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 明治時代に日清・日露戦争の際「遼東半島」をめぐり日本もロシアも互いにゆずらなかった理由は何ででしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ロシアは不凍港が欲しかったのです。


日本は満洲への足がかりとなる港が欲しかった。

旅順は黄海の非常に重要な戦略港でした。
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この回答へのお礼

早速お返事ありがとうございます! 参考になりました^^

お礼日時:2006/02/01 00:54

遼東半島に旅順と大連という都市がありますよね。


今、旅順には中国軍の基地があります。
つまり旅順をはじめとする遼東半島は、重要な軍事拠点だということがわかると思います。
当時のロシアにとっては、不凍港としても重要でしょう。不凍港はいくつあっても嬉しいはずです。
当時の日本にとっては、遼東半島を得ることによって黄海の制海権が得られるからです。ロシアとは正反対に、そこを拠点にできれば、北上がしやすくなるわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。港が重要な役割をになっていたんですね。朝鮮をめぐる争いはお互いにとって王手をかけるかかけられるかだったんですね。

お礼日時:2006/02/01 00:58

不凍港としてはすでに1860年代にウラジオストックを得ていると思います。



日本にとっては遼東半島を手中に収めなければ日本海・黄海の制海権を握れず、朝鮮半島や満州に兵員・物質を送ることが出来ません。逆にロシアから見れば、日本が遼東半島を得ることは、自国の南下政策を阻む大きな要因となります。

満州を廻る帝国同士の争いにおける重要な戦略拠点の一つが遼東半島だった、といえるのではないでしょうか?地図を眺めながら日露両国の思惑を考えてみると、そう思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 明治時代ってなんだかいろいろな思惑が入り乱れていて教科書では伝わってきませんでした^^ありがとうございます

お礼日時:2006/02/01 00:56

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