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いま仮に、
A)「幸福という名の不幸」蛇苺 scats
という句を私scats がものしたとしますと人は曽野綾子さんの小説『幸福という名の不幸』の引喩であると理解してくださるとおもうのですが……「 」を付さないで、
B)幸福といふ名の不幸へび苺 scats
とした場合、人は私に曽野綾子さんの『幸福という名の不幸』のパクリ or 幸福といふ不幸あり~~ の類想・類句 or 無断使用であると烈しく糾弾なさり、少なくとも variation(本歌取り)と受け取ることがないでしょう。
(「幸福といふ不幸あり~~」の句はオキザリス・蛍草の季語の例句を歳時記でお調べください)。

劈頭で、仮に、と申しましたが実際に、こうしたことは有りがちです。どのように対処するのが最善なのか、お教えいただければ幸いでございます。
俳句では「 」は使わないのが普通という考え方もあります。

A 回答 (1件)

曽野綾子さんの小説や「幸福といふ不幸あり~~」の句を念頭に入れての句だとしたら、


引喩や「パロディ」の一種として受け入れられそうですが、
その場合引喩やパロディであることをほのめかすなり明示するなりしなければ糾弾される恐れがあるでしょうね。
著作権の厳しいアメリカでは、卒業論文等は引用文の出どころを明示しないと退学などという話も聞いたことがあります。

数年前にベストセラー『チーズはどこへ消えた?』があり、
『バターはどこへ溶けた?』という本が別の出版社から出版されて問題になり、
『チーズ~』の出版社が『バター~』の出版社に出版差し止めを要求したが出版社協会が横槍を入れたという話がありましたが、
今も『バター~』が販売されているということは「パロディ」として認識されたからだと思います。
ただ、出版社間や法律で認められても世間では「『バター~』は2番煎じ、もしくはパクリ」と思われてしまいます。

結局は作者自身が、作品がどう受け入れられれば満足できるかが重要なのかもしれません。
(A)、(B)の句は引喩の部分が大部分を占めていますから、
どちらにしろ質問者さんの貢献度が低く見られるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
質問のエンディングに書きました「 」を付さないことを含めまして俳句ではそうした明示が習慣的になされないようなのです。その辺のところ知りたいのが私の質問の隠れた部分なのですが……

実は「幸福という不幸~~」の作者が運営しているFAQに質問したのですが回答が得られませんでした。

パロディとおもっていただければ平和ですね。

お礼日時:2005/09/06 21:15

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