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最近、様々なところが謝罪会見をしているのをテレビで見かけますが
みなさん、謝罪文が原稿を棒読みみたいな感じで、ずーっと下を向いて
話していたりしますよね。
私は謝るなら原稿なんか読まずに自分の言葉で謝ればいいのに・・・
といつも思ってしまいます。
原稿は誰が書いたものかわからないし、ただそれを棒読みという感じがして
とても反省しているようには見えなかったりします。
あと、「遺憾」という言葉も昔は誰も言ってなかったのに
最近はすぐ「遺憾です」とコメントすればいい、みたいな感じがして
謝罪会見や謝罪コメントなど見ていて、なんだかすっきりしません。
なぜ自分の言葉で謝罪コメントしないのか・・・。
何か自分の言葉で話したらあとあと問題とかあるのでしょうか?

A 回答 (9件)

私もかねがね不思議に思っていました。


天皇にしろ、卒業式にしろ、みんな原稿読んでいます。

アメリカ大統領は演説では原稿を読まないです。
文化の違いなのでしょうか。
日本は正式なときは必ず、誰かが作った原稿を読み上げ、意思表明とします。

小泉さんは逆に原稿を読まない方が多いです。
人の目を見て話をしますね。

義務教育の現場から変えない限り、この習慣は変わらないと思います。

逆にいうと、誰かが作った考えを代弁しているのではないかとも思え、その人の実力ではないとも思えます。

政治家がよく失言するのは、原稿を読まずとっさに答えたとき。
そしてそれが問題になり辞めさせられている。

ということから、日本の文化はそういった一時的な感情を公の場で言うことを控えたがる民族なのではないかと思います。

国連とかでも原稿読み上げたら、発言権も与えられ無さそう。
自分の意見を持たない読み上げロボットが日本から送られるわけで、人間の会議の場で、ロボットの参加は意味なし って捕らえられそうですよね。
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 謝罪会見というのは、被害者に対するものだけではないですよね。

被害者の前であったとしても大抵はマスコミがいる前での会見です。また被害者にしても被害の程度に幅がありますよね。被害に差があるというのは、例えば先の福知山線の事故を例に取ると、遺族やマンション住人のように直接的被害を受けた人もいれば、運休により商談に間に合わず契約がまとまらなかったと被害を訴える人もいるでしょう。その点に注目すべきだと思います。
 言葉は、人により受け取り方が違います。同じことでも人により180度反対の受け取り方をする人がいます。また、被害の程度に差がある人々全てに受け入れられる必要があります。また世の中には、ゆすりたかりを生業にしている人もがいます。謝罪に言葉が足らなかったり、余計なことを言えば、根拠の無い要求が出たり、遺族に不快な思いをさせ、無用な争いとなりかねません。
 また被害者側にとっても、正当な被害者ではないものを排除し、正当に賠償を受けるためにも加害側の正しい謝罪の文言が求められます。
 ですから謝罪会見の文言については、検討に検討を重ね、その文言を過不足なく話すことが必要ですが、その文言を原稿なしで自分の言葉で言える人は、神様みたいな能力がいると思います。
 一方、謝罪すべき相手が分かっていて、自己の責任のおおよそが分かっておれば自分の言葉で謝罪はできます。事実、JR西日本の社長だって遺族の家への戸別訪問での謝罪は、原稿を読んだりはしていないでしょ。
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やはり、企業としての「公式発言」と受け取られますから、言うべき事に過不足がないようにしなければなりません。


ケースに応じて何を言うべきか、事前にひな形を用意してある場合もあります。そういう企業はリスクマネジメントが出来ている企業です。
「実害はありませんでした」とか「私だって寝てないんだ」とか、余計なことを言って問題を収束どころか拡大してしまった企業トップはたくさんいますね。それは企業はもちろん被害を受けられた人にとっても不幸です。それを避けるために「原稿を用意する」ことは必要なプロセスと考えます。
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白けた見方になりますが



用意された会見の場が組織の謝罪の場であって、個人の謝罪では無いからです。そこで、個人の意見を言うと、権限の逸脱になるし、その見解が組織として統一したものと違う場合、責任のとりようがないからでしょう。出てくるのは当事者ではないですし。

謝罪文を読むのもマスコミ向けのパフォーマンスであって、実際にはコミュニケの提示でも済むのをマスコミがショー仕立てにしているだけでしょう。本当に大切なのはリカバリであって謝罪ではないのにそれについて言及する能力のないマスコミもどうかと思う。

まあ、パフォーマンスなんだから、もう少しスマートにやってもいいとは思いますが、どの組織でもそういう謝り屋を用意できる訳じゃないしね。

それに、感情がこもっていればいいとも一概にいえないでしょう、山一の会見で社長は感極まって泣いていましたが、私は白けただけでしたよ。
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原稿を用意しての会見は記者の質問に答えるのではなく、一方的に言うだけ言って逃げ切るつもりつもりと見てます。


社長をはじめとする幹部から平社員まで、会見場で言質をとられるようなコメントをしてしまうのを避けたいのは当然でしょうね。
先のJR○日本の事故直後の会見では原稿を用意する時間もなかったせいか、
「まだ報告を受けておりません」、「まだ報告を受けておりません」
を連発して無茶苦茶になってました。

もっとも何か事件が起きた会社側に言わせると、状況把握も処理もできない内にマスコミがコメントしろとうるさいから、満足な会見もできるわけないと主張するでしょうが。
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テレビで見かけるような謝罪会見では、


マスコミが言葉の一字一句に対して、目を光らせています。
ちょっとでも失言しようものなら、その場だけでなく
報道番組、ワイドショーなどで、何度も何度も
揚げ足とりをされます。

自分の言葉で話そうとしたら、表現上の「不適切」や「言葉足らず」で問題発言となりそうです。
そこで、原稿を書き、推敲されたものがコメントとして発表されるのではないでしょうか。
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多分、自分の言葉でしゃべってしまうと言葉足らずになったり、会社の代表で出てきているなら社の考えとは違う事を言っちゃったり、用はいい間違いをしない為じゃないでしょうか?謝る対象から更なる怒りを呼ばない為?


まあでも質問者さんのおっしゃる通り、下を向いたまま用紙を見、棒読みで・・誠意が感じられないですよね。
大企業なら一人ぐらいそういう謝罪会見を想定した訓練をし、原稿を読まず完璧に感情のこもった会見が出来るような人材を作ればいいのにね。
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生放送で無編集なのであれば自分の言葉で謝まってもいいかもしれませんが



テレビならばいいように編集されピックアップされてしまうからです

JR西日本の事故も正直に話しすぎたのが印象を悪くした要因でしょう

元森総理などはそれでおろされてしまったし、小泉首相も最近は懲りたようですね
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 私も同様に感じます。

経営者レベルの方であれば、同じ内容のものでも自分の言葉で話た方が誠意もトップとしての資質も伝わると思うのですが・・・。

 ただ、会社としての会見の場合、可能な限り個人的な見解(感情)を排除しなければならないという立場もあるでしょう。勿論、中には個人的な見解を述べてしまう方もたまに見受けられますが、場合によっては社の不利益になるような失言のたぐいがあれば、株主から不必要に社の価値を下げたとの見方をされることもあると思います。会社は社長(もしくは会見を行う広報係)個人のものではないという点と、穿った見方をすれば、失言を恐れるあまりの過剰な防衛策が裏目にでているのかも。
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