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第二次世界大戦で国民は得る物があったのですか?
戦争によって領土を拡大することによって様々な物資が日本に供給されていたことと想像されますが、
それによって日本経済は潤ったのでしょうか?それとも物資はほとんど軍隊の維持用に回され国民に物資が供給されることはほとんどなかったと考えていいですか?
たしかに戦時体制下では国民は苦しい生活を強いられていたように思いますが、それより前の話としてお願いします。うわさ、推測抜きでお願いします。

A 回答 (6件)

>たしかに戦時体制下では国民は苦しい生活を強いられていたように思いますが、それより前の話としてお願いします。


ということですので、二次大戦前の占領地についてコメントします。
収支ということならマイナスのはずです。
朝鮮、満州など、自国の勢力下に置いてから、道路・鉄道などのインフラ整備に金がかかり、さりとて元から有益な産業があったわけでもなく、税金など持ち出しの一方です。
そのあたりのことについて数値込みでかかれている本が何冊か出ています。
(昔読んだのでタイトルが思い出せませんが・・)
台湾、トラックなどの委任統治領についてはちょっと判りません。

満州で油田が発見されていたら違ったと思いますけどね。

この回答への補足

ありがとうございます。
質問文がした足らずであったので、補足させていただきます。
そもそも、政治腐敗→軍部の台頭を許す
という変化があったと聞きますので、
その軍部は国民を幸せにできたのだろうかと私は思って質問しました。
ということで、大局的にみて、軍部は国民を幸せにできたのかということでよろしくおねがいします。

補足日時:2001/09/27 18:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いわば赤字経営ということでしょうか?
そうなると命を犠牲にした人々にとってはやりきれない感があったのではないのかなとおもいました。

お礼日時:2001/09/29 14:35

台湾、朝鮮の日本帰属や満州建国は第二次大戦前のこととして12月8日以後について言えば酷かったですね!



歴史書に関係なく自分の感想で言えば、昭和17年4月に東京爆撃されたときには、学校の先生ら大人たちは自分を納得させ

言い聞かせるように「大した事はない」を繰り返し、国民学校(小学校)の生徒だった我々は「神国日本」は「深刻日本」だとも

知らされず、出生兵士を送っていました。 (後の東海大創立者の松前氏が登場の逆鱗に触れ、二等兵で徴兵された頃です。)

その頃、今のインドネシア、マレー半島、ビルマと南洋方面で作戦を展開していた日本軍の戦果のお陰で・・・という名目で

小学生にズックの運動靴と、ゴムのまりが段ボールに入って教室に運び込まれました。

ところが何と数量はクラスの人数の半分もないんです??

・・・いま次々と英国、オランダを追い出し、ゴムまりなんて百年遊んでも減らないような事を先生が真顔で云う時代でした。

結局、靴とまりはどちらか好きな方を抽選で分けたのですが、両方併せても人数分は無いし、靴なんかサイズも少ないので

何かものすごく寂しい思いをしたことがあります。。。

今の公約なんかまだ良い方で、当時は何もない戦果まで「勝った勝った」と騒ぎ立てる世の中で、そのとおり信じていたのです。。。

その頃のトラウマでしょうか・・・?いまだに、役人と政治家は信用出来ないという考えで凝り固まってしまったのは・・・?

読んでいて楽しくないし、気持ちよくないですね、、、どうも失礼しました!
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この回答へのお礼

本音でありがとうございます。
私は学校で戦争について習いましたが、
子どもだからということで少し歪められて教えられたんじゃないかと思ってました。
御意見を伺い、今の自分の戦争に対する悲惨なイメージもそう間違っていないと感じました。

お礼日時:2001/09/29 14:40

質問の内容が少々マトハズレの気もします。

「第二次世界大戦で国民は得る物があったのですか? 」と云うことは事後結果の内容であり、「・・・それより前の話としてお願いします。」と云うことは事前ですから。
そこで私の記憶をお話しします。私は昭和12年11月生まれです。ですから当時のことは覚えていませんが同年12月には南京を完全に占領しています。これを祝い全国で提灯行列があったそうです。ですから、人々の生活も豊かであったし、平和だったと思われます。目的が達成しているので喜ばないわけがありません。その後、国連で日本のすることが問題となり国連脱会、そして、第二次世界大戦となるわけですが、昭和20年の空襲のB29の轟音は今でも覚えています。子供の頃の心の傷とてもいいましようか、その恐怖は私の死ぬまで忘れないでしよう。住むところもなく食べるものもなく、思い出したくありません。その後、東京オリンピックの頃から日本の復興は目覚ましく世界でも注目の国と考えます。
私は、先の戦争がなかったなら現在の日本はないといっても過言でないと思っています。あれだけ傷みつけられたから、這い上がるチカラが湧くのであって平凡な生活では、あのチカラは出ません。東京の副都心のビル郡を見てください。あれは私たち同世代の者の結晶なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
出来れば第二次世界大戦前のことを聞きたかったのですが、ご意見参考にします。

お礼日時:2001/09/29 14:43

>御意見を伺い、今の自分の戦争に対する悲惨なイメージもそう間違っていないと感じました。



#2で書いたEivisですが、その当時は廻り中みな同じで、物がないことなんかあまり悲惨だなんて思っていなかったんです。

とにかくS12?年頃日比谷の交差点の辺りで、親父の背中の上で「南京陥落]の提灯行列を見に行ったりしたんですから。。。

その次に少し侘しいかなと思うのが、S15年頃から三越のお子様ランチに[麦ご飯]が使われ始めた事です。
    (http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=137754・・・参照)

恐怖と悲惨が襲ってきたのは昭和19年頃からで、歴史に残るS20年3月10日の大空襲は、私の住んでいた三鷹から見ると

東の空が赤々としてものすごい恐怖感に襲われました。

私の住いの1.5km北側はB29の飛来コースで、飛行機はよく見えても、[中島飛行機製作所]の上にしか爆弾が落とさないので、

さほど怖くなく、民家を焼き払う意図としか思えない[焼夷弾]のほうが怖かったのです。

この10万人の被害者については、いえば言うほど思想的背景がありそうに見られるというのは犠牲者が可哀想ですね・・・。

そういえば、あの地域出身の体験者な筈の青島幸雄とか大橋巨泉さんなんかも忘れたがっているんでしょうか、不思議です?

S20年には極秘裏に停戦または終戦に向う裏工作もあったと聞きますが、陸軍を通信とした軍部は反対したとされています。

あの年の8月15日は全国的に良い天気だった事は書かれていますが、いつまでも暑くて10月半ばでも泳いだのを覚えています。
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この回答へのお礼

再度のお返事ありがとうございます。
私は戦争を体験していない世代なのですが、
ご意見とても参考になります。

お礼日時:2001/09/30 13:06

質問の内容を読んでみると、戦争は必要だったか必要でなかったかと言う内容のように感じられます。


戦争は偶然に起きたのではなく、起こるべきして起こった考えてきます。もしあそこで戦争をしなかったら、戦争と同じくらい大きな苦悩があったと思います。その苦悩の回避を戦争といる博打にかけてしまったのだと思います。

すなわち世界は戦争をしなければどうすることもできないでいたのです。

一般に戦争は、生活ができなくなって相手のものを奪うことでした。日本国内の戦争は多くは権力闘争でした。

第一次大戦や第二次大戦は、皮肉にも豊かであったための戦争です。

商品が溢れ、失業者が急増している現代とよく似ていました。すなわち、世界恐慌からの脱出として、戦争が行われたのです。

商品が消費されないので、消費する。→軍需物資
失業者を隔離する(仕事を与える)→軍隊

すなわち、商品を消費し経済を好転するために以上の2つのことを推し進めました。資本主義経済のどの国も行ったのです。戦争の準備をすることが景気回復策として行われました。そうして、軍需物資や、軍隊が増えつづけ、本当に戦争をしないと消費できなくなったのです。きっかけは何でもよかったのです。破裂しそうな風船が破裂し戦争となり、戦後それなりの景気を取り戻すことができました。
不景気と言うのは、人間が必要でなくなること。景気がよいと言うことは、人間が必要で、社会的に価値を与えられることと考えてください。

これはまさに、商品を作りすぎた人間が、余り余った豊かさを、オリンピックにお金を使い、みんなで喜び悲しんだ世界史の悲喜劇です。

日本やドイツが戦後復興が早かったのも、古いシステムを破壊してくれたために、より効率的な都市の再生ができたからと言う面もあります。古いパソコンが一杯になってどうすることもできなかったのを壊し、新しいパソコンを入れたために、効率を上げたようなものです。戦争が終わったのは、いらない商品を使いはたし、いらない人間が死んだからです。

戦後、戦争の反省で、軍需や軍隊にお金をかける代わりに、国民に商品をまわすことが行われてきました。そのため、国民も資本主義経済の恩恵が得られるようになり、物質的に豊かになり、余暇も与えられるようになりました。しかし、この対応にも限界が来て、国民はこれ以上の消費をする必要もなくなり、不景気がはびこるようになってきました。

今、私達が、本当に価値ある人間として生きられる社会をつくらない限り、人間の狂気が戦争の原因となる可能性が出てきています。

戦争をしなければ、人々の生きる価値を奪われ、仲間同士の憎しみ合いが増したり、いじめ、差別が蔓延してきて、社会的秩序は保たれなかったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
戦争が景気対策であるというご意見はとても新鮮です。
ただ日本の場合、景気がいいときもわるい時を常に領土拡大を図ってきたのではないかとも思われます。
名目は、植民地化を避けるためとか、欧米支配からアジアを解放すると主張しながら。
領土拡大期を考えるとか朝鮮統治当たりからずっとということになりますからね。

お礼日時:2001/09/30 13:15

戦争の原因は多様であったし、領土拡大も多様な原因があります。



しかし、現代の戦争、領土拡大もとても簡単な原因が多いのです。

近代から現代にかけての領土拡大の原因は、植民地にすることでした。

植民地とは、誤解を生じる言葉ですが、近代の植民地は資本主義の経済的な原因で発生してきました。

商品を作るための原材料を生産させる。これだけであれば、その国のすべてを破壊することはないのですが、安い商品を売り込むための国だったのです。安い商品を売り込まれた国は、その国の産業そのものが破壊され、本国の言いなりにならなければ、生きる糧を奪われる存在となったのです。

日本も鎖国をしている間は、領土拡大をする必要はありませんでした。

しかし、明治になり、多量の商品を作ることができ、その消費国を求める必要から、領土拡大が行われました。領土を拡大すれば、自国の商品を売る権限を得ることができるのです。他の資本主義の製品と競争する必要がないのです。

このような領土拡大策が世界的に行われ、最終的には、世界が分割され、ブロック経済を行うようになりました。各資本主義国が、自国の領土を守り、他国からの商品を入れないようにする政策です。

しかし、前回書いたように、このままの状況では、不景気の回復にはならないために、一番弱い、ドイツや日本が、戦争の引き金を引かなければならなくなったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
持てる国と持たざる国と言う主張とともにドイツと日本がファシズムを展開したということですね。
世界史は既習ですので理解できます。

お礼日時:2001/10/01 14:03

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