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1861年、帝政ロシアのアレクサンドル2世が、農奴制を廃止し、ちょうどこの頃ポーランドではロシアに対する反乱が起こりましたが(1983年)、この農奴制の廃止はポーランドに対して行ったのですか?

A 回答 (2件)

1861年のロシアにおける農奴解放と、1863年のポーランドにおける蜂起とは直接的な関係はありません。



1861年のアレクサンドル2世による農奴解放は、もともと16世紀末から続くロシアの農奴制に対して行われたものです。

クリミア戦争で敗北を喫したアレクサンドル2世はロシアの後進性を痛感し、国内の改革を始めます。

ツァーリズムの危機を感じた皇帝は、「下からの革命による改革よりは上からの改革の方が良い」と「農奴解放=農奴制の廃止」を決めます(ただ、この農奴解放は旧地主の大反対によって、農民にかなり不利なものだったため、彼らの生活はすぐには良くなりませんでしたが)。

一方、ポーランドでの反乱についてですが、いわゆる「ポーランド分割」によって、ポーランド人は国家の独立を失います。

この失った独立を再度求めたものが、1830年の「11月蜂起」、1846年の「クラクフ蜂起」、1848年の「諸国民の春」、そして1863年「1月蜂起」といわれています。

つまり、この蜂起の目的は「ポーランドの独立」です。

アレクサンドル2世による改革の時期、ロシア領ポーランドでも11月蜂起以前の体制復活への動きが強まってきます。

1860年代後半から、過激派(赤党)による街頭デモが組織されるようになり、61年の戒厳令、62年の徴兵の復活を経て、ついに63年1月22日に蜂起が開始されます。

ポーランドではその際、農民を味方につけるために蜂起側によって農奴解放令が発表されました。

しかし、1864年3月にロシア政府による農奴解放令が行われ、農民の動員も得られなくなった蜂起側は、最後のリーダーの逮捕で鎮圧されました。


つまり、ロシアがロシア領ポーランドに対して農奴解放を行ったのは1864年(1863年の蜂起側による農奴解放を追認する形)ということになり、1861年のロシアにおける農奴解放とは別物です。

文章がごちゃごちゃして申し訳ないのですが、参考になれば幸いです。
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まず、ポーランドのロシアに対する反乱は質問文には1983年となっていますが、1863年の間違いですね。

ポーランドの農奴制の廃止はポーランドの青年が主体の赤党が農民解放令を出したものでロシアとは関係がありません。アレクサンドル2世の農奴制の廃止は、その当時領地経営という形で農奴制を担っていた貴族領主から農奴を解放しようとしたものではないでしょうか。詳しくは世界歴史大系 ロシア史2(山川出版社)200ページ以下を参照してください。そのほんのアマゾンでの紹介は下のURLを参照してください。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634460 …
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