でトイレへ行けるようになる。でも、人間以外の動物は、理性が無いので、基本的には人間の赤ちゃんと同じです。比較的知能の高いゴリラやオラウータンやチンバンジー、イルカにしても同様なので、知能と理性は別回路であると捉えられます。このように、排泄の問題に関しては、理性の方が優位と思えます。一方、わたしも含め世界中で多くの人間が、日常、理性と本能の狭間で身もだえしているのが、ダイエットの問題です。食べたい、でも痩せたい。これは、どちらが優位かは、個人差が大きく、まさに一目瞭然です。太っている人は理性<本能な訳で、スタイルの良い人は、その逆です。
同じ人でも、ある日、痩せた異性がおコノミの人を好きになってしまったからダイエット道一直線となり、失恋したのでやけ食いに走るという波もありえるかと思います。これは本能のうちの食欲の例え話ですが、性欲でも同様だと思います。
でも、人間の排泄の話に戻りますが、乳幼児時代以外で、認知症や植物状態が原因で、おむつのお世話になる方々がいらっしゃいますが、では、彼らに理性はないのかと問われれば、決してそうではないと思います。理性は残っていると思えます。
このように、理性と本能の関係は、人の個性と同様に多様で、計り知れない面もあり、まして優位性などは、モデルによって異なる為、語り尽くせないように感じます。

尊敬する回答者sirayukihimeさん↓と同様に、わたしも激しくズレている回答のような一抹の不安。

仕事で疲れるなどして、人生に行き詰った時によく思うのが、「ああ、本能のままに生きたいよぉ~~~」の回答者でした。
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この回答へのお礼

うーん…やっぱり個体差によるんですかね。
欲に関しては、正にせめぎ合いですね。寝たいとか(笑
ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/02 19:26

初めまして。


難しいですよね・・・。
モデルと言っていいのか、ふっと浮かんだのは野鳥なんかの野生生物の子育てです。
何羽かいるなかで一番元気イッパイで食欲旺盛な、親鳥のクチバシに、がっついてくるような子どもから食べさせておいて、御飯をもらい損ねて弱々しい子どもは次回もあぶれて、ますます弱り、ついには親鳥につつき殺されたりとか。
親から、はぐれると集団全体から攻撃されて、なぶり殺しにされるとか。
本能でやってるんだろうと思いますけど種の保存や持続また自然淘汰上からは理に適っている、合理的ということなんでしょうか。
言ってみれば自然界における本来理性というものは本能性と対立するものではなくて、むしろ組み込まれていたものなのかも知れないと思います。人間が思う「理性」とやらは大自然に言わせれば「違う!」のかも。ですから「理性」と「本能」は本来的には対立項ではなく切っても切れない不可分な関係なのかも分かりません。
対立した概念で捉えようとするのは人間の欲求混じりの勝手な想像に過ぎないのかもと思います。個人的には認めたくない気分がありますけどもね。
それとも、いわゆる弱者、少数派というグループを「理性」によって保存するようなことが大きな視野で見て必要であるからこそ『進化した』「本能」によって命じられていることなのでしょうか。原初的レベルにおいて合理的な方法でガンガンいったほうが話が早いように思えますけど。
人間の・「理性」が大自然の望む「理性」とは、あべこべの方向を走っているのだとしたら妙なことになってきそうですね・・・。もうなってるかな?
「自然」に聞いてみたいですね「あなたが命じる理性と我々の望む理性は一致しているのでしょうか?」否、と言われたら、どちらを選びましょうか。
野生の合理性が人間には本能剥き出しに見えても、それこそが理性というべきなのかも知れないし人間の呼ぶところの理性こそが自然にとっては感情剥き出しと言いたいかも知れない。
悪い頭がモウロウとしてるもんで、もしかして激しくズレまくったことを述べているかも分かりません。御容赦くださいね。
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波多野完治著「子どもの認識と感情」が理性と本能の関係を簡潔に述べています。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。早速探してみる事にします。

お礼日時:2005/06/02 19:17

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