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只今、日本統治下のインドネシアについて調べており、疑問点が二つ程発生しておりますので、皆様の御知恵を貸して頂きたく、投稿致しました。

まず第一点で、日本は、インドネシアが広大だった為に、三つに分けて軍政を敷いて統治しました。その内で、ジャワとスマトラが陸軍で、ボルネオ等が海軍担当なのですが、何故このように統治する組織を陸軍と海軍に分けたのでしょうか?
どちらかが、一括で統治しなかったのは何故でしょうか??

第二点目で、日本軍は1943年6月のインドネシアに「政治参与の措置をとる」という、東條首相の発言を元に、軍政の最高諮問会議として「中央参議院」を作り、軍政に答申を反映したようですが、具体的にはどのような内容の答申をしていたのでしょうか??

解決できずに困っておりますので、どうか宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

当時のボルネオ島は海軍が何より欲しかった石油資源、精製工場、があり艦隊の泊地として良好な港がありました。


後のフイリッピン沖海戦にも連合艦隊はここから出撃しています。
従って海軍としてはボルネオ島を指揮下に置きたかったという事情がありました。
占領地の統治は本来陸軍の担当でしたが、例外的に海軍に任せたのです。

三島は領土も広大でそれぞれ担当陸軍としても駐留師団は別で一括統治は出来ませんでした。
ジャワ島司令官は温情主義で統治に成功した方ですがスマトラ島では統治に失敗しています。

ジャワ島の統治がうまく行っていたのでさらに現地民の声を政治にくみ上げようとして「中央参議院」制度を施行したのです。
どのような活動があったかは知りませんがジャワ島は日本の占領地で唯一の成功例でした。
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この回答へのお礼

御返答下さいました、御二方大変有難う御座いました。とても分かりやすく、且つ具体的に御教示頂きまして、率直に言って嬉しかったです。
また、機会がありましたら、宜しく御教示の程お願い致します。

お礼日時:2005/06/25 19:28

ボルネオ島にはブルネイ・タウイタウイ・バンジェルマシン・リンガ泊地など海軍の補給及び停泊地がありました。


明治31年に海軍軍令部は参謀本部から切り離されて以降は、海軍根拠地地域の警備は海軍陸戦隊が行っています。(日露戦争時も、旅順は海軍管轄とされ、陸軍の作戦計画に旅順攻撃を加えることを海軍は反対し、攻撃計画から外されたという事があります)
それに対してスマトラ・ジャワは陸軍の作戦管轄でした。よって軍政は陸軍が行います。日本陸海軍の仲の悪さが一括統治を阻みました。

昭和18年、総力戦の研究が行われまして、陸海軍合同作戦を行うという大きな変革がありました。
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