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もし起こらなかったらどうなっていたでしょう?

A 回答 (4件)

四国遠征軍は堺で待機中でしたし、中国遠征は後一歩ですから、1~2年後には西日本は織田の勢力下に入ります。


石山本願寺を退去させた跡地に大阪城を作ってここを本拠とし、関東の北条氏を滅ぼし、そこに徳川家康を移して、豊臣政権のような形になると思います。
ただ織田氏は本姓は平家ですから、清盛のように外交センスに長けており、堺を中心に南蛮貿易を行い、東南アジアに積極的に日本人町を建設、自由闊達な文化になったと思います。
またこの時期、中国の明が衰え、南蛮諸国がアジア貿易から撤退し始めますから、この虚をついて華僑に代わる倭僑が活躍するかも知れません。
国内的にも徳川氏は農業型大名ですが、織田氏は商業型大名なので、商人を保護する政治体制となり、街道が整備され物流が増え、ヨーロッパ文化も混じって面白い世の中になったのではないでしょうか。
ただ天皇がどうなるか、信長自身が幕府を開いたり関白になる気があったのかなどは、今一不明で、或いは多くに方が懸念したように、自らが天皇に成り代わろうと意図したのかも知れません。
いずれにせよ、平清盛や足利義満のような経済的なセンスと合理性をもった人物ですし、後継者の信忠も優秀な人物ですから、本能寺が無ければ織田政権が成立したことは間違いないと考えます。

* 信忠が一緒に死ななければ、例え信長が死んでも流れは変わらなかったと思います。
あの時点で、織田家の当主は信忠ですし、能力的にも飛び抜けてはいないまでもまずまず優秀、筋目も嫡男で武田家への遠征で実績もあり、信長の後継ぎとして誰もが納得しますから、とりあえず堺に逃げて四国遠征軍を掌握し、反転すれば歴史は変わっていたと、残念です。
後に大阪落城でも逃げ延びた、織田有楽斎(信長の弟)がここでも二条城からまんまと逃げ延びたのに・・・。
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有り難うございました

お礼日時:2005/06/04 10:09

 あくまでも自分の予想ですが、織田信長が天下統一を果たした後、朝鮮半島や中国大陸などの侵略を開始するが結果的には失敗に終わってしまう。


 織田信長や信忠が生きている時は、日本は安定しているが3代目あたりから有力な家臣同士の権力争いが起きてしまい織田政権の権威や力が大きく落ちてしまう。そのため日本は戦国時代に逆戻りしまい、再び群雄割拠の状態になってしまう。おまけに、このときの日本は、世界で金が多く取れる国だったので間違いなくヨーロッパ諸国などが日本に勢力を伸ばそうと考えると思う。また、16世紀ごろに成立した清王朝が間違いなく日本を支配化に置こうと考え日本に攻め込むと思う。
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有り難うございました

お礼日時:2005/06/04 10:08

No.2の方が述べられているように、海外貿易を経済基盤に置いた政権が樹立されるでしょうから、貨幣経済の一般化が百年以上は早く達成されたのではないでしょうか。


その過程で、当然大規模資本が成立していくと思われるので、ヨーロッパ並みか、或はそれ以上のペースで産業革命が進行したかも知れません。
そうなると、十九世紀末から二十世紀前半にかけての日本は史実のような貧乏国ではなかったでしょう。無理な対外戦争もせずに済んだかも知れませんね。
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有り難うございました

お礼日時:2005/06/04 10:09

少なくとも秀吉は天下人にはなっていなかったと思います。

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この回答へのお礼

有り難うございました

お礼日時:2005/06/04 10:09

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