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1.新左翼(New-Left)と新右翼(New-Right)の相違点等を教えて下さい。

2.「小さな政府」を目指すという点では新自由主義(Neo-Liberalism)も新保守主義(Neo-Conservative)も共通の政治目標を掲げているのですか?日英米等の政党・政治家に例えていただけると幸いです。

3.一昔前より聞かれ始めた「小さくても強い政府」というのはどのような政治理念なの教えて下さい。「小さな政府(≒夜警国家)」との相違点は何でしょうか?

A 回答 (2件)

この前は1だけ回答しましたので、残りを。



2.について
以前は「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」と「新保守主義」は、イギリスのサッチャリズムやアメリカのレーガノミクスをさす、という意味では同じ意味で使われることが多く、「自由経済と強い国家」(A・ギャンブル)という端的な表現がされることもありました。一方で市場の規制緩和を行い被用者や弱者の保護のための社会的規制を弱めたり、福祉施策を削るなどして高所得者や企業の負担を軽減したりして、市場原理に任せるという政策をとって企業活動の活性化をはかります。この面を強調するときには「新自由主義」を用いることが多いです。他方で、軍備を拡大し、警察力を強化して、物理的強制力を伴う「夜警国家」の分野では国家機能を高め、価値観のレベルでも「国家」「共同体」「家族」といった伝統的な紐帯を強調します。この面に焦点をあてる場合には「新保守主義」を用いることが多いです。日本でいうと、両方を体現したのは中曽根康弘氏です。現在の小泉政権も、「構造改革」で新自由主義を、有事法制の整備やイラク派兵などで新保守主義を、と両方を追求しているといっていいと思います。
新自由主義と新保守主義を区別するのならば、大雑把に言って、イギリスのブレア政権は、新自由主義だが、新保守主義ではない、ということは可能かもしれませんが、ブレア政権も「夜警国家」機能の強化は進めているので、微妙なところです。日本の民主党の政策の基調はブレア路線と似ているといわれることもあります。
しかし、イラク戦争の直前から、ジャーナリズム分野で、ブッシュ政権内の超タカ派をさして「ネオコン(新保守主義者)」という表現が使われることが多くなり、現在ではこちらの意味で「新保守主義」が使われることが多いと思います。この場合は、「自由」「民主主義」「市場」といったアメリカ的な価値観(同じ言葉を使ってもヨーロッパ的なものとはだいぶ意味が違う特殊アメリカ的価値観が特徴)を普遍的なものとし、それを発展途上国に力で押し付けることを善とする思潮や勢力をいいます。

3.について
現在でも、政治的スローガンとしては「小さな政府」を用いることが多くて、僕個人の印象としては「小さくても強い政府」というのはあまり聞いたことがないような気がするのですが、「小さな政府」には抜けている「強い政府」を強調するのに使う言葉でしょうけど、新自由主義による社会秩序や社会規範の拘束力の弱体化を憂う傾向に対処しようとするものです。「小さくても強い政府」は、新自由主義・新保守主義政策を主張するときのスローガンであるといえます。市場原理のかく乱作用や、金融不安などの市場原理そのものが破局に至る可能性があるときには政府が介入して強権で市場を維持するのが新自由主義ですから、そういうとらえ方では別物ではありませんが、スローガンとして「強い政府」をいうときには、そういう狭い意味での経済に限定されず、むしろ治安維持の強化や対外強硬策をイメージしている場合が多いと言えます。厳密には、市場中心主義を意味する「小さな政府」と国家主義を意味する「強い政府」は論理的には矛盾します。現に、アメリカではあらゆる政府機能を最小限に縮小すべきだというリバータリアニズムが一定の影響力を持っています。
「夜警国家」という場合には、19世紀の英米の国家のあり方をさすのが普通です。いずれも、その「夜警」の分野では、徴兵制はなかったし、警察力も「政府」というよりは「コミュニティ」というべき地域社会の自治に基盤をおいていました。強大な軍事力はもっていましたが、それはもっぱら領土や植民地の拡大に用いられるもので、本国が戦場になることは例外的でした。経済秩序では、無数の小企業が林立する文字通りの自由競争が主流でした。
20世紀前半には、2度の世界大戦で総力戦が展開され、経済では少数の大企業が市場への支配力を強める寡占状態になります。また、市場原理が貧困や失業を解決しないことも政治的に問題となり、経済や社会への政府の介入を強めることになり、「大きな政府」の時代となりました。
戦後の高度経済成長が終わった1970年代後半から、原点回帰というニュアンスで「小さな政府」のスローガンによる新自由主義政策への支持が高まることになります。しかし、寡占状態が変化したわけではありませんので、市場原理重視は、同時に寡占企業への規制を弱めるということになるので、意味はだいぶ違うといわなければなりません。社会政策の縮小も、富者の負担による所得再分配に、富者が不満を募らせたことという要素が大きいといえます。
現在は、米英は徴兵制をとっていませんが、軍事力はハイテクによってだれもアメリカの敵たり得ないのは周知のことです。ベトナム戦争後の軍縮基調を変えたのが、レーガン政権でありサッチャー政権でした。

この回答への補足

どうやら同じ人にはポイントは同時には発行できないようで...すみません。

補足日時:2005/08/09 00:01
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この回答へのお礼

多忙が故にお返事遅れました。申し訳ありません。
自由思想も含め...色々とありがとうございました。イヤ~本当に、政治学か政治思想史の講義を受けているみたいで、大変参考になりました。

お礼日時:2005/08/08 23:59

むしろ、既成左翼と新左翼、伝統右翼と新右翼の区別を説明した方がわかりやすいと思います。



フランス革命期には、右翼は王党派、左翼は革命派・共和派をさしました。その後、自由主義や政治的民主主義では平等が実現しなかったために、さらに社会主義・共産主義を主張する勢力が登場して、勢力を伸ばすと、左翼とは何らかの色合いの社会主義を主張する勢力を意味するようになります。王党派が勢力を失うと、経済的自由主義と資本主義経済の維持を主張する勢力が右翼と呼ばれるようになります。

ヨーロッパでは、右翼はその社会の伝統となっている価値観を擁護します。伝統の内容は社会によって違いますから、右翼の主張は社会によって違います。イギリスでは王制や貴族的伝統の擁護が入りますが、アメリカやフランスの右翼は共和主義を不可欠の要素とします。
ヨーロッパの新右翼の特徴は、ファナティックな排外的民族主義とファシズム的傾向です。イタリア語のファッショはもともと「団結」という意味で、ファシズムは国民と国家の一体化を強調し、その国民=民族(英語でnation)の団結と優位(他民族の劣位)に重点をおきます。ヨーロッパでは、旧植民地地域やトルコからの大量の移民がいますから、この移民の排斥を主張します。
日本の文脈では、様相はだいぶ異なります。日本語の「右翼」「左翼」は過激なイメージがあるため、ヨーロッパでは「右翼」「左翼」という勢力は、「保守」「革新」と言われてきました。その用法では、右翼は改憲と尊皇を主張する勢力をいいます。そして、伝統右翼が親米・安保体制擁護をとるのに対し、新右翼とは反米・安保体制打破をとなえます。尊皇と民族主義をとるのだったら、アメリカから離れるべきだ、というのが新右翼となります。

既成左翼には、穏健な社会民主主義と急進的な共産主義があります。共産主義は第1次世界大戦とロシア革命をきっかけに登場したもので、旧ソ連の擁護を特徴の一つとしました。
イギリスの場合は、1950年代後半に登場したNew Leftは、ロシア型の革命を否定し、より穏健な主張をする勢力として登場しました。日本では、日本共産党からわかれ、日本社会党江田派と結びついた「構造改革派」がこれに似ていますが、日本ではこれを「新左翼」とはいいません。
欧米でも日本でも1960年代末に、議会制民主主義を批判し、直接行動や暴力革命を主張する勢力が大きな力を持ちます。こちらを「新左翼」と呼ぶのが普通の用法です。日本では、1950年代後半に「共産主義者同盟(ブント)」が、1960年代末に「全共闘」が学生を中心に大きな力をもち、これを「新左翼」と呼びます。先進国の共産党(ユーロ・コミュニズム)は議会を通じた革命を主張するところが、違います。
イギリスの穏健マルクス主義と「暴力革命」を呼号する勢力に共通するのは、旧ソ連型の共産主義を批判する、ということがいえます。しかし、日本共産党を含むユーロ・コミュニズムの勢力は、ロシア革命型の実力革命を否定して議会主義をとりますし、旧ソ連の社会体制の特徴である、一党独裁や統制経済も否定します。特にイタリアと日本の共産党は、激しくソ連と対立しました。したがって、既成左翼と新左翼の分岐は議会主義か暴力革命か、というところだと言っていいのではないでしょうか。
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