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捷一号作戦以降の旧海軍において、
「雷撃機(天山、銀河、一式陸攻)による雷撃」と、
「戦闘機(零戦)による反跳爆撃」ではどちらのほうが成功率が高いと見込まれていたのでしょうか。
米海軍の場合の成功率は探せましたが、旧日本海軍の場合が見つけられません。

又、夜間雷撃は終戦まで細々と続けられましたが、反跳爆撃が実戦で採用されなかった理由は何なのでしょうか。
特攻を拒否した芙蓉部隊でも、夜間銃爆撃は行なっても反跳爆撃は行なっていません。

この頃の昼間雷撃は無謀だとされていたので、雷撃の成功率はかなり低かったと思うのですが、反跳爆撃は錬度が低くても割と簡単な爆撃法で、高速の戦闘機を使うこともあり、成功率は高いのではないかと思うのですが、実戦で反跳爆撃が採用されなかったことを考えるとやはり成功率は低かったのかな。。。
などと考えているのですが。

また、この辺のことを記述している史料・本などありましたら紹介してください。

A 回答 (9件)

データの裏付けがある訳ではありませんが…


昭和18年11月ころより反跳爆撃法の戦術研究と開発に取り組んだ高橋定少佐(当時横須賀航空隊第二飛行隊長)がお書きになった「私が伝授した反跳爆撃法(丸エキストラ戦史と旅 秘録・海軍航空作戦 平成10年9月発行)」が参考になるやも知れません。
昭和19年8月にフィリピンセブ島の零戦部隊で、同少佐が実施した戦術説明訓練の模様が書かれています。
 同少佐は、
・敵の1500m以内に肉薄すれば命中率は60%以上となるが、戦艦、重巡、航空母艦などに対するときは、被害も30%を超える。
・輸送艦に対しては肉薄攻撃が容易であって、命中率は80%、被害は10%以下。
などと搭乗員に説明した由。
また、訓練の成績も良かったと記されています。

 戦術としての技術的問題や成功率が障害になったと考えるよりも、他の方もご指摘の、
・連合国側の防御技術の進歩
・日本の爆弾などの生産能力の低下
・日本の航空戦術の変更(いわゆる特攻など)
により、採用されなかったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:17

再登場です。



戦争末期に於ける、
1:冶金技術の不足。
2:鉄の供給事情。
3:爆弾の開発時間、操縦訓練時間の不足。
4:結局、飛行機は撃墜される可能性大。
によって「特攻作戦の方が確実」
という決断がなされた。

という話の流れだったと思います。
曖昧ですみません。

とにかく、当時は切羽詰っていました。
理論的な検証も十分では無く、
記録を探すのは難しいと思いますよ。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:12

「冶金技術の不足で、信管が作動する前に、爆発してしまったから。



との理由はいかがなものでしょうか。おそらく弾体がもろくて割れてしまうということをおっしゃりたいと思いますが、砲弾や徹甲爆弾が作られていることから考えると、考えにくいのではないでしょうか。

「反跳爆撃は、高度、投下と避退のタイミングが難しく、決して雷撃より易しいとは言えません。銀河での訓練においても、練達の搭乗員が始めて成功させましたが、それでも投下して跳ねた自爆弾に当たって自爆した機もあり、成功の確率は低かったようです」

通常の反跳爆撃とは、ことなりますが、英国のダムバスターでは簡単な方法で解決しています。(最近の「歴史群像」を読まれたい。)
ただ、この際にも跳ね返った爆弾が自機に当たった事故が記録されています。それから爆弾ではありませんが、メッサーシュミット163が離陸時にドリーが跳ね返って事故になった例があります。
ただ成功率が低いとは簡単には言えないでしょう。それなら雷撃だって難しいはずです。

「一人乗りの爆装零戦では、ほとんど無理だったと思われます。」

反跳爆撃はもともと単座機のために採用された爆撃手段ではないでしょうか。もっとも大戦後期の操縦手の錬度の低下が著しいようですので、むしろそちらの方が原因でしょう。体当たりでさえ難しかったのが現実ですから。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:13

当時の日本の爆弾では反跳爆撃は出来ない、


もしくは、ほとんど効果なし。

理由は、冶金技術の不足で、
信管が作動する前に、爆発してしまったから。

と言う技術者の文献を読んだ事がありますが、
残念ながら出典は忘れました。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:13

反跳爆撃は、高度、投下と避退のタイミングが難しく、決して雷撃より易しいとは言えません。

銀河での訓練においても、練達の搭乗員が始めて成功させましたが、それでも投下して跳ねた自爆弾に当たって自爆した機もあり、成功の確率は低かったようですし、まして一人乗りの爆装零戦では、ほとんど無理だったと思われます。
結局、安易といっては言い過ぎかもしれませんが、特攻に頼ることになりました。なお、特攻は沖縄戦でも敵空母や戦艦に見事な体当たりをした戦果があり、決して効果の薄い戦法ではありませんでした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:13

雷撃と反跳爆撃のいずれも、


敵のレーダー、近接信管、戦闘機の前には無意味とされていました。

正規空母数隻で先に得敵して敵の有効攻撃範囲外から全機で攻撃したアウトレンジ攻撃では、
レーダーで一早く発見され、戦闘機の待ち伏せにあい、敵の被害艦艇は認められず、
帰還出来た友軍機は殆どありませんでした。

フィリピン戦でマニラ飛行場から60機の攻撃を敢行しましたが訓練度が低く、全滅。
別働隊の敷島隊では、零戦に爆弾を搭載した関大尉の特攻により空母に命中。撃沈。

このパイロットは負傷した為教官をしていた数千時間のベテランパイロットで、
この1撃で、有効な戦法として認識されました。

(空母を狙え。続け。と盛んに攻撃しましたが、後に顕著な戦果は得られず)

殆ど飛ぶのがやっとの搭乗員で、戦法など選んではいられませんでした。

有効な戦法も、経験、訓練度、友軍数、直奄機数などのパラメーターで大きく狂います。

2000で機銃網の中に突っ込みますからこれなら腹の中に入れてあげたいですね。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:15

反跳爆撃は一見簡単そうに見えますが色々な技術のバックアップがないと可能にはなりません。


1.爆弾そのものについても、水面の衝撃に対する強度、信管の構造、強度に考慮が必要です。
陸用や水平爆撃用の爆弾をそのまま使用する訳にはいきません。
2.操縦技術にしても熾烈な対空砲火をおかして最適投下地点を選択しなければなりません。
これはかなりの訓練を経て体得する必要があります。
まして夜間はむつかしいのです。  
第1線部隊に再訓練している余裕はありません。
3.戦闘機といえども爆装しては速度も操縦性も低下します。 また爆弾もせいぜい200~250キロですから威力にも制約があります。  航空魚雷の炸薬量には及びません。

以上の理由で急場の対策としては不十分な状態だったのです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:15

こちらも今イチソース不明なのですが、連合軍側の対空砲火の強化と、使用できる爆弾がなかったことが理由ではないでしょうか。



 冶金技術の後れなどから、反跳に耐えうる爆弾や信管が無かった(側面に衝撃が加わると弾体や信管が破壊されるらしい)ようです。

 また、芙蓉部隊は一応それ用の爆弾を運用しているらしいので、開発はされたんでしょうが、それでも信頼性が無かったのでは。

参考URL:http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/gunji/yasyu.htm
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:16

資料を基にした回答はできませんが、すでに近接信管が実用化されていた米艦隊に対しては反跳爆撃でも、命中はおろか生還すら見込めない状態だったと思われます。

結局、体当たり攻撃がフィリピンでの戦闘以降、恒常化していますから、省みられなかったのでしょう。

また、舷側は大型艦では強化されていますから、あまり効果が期待できなかったのかもしれません。甲板上部からの攻撃なら、仮に甲板が装甲であっても敵の経戦能力を奪うことができますが、舷側で爆発してもダメージは少ないですし、徹甲弾が威力を持つほどの速度も当時の機体では無理です。舷側からの攻撃では、雷撃のように水線下での爆発でなければ大きな戦果は期待できないでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/10 18:16

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